第十二章 見つめた先に
二年間務めた生徒会長の役目は後輩へ引き継がれ、役員たちが慌ただしく出入りする生徒会室の前を通るたび、あの場所で仲間たちと学園のために知恵を出し合った日々が思い返された。
今年からは一人の五年生として学園へ通うことになったものの、その変化を寂しく感じることはなかった。自分には卒業までに学ぶべきことが残されていた。
卒業を控えた五年生たちの間では、まだ進む道を決められず、教室のあちらこちらで将来について語り合う姿が見られた。
そんな中、ヴァレリアのもとへ相談に訪れる生徒も少なくなかった。
「ヴァレリア様、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「もちろんです」
声を掛けてきた男子生徒は、少し申し訳なさそうに頭を下げた。
「王城へ勤めたい気持ちは決まっているのですが……どの部署へ進むべきなのか決められないのです。外務も財務も司法も、それぞれ魅力を感じてしまって」
ヴァレリアは頷いた。
「では、それぞれどのようなところに魅力を感じていらっしゃるのですか」
「外務では、他国にはエーデルとは異なる法や慣習があることを学びました。それらを互いに理解し、約束を交わすことで国同士の信頼を築いていくところに魅力を感じました。
財務では、飢饉や災害が起こった際の支援や税の軽減なども、定められた制度に基づいて行われていることを知りました。国を支える仕組みの奥深さに惹かれました。
司法では、法によって争いを解決することだけではなく、その法がどのような考えのもとに定められ、人々の暮らしを守っているのかを学びました。一つの判決が多くの人へ影響を与えることや、新たな法を定めることでこれから先の人々の暮らしまで支えられることを知りました。同じ出来事でも立場によって考え方が変わることや、どうすればより多くの人が安心して暮らせるのかを考えながら議論していく時間が、とても印象に残っています」
ヴァレリアは最後まで口を挟まず、生徒の話へ耳を傾けた。
「なるほど。それでは、何をしている時が一番充実していましたか」
生徒は少し考え、記憶をたどるように視線を上げた。
「そうですね……授業が終わった後も図書室で他国の法典を読んだり、外国の制度をエーデルへ取り入れるとしたら、どのような法がふさわしいのかを考えたりすることがよくありました」
そこまで話した生徒は、不意に口を閉ざした。
「……あれ」
自分が口にした言葉を振り返るように、しばらく考え込んだ。
「外務も、財務も、司法も、違う仕事として見ていました。けれど、私が惹かれていたのは、それぞれの仕事ではなく、その根底にあるものだったのですね」
ヴァレリアは微笑んだ。
「お話を伺っているうちに、答えはもう見つかっているように思いました」
生徒は目を丸くした後、照れくさそうに笑った。
「気づかないものですね。ありがとうございました」
深く頭を下げた生徒は、来た時よりも晴れやかな表情で教室へ戻っていった。
進路に迷う者、家を継ぐことへ不安を抱える者、王城勤めを目指すべきか悩む者。悩みは違っても誰もが卒業後と向き合っており、ヴァレリアは答えを示すことなく問い掛けを重ねながら、その者自身が答えを見つけられるよう支えた。
一方モーゼスは、王配となる日に備えて王城の各部署で実務を学びながら経験を重ねた。宰相のもとで政務を学ぶ日もあれば、外務長官や財務長官のもとでそれぞれの役割を学ぶ日もあり、国を支える仕組みを一つずつ身につけていった。
そうした日々の中、昼食の時間や仕事を終えた後には、在学中と変わらず、その日にあった出来事を互いに語り合うことが日課となっていた。
「お疲れ様でした、モーゼス様」
いつものように頭を下げたカタリーナへ、モーゼスは苦笑を浮かべた。
「その呼び方は、そろそろ変えないか」
「え……?」
「もう『様』はいらないんじゃないか」
戸惑ったカタリーナは口を開きかけたものの、結局何も言えず視線を落とした。
「……ですが、そのようなことは……」
「二人で話している時くらいは、名前で呼んでほしい」
しばらくの沈黙の後、カタリーナは意を決したように顔を上げた。
「……モーゼス」
その一言に、モーゼスは笑みを浮かべた。
「ありがとう」
それから二人きりの時には「モーゼス」と呼ぶ声が増え、その日に学んだことや出来事を語り合いながら、互いの考えを交わす時間も続いていった。
やがて学園が夏の静けさに包まれる頃、ヴァレリアは王都を発った。
三十年前に締結された友好条約を記念する式典へ出席するため、一行は二週間をかけて商業国家として知られる隣国を目指すこととなった。
道中はいくつもの町や村で宿泊を重ね、長時間の移動と早朝からの出発が続いたものの、天候にも恵まれ、旅程は予定どおり進んだ。
式典への出席をはじめ、各地での会談や視察も滞りなく終わり、港へ次々と入港する船や各国から集まる商人たちで賑わう街並みは、ヴァレリアにとって新たな発見の連続だった。
予定されていた日程をすべて終え、一行は帰国の途へ就いた。
隣国を発って四日ほどが過ぎた頃、数日前に降った雨の影響でぬかるんだ街道へ荷馬車が車輪を取られ、一行は足止めを余儀なくされた。
荷馬車を動かさなければ先へ進めず、周囲の地盤も緩んでいたことから、その日のうちに復旧することは難しいと判断され、一行は近くの町へ滞在することとなった。
往路では慌ただしい日程が続き、町の人々と言葉を交わす余裕もなかったが、思いがけず時間ができたことで、ヴァレリアは宿の主人や町の人々、同じように足止めされていた商人たちと話す機会を得た。
「このようなことは、よくあるのですか」
ヴァレリアの問いに、宿の主人は苦笑しながら頷いた。
「ええ。この街道は全体的に道が悪く、雨が降るたびにあちらこちらで荷馬車が足を取られます。この辺りは特に水はけが悪いものですから、立ち往生することも珍しくありません」
近くで話を聞いていた商人も会話へ加わった。
「隣国から王都へ向かうには、本来この街道を使うのが一番早いのです。しかし、足止めになったり積み荷へ傷が付いたりすることも多く、今では多少遠回りになっても他国を経由して王都へ向かう商人がほとんどとなりました」
宿の主人も頷いた。
「昔はこの町も港へ向かう商人や王都を目指す旅人で賑わっていたのですが、商人たちが別の道を使うようになってからは人の往来も減り、宿を訪れる客も少なくなりました」
その様子を見ていた年配の男性も口を開いた。
「仕事が減れば若い者は生活のため王都や他の町へ働きに出てしまいます。この辺りの村や町では人口も少しずつ減っており、家族に会うため帰ってくることはあっても、この町で暮らそうと戻ってくる者はほとんどおりません」
ヴァレリアは三人の話を聞き終えると、窓の外へ続く街道へ視線を向けた。
この道が整えば、再び商人たちが利用するようになり、人や物の流れも戻る。そして、この町もかつての賑わいを取り戻せるのではないか。そんな考えが浮かんだ。
その後、一行は予定より一週間遅れて王都へ帰還し、ヴァレリアは隣国での会談や視察について国王へ報告する中で、帰路に立ち寄った町で耳にした街道の現状についても伝えた。
「なるほど……」
国王はしばらく考えた後、ゆっくりと頷いた。
「商人が他国を経由しているということは、本来この国で生まれるはずだった人や物の流れだけではなく、そこで生まれる富までもが他国へ流れているということだな」
その言葉にヴァレリアは小さく息をのんだ。
自分は町の賑わいを取り戻すことまでしか考えていなかった。国王は、その先にある国全体への影響まで見ていた。
「この件については議会へ諮ろう。街道の整備は、一つの町だけではなく、国全体にも関わる問題だ」
ヴァレリアは深く頭を下げた。
「よろしくお願いいたします」
親善訪問を終えたヴァレリアは再び学園へ戻り、季節も少しずつ秋へ移り始めた。
やがて秋も深まり、朝夕に冷たい風が吹く頃になると、モーゼスとカタリーナが顔を合わせられる機会も以前より少なくなった。
モーゼスは引き続き王城の各部署で実務へ携わり、文官となったカタリーナも任される仕事が増えていた。それでも互いに時間を見つけては王城の庭園を歩き、食事をともにしながら、それぞれが仕事の中で見聞きしたことや考えたことを語り合った。
その日も仕事を終えた二人は、夕暮れの光が差し込む回廊を並んで歩いた。
いつもなら自分から話を始めるモーゼスが、今日はなかなか口を開かない。その様子に気づいたカタリーナは、心配そうに横顔を見上げた。
「今日は、お疲れのようですね」
「ああ……少し、考えることがあってね」
「何かございましたか」
モーゼスはしばらく前を見つめていたが、やがて口を開いた。
「今日も、ある者から『次代の王となられた際には、ぜひこの地のこともお心に留めていただきたい』と言われたんだ」
「今日も、ということは、以前にも同じようなお話をされたのですか」
「ああ。部署が変わるたびに、『王となられた時には』『この国をお任せします』といった言葉を掛けられることが増えてきた」
そこで言葉を切り、小さく息を吐いた。
「期待してもらえるのはありがたいと思う一方で、それほど多くの者の願いを背負うことになるのかと思うと、時折その重さに押し潰されそうになる」
カタリーナはすぐには答えず、同じ歩幅で隣を歩き続けた。
しばらくして、問い掛けた。
「皆様がそのようなお話をなさるのは、どうしてだと思われますか」
モーゼスは少し考えたが、首を横へ振った。
「分からない」
「わたくしは、モーゼスが次代の国王になられることを、自然と信じていらっしゃるからだと思います」
「僕が?」
「はい」
カタリーナは足を止め、モーゼスを見つめた。
「自分たちの声を聞き、国のことを真剣に考えてくださる方だと信じているからこそ、その未来をモーゼスへ託したいと思っていらっしゃるのでしょう」
モーゼスは何も答えなかった。
「すべてを一人で背負う必要はありません」
カタリーナは続けた。
「迷った時には周囲の方々へ意見を求めればよいのですし、わたくしでよろしければ、いつでもお話を伺います」
「カティ……」
「モーゼスなら、きっと皆様の期待に応えられると、わたくしは信じています」
モーゼスは目の前のカタリーナを見つめた。
やがて冬を迎え、農作業が一段落する頃になると、夏にヴァレリアが国王へ報告した街道についても、議会での審議を経て整備が進められることとなった。
それまでにもヴァレリアは学園へ通う傍ら、災害からの復旧が進められている地域や、人手不足、交易の停滞など、それぞれ異なる課題を抱える町や村へ足を運び、領主や役人から報告を受けるだけではなく、実際に暮らす人々の声へ耳を傾けていた。
ある日、王城へ登城したヴァレリアへ、国王が口を開いた。
「夏にお前が報告してくれた街道の整備が始まった」
ヴァレリアは顔を上げた。
「お前が現地で見聞きしたことから始まった話だ。工事がどのように進み、その先で人々の暮らしがどう変わっていくのか、自分の目で見てくるといい」
ヴァレリアは深く頷いた。
「はい」
数日後、ヴァレリアは街道整備の進捗を確かめるため、再びあの町を訪れた。
以前は荷馬車が立ち往生していた街道では、多くの人々が排水路を整え、石を敷き詰める作業へ汗を流していた。
「この辺りは冬でも雪が積もることが少なく、農作業も一段落しておりますので、近隣の村々からも人手が集まっております。春になれば皆畑へ戻りますから、それまでに進められるところまで工事を進める予定です」
領主の説明どおり、農閑期を迎えた人々も工事へ加わっていた。
以前宿で話を聞かせてくれた主人も、笑顔でヴァレリアを迎えた。
「工事が始まってから町にも仕事が増えました。皆、街道が完成すれば、また商人の方々が戻ってきてくださるのではないかと楽しみにしております」
夏に訪れた時よりも町を行き交う人は増え、工事に携わる者たちの声が街道へ響いていた。
その後もヴァレリアは学園へ通いながら、王城での学びや各地への視察を続けた。
季節は巡り、王都にも再び春の気配が訪れる頃には、卒業の日まで残された時間もあとわずかとなっていた。




