第十一章 移ろう季節
最終学年を迎えた教室では、久しぶりに顔を合わせた学友たちが休暇中の出来事だけでなく、卒業後の進路についても話していた。
モーゼスが教室へ入ると、すでに席に着いていたカタリーナがその姿に気づき、小さく頭を下げた。
「おはようございます、モーゼス様」
「おはよう、カタリーナ」
挨拶を交わして席へ腰を下ろすと、カタリーナは昨年まで毎日のように通っていた廊下へ目を向けた。
「何だか、まだ委員会へ向かわなければいけないような気がしてしまいます」
「僕も今朝、気づいたら委員会室へ向かおうとしていたよ」
「モーゼス様もですか?」
「二年間続いていたからね」
二人が顔を見合わせて笑う横では、教室のあちらこちらから学友たちの声が聞こえていた。
「私は父の領地へ戻る予定なんだ」
「王都へ残るつもりよ」
「兄上の仕事を手伝うことになりそうだ」
「皆様、もう卒業後のお話をされていますね」
「最後の一年だからね」
「卒業まで一年もあると思っていましたのに」
「四年間も振り返ればあっという間だったし、この一年もきっと早いよ」
カタリーナも小さく頷いたところで始業の鐘が鳴り、生徒たちはそれぞれの席へ戻った。
若葉が鮮やかな緑へ変わり、昼休みの図書室へ柔らかな日差しが差し込む頃になると、モーゼスは王城での授業に必要な歴史書を開き、窓際の机でページをめくっていた。
「モーゼス様」
顔を上げると、本を抱えたカタリーナが立っていた。
「隣、どうぞ」
「ありがとうございます」
カタリーナは椅子へ腰を下ろし、抱えていた本を机へ置いた。
「カタリーナも調べもの?」
「はい。最近、卒業した後のことを考えることが増えまして」
「まだ決まらない?」
「何となく考えてはいるのですが、これだと思えるものがなくて……」
少し困ったように笑う姿を見て、モーゼスは手にしていた本を閉じた。
「時間はまだあるよ」
「でも、皆様のお話を聞いていると、私もそろそろ決めなければと思ってしまって」
「周りが決まったからといって、同じ時期に決めなくてもいいんじゃないかな」
カタリーナはしばらく考えてから頷いた。
「そうですね。もう少し考えてみます」
それから二人はそれぞれの本を開き、昼休みが終わるまで静かにページをめくった。
やがて学園は長い夏季休暇を迎え、生徒たちが帰省や実習に励む中、モーゼスは王城で行われる授業へ向かった。
この日はヴァレリアとの合同授業が予定されており、案内された部屋へ入ると、すでに席に着いていたヴァレリアが一礼した。
「おはようございます、モーゼス様」
「おはよう、ヴァレリア」
二人が席へ着くと、教師は机の上へ一枚の地図を広げた。
「ある領地で原因不明の病が確認されました。現在、感染者が確認されているのは一つの地区のみですが、感染経路は分かっておらず、このままでは王都へ広がる可能性もあります」
教師は感染が確認された地区を指した。
「ヴァレリア様。王として、この事態をどのように判断なさいますか」
ヴァレリアは地図を確かめてから答えた。
「まず感染が確認された地区への出入りを制限いたします。その間に医師を派遣し、感染経路と被害状況を調査させます」
「ほかにお考えはございますか?」
「封鎖した地区で生活に困る方が出ないよう、食料や薬を届ける準備も進めます。調査の結果によっては制限区域を広げられるよう、周辺の領地へも連絡を入れておきます」
教師は頷き、モーゼスへ視線を移した。
「ではモーゼス様。王配として、この事態へどのように対応なさいますか」
モーゼスはしばらく地図を見つめた。
「まず医師を派遣して感染の状況を確認します。そのうえで感染が確認された地域、必要であれば領全体への出入りを一時的に制限し、病の拡大を防ぎます」
「ほかにございますか?」
モーゼスはもう一度地図へ目を落としたが、やがて首を横へ振った。
「いいえ。ありません」
教師は今度はヴァレリアへ尋ねた。
「ではヴァレリア様。王となるご自身は、王配となるモーゼス様へ何を求めますか?」
ヴァレリアは少し考えた。
「私とは違う視点です」
「詳しくお聞かせください」
「私なりに国全体を見て判断するつもりですが、それでも一人では気づけないことがあると思います。私が見落としていることや、モーゼス様だからこそ気づけることがあれば、遠慮なく伝えていただきたいです」
教師は二人を見渡してから資料を閉じた。
「分かりました。では、次の課題へ移りましょう」
その後も立場の異なる二人へ同じ課題が示され、それぞれがどこへ目を向けるのかを確かめながら授業は続いた。
長い夏季休暇が終わり、朝夕の風に涼しさが混じり始める頃になると、生徒たちは再び学園へ戻った。
昼休み、中庭のベンチで本を読んでいたモーゼスのもとへカタリーナが歩み寄った。
「モーゼス様、ご一緒してもよろしいでしょうか?」
「もちろん」
モーゼスが隣を勧めると、カタリーナは礼を言って腰を下ろした。膝の上で手を重ねたまま少し迷っていたが、やがて顔を上げた。
「モーゼス様、私、決めました。文官になろうと思います」
「決まったんだね」
「はい。貴族の家に生まれた方とは違う暮らしを知っていることも、文官として働く上で役に立つのではないかと思ったのです」
「いいと思う。きっと、その経験が役に立つ仕事もあるよ」
カタリーナの表情がほころんだ。
「ありがとうございます」
しばらく話しているうちに、カタリーナが色づき始めた木々へ目を向けた。
「もう秋なのですね」
「卒業まで、あと半年か」
「本当にあっという間でした」
少し間を置いてから、カタリーナがモーゼスへ顔を向けた。
「卒業しても……また、お会いできますよね」
「もちろん」
迷いなく返すと、カタリーナは安心したように笑った。
昼休みの終わりを告げる鐘が鳴るまで二人はそのまま話し続け、やがて並んで教室へ戻った。
進路の決まった者は卒業後の準備に追われるようになり、学園で最後となる行事も一つずつ終わっていった。
やがて校庭の木々が葉を落とし、冬の冷たい風が吹き抜ける頃、最終登校日を迎えた。
最後のホームルームが終わっても、生徒たちはすぐには教室を出ようとせず、あちらこちらで名残を惜しむように言葉を交わしていた。
モーゼスも級友たちとの話を終えると、カタリーナへ声をかけた。
「カタリーナ、少しだけ中庭へ行かない?」
「……はい」
二人は教室を出て、何度も通った廊下を並んで歩いた。
中庭へ出ると、冬の陽光が木々の間から差し込み、いつものベンチも変わらぬ場所に置かれていた。二人はそこへ腰を下ろし、初めて昼食を共にした日のことや、図書室で将来について話したことなどを、思い出すままに語り合った。
やがて会話が途切れ、しばらく二人で中庭を眺めていたモーゼスが口を開いた。
「卒業したら、それぞれ忙しくなると思う」
「はい」
「それでも、これからも君と話す時間を作りたいと思っている」
カタリーナは驚いたように目を見開いた後、ゆっくりと笑った。
「私も……またお話しできたら嬉しいです」
モーゼスも笑みを返したが、すぐには次の言葉を口にせず、しばらく迷ってから彼女の名を呼んだ。
「……カティ」
「え?」
「そう呼んでもいいかな」
一瞬驚いたカタリーナだったが、やがて頷いた。
「はい」
「ありがとう、カティ」
二人は顔を見合わせて笑った。
「戻ろうか」
「はい」
立ち上がった二人は、並んで中庭をあとにした。




