第十章 同じ道の先で 2
朝夕には涼しい風が吹き始め、学園を彩る木々も少しずつ赤や黄色へ色づき始めた。生徒会では冬を迎える前に校舎や施設を見回り、修繕が必要な場所がないかを役員たちで分担して確認することとなった。
ヴァレリアが役員とともに校舎内を巡り、中庭に面した廊下へ差しかかったとき、一人の役員が窓の外へ目を向けた。
「あちらにいらっしゃるのは、モーゼス殿下ですね」
ヴァレリアも中庭へ視線を向けると、色づき始めた木々の下に置かれたベンチにモーゼスと一人の女子生徒が並び、一冊の本を開きながら話していた。
「最近は、モーゼス殿下があの方とお二人でいらっしゃるところをよくお見掛けします」
「そうなのですか?」
「私は殿下と同じ学年ですので、一年生の頃からよくお見掛けしておりましたが、以前はいつも大勢の学友とご一緒でした。この頃は、お二人でお話しされることも多いようです」
「とても仲がよろしいのですね」
「ええ。専攻は違いますが、お互いに学んだことについて話しておられるそうですよ」
ヴァレリアはもう一度二人へ目を向けた。
「失礼ですが、あの方はどなたなのですか?」
「カタリーナ・アウエ男爵令嬢です」
「カタリーナ様……」
その名を聞いて、ヴァレリアは一年生の頃にモーゼスから聞いた話を思い出した。自己紹介で印象に残った生徒がいた、と話していたことがあった。
「あの方が、カタリーナ様なのですね」
二人は変わらず本を広げ、ときおり顔を上げて言葉を交わしていた。
モーゼスに、気兼ねなく考えを交わせる学友ができたのだろう。ヴァレリアはそう受け取り、役員に促されて再び校舎の確認へ戻った。
さらに季節が進み、色づいていた木々の葉も地面へ舞い落ちる頃、翌年度の活動に必要な予算について話し合う予算委員会が開かれた。
各委員会から提出された申請額をすべて合わせると、学園から割り当てられる予算を大きく上回っていた。
「すべての申請を認めることはできませんので、どこかを減らさなければなりません」
会計の言葉を受け、各委員長は自分たちの申請が必要である理由を順に説明していった。
しばらく話を聞いていたモーゼスは、今年度の予算と実際に使われた額をまとめた資料へ目を落とした。
「今年度に使われた金額を基準にして、来年度の予算を決めてはいかがでしょうか」
委員長たちの視線が集まった。
「申請された額だけを見ても、本当に必要なのか判断することは難しいと思います。ですが、今年度実際に使われた額なら、それぞれの委員会が活動するために必要だった金額を数字で確かめられます。まずはその額を基準として配分し、明確な理由があるものだけを増額すれば、誰が判断しても同じ結論になります」
モーゼスが机の中央へ差し出した資料には、今年度だけでなく過去数年の予算と支出まで整理されていた。
「これほどお調べになったのですか?」
「判断する基準が曖昧なままでは、減らされた側も納得できないと思いましたので」
「確かに、同じ基準で判断されるのであれば公平ですね」
賛同する声が上がる中、ヴァレリアも一覧へ目を通した。
今年度の支出が少ない委員会の中に、来年度は大幅な増額を希望しているところがある。
「今年度、予算が多く残った理由を伺ってもよろしいでしょうか?」
尋ねられた委員長は申請書へ目を落とした。
「今年度は園外活動が悪天候によって中止となり、当日の費用を使用しなかったためです」
「その活動は、来年度も予定されていますか?」
「はい。毎年実施しておりますので、来年度も予定しています」
ヴァレリアはその答えを書き留めると、別の委員長へ尋ねた。
「こちらは今年度の支出が少ないようですが、来年度の申請額が増えているのはなぜでしょう?」
「長年修理しながら使ってきた備品が限界を迎えております。来年度中に買い替えなければ、活動を続けることが難しくなります」
ヴァレリアはもう一度、モーゼスがまとめた一覧へ目を通した。
「今年度に実際に使われた額を基準にすることは、大切だと思います」
モーゼスが顔を上げた。
「ですが、来年度の予算は来年度の活動を支えるためのものです。過去の数字だけではなく、これから何を行い、何を整えなければならないのかも確かめる必要があるのではないでしょうか」
「個別の事情をすべて認めてしまえば、説明する者によって判断が変わることになります」
「その懸念はもっともです」
ヴァレリアは頷いた。
「ですから、委員長の説明だけで決めるのではなく、学園として何を優先するのか、その基準を先に定めてはいかがでしょう」
「学園としての基準、ですか?」
「はい。活動を続けるために欠かせないものなのか、多くの生徒が利用するものなのか、安全や学園全体の運営に関わるものなのか、それとも翌年度へ回せるものなのか。それを確かめたうえで、優先順位を決めるのです」
会議室が静まり、委員長たちはそれぞれの申請書へ目を落とした。
やがて一人が口を開いた。
「私どもの備品は、傷みの激しいものだけを先に買い替え、それ以外は修理しながらもう一年使用できます」
「新しい取り組みも、初年度は対象を限定して始めれば予算を抑えられると思います」
次々と意見が上がり、書記が内容を書き留めると、会計も金額を計算し直していった。
話し合いの結果、過去の支出を基礎資料として使いながら、活動を維持するために欠かせないものや、安全と学園全体の運営に関わるものを優先し、一度に整える必要のないものは複数年へ分けて予算を組むこととなった。
「モーゼス様がこれまでの支出を整理してくださったからこそ、例年との差を確かめながら話し合うことができました。ありがとうございました」
会議を終えたヴァレリアが礼を述べると、モーゼスは資料をまとめながら答えた。
「僕の考えだけでは、来年度の事情まで確かめることはできなかったよ」
「それでも、基準となる数字がなければ、皆様のお話を聞いた後も判断は難しかったと思います。どちらか一方だけでは、今日の結論には至らなかったでしょう」
ヴァレリアがそう告げると、モーゼスは小さく頷いたものの、その表情に笑みは戻らなかった。
予算委員会を終えた後も、生徒会では翌年度へ向けた準備が続いた。
季節はやがて冬を越え、校庭を覆っていた雪も春の訪れとともに姿を消した。陽光が再び学園を包み始める頃、ヴァレリアは生徒会室で一年分の報告書を整理していた。
この一年、同じ学園を支える中で、モーゼスとは同じところへ目を向けることもあれば、違うところへ目を向けることもあった。
ヴァレリアは最後の報告書を閉じると、次の学年へ引き継ぐ資料の上へ重ねた。




