姉妹、ゴミ出しをする 1
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北野霞が今の貧乏アパートに住み始めたのは十六歳の時だった。
喉の病気で上手に喋れなかったことが高じて迫害を受け、家に引きこもれば母親や家族との折り合いが付かず、結局家を飛び出す羽目になった。
口を効けないなりに生活費を稼ぐ手段は決して綺麗なものではなかった。幸いにして当時から背は高く大人びた顔をしていたので年齢を誤魔化すことはできたが、されるがままに男に抱かれるばかりの暮らしは、霞の中に残っていた微かな自尊心をかき消すのには十分だった。
訪れる男達をただ受け入れるだけの日々。しかし自己主張や自尊心を失ったその暮らしの中で、大きな不幸を霞が感じていたかというと然程でもない。希望を失うということは適わぬ期待を背負わなくても良いということでもある。霞は植物のような精神で訪れる日々を他人事のように傍観し、いずれ静かに枯れ果てる時をただ待っていた。
職場には似たような境遇の仲間たちがいて口が訊けない程度のハンディなら十分に紛れ込めたし、身長百八十八センチ体重五十五キロのガリガリの身体でも食いっ逸れることがない程度に指名はあった。二十歳を過ぎてから飲酒という趣味もできたし、最近では彼女を『ハイカワさん』と呼ぶ可愛らしい隣人にも恵まれた。
それに昔から人との繋がりが皆無だった訳でもない。昔から霞のことを気にかけてくれる人物もいて、未だ客人としてちょくちょく家にやって来る。
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「いつまでこんな生活すんのさ」
十七歳の女子高生、小柳文江は霞の家に上がり込んではそう言った。
「親に素直に謝って家に帰ればいいじゃん。朱梨も心配してるよ?」
『いまさらむり』とノートに描いて霞。『それに、今のくらしがさほど不幸なわけでもない』
「強がらなくていいじゃん。親なんてね、利用すりゃいいのよ利用すりゃ。あたしの親もクッソムカつく最低の親だけれど、でも家出さえしなきゃ大学までは行かせてもらえるもんね。だから多少のことは我慢よ、我慢。脛齧っちゃいな、霞ちゃんだってまだ若いんだから」
そう言って文江は軽薄な口調でキャハハと笑う。それからふと遠慮したような表情になった。
「あたしだって霞ちゃんと朱梨の親がどんな人かは知ってるよ? でも別に子供を愛してない訳じゃないと思うし、霞ちゃんのことだってふつうに心配してるように見えるんだよね? そりゃあたしの家族じゃないから分からない部分はあると思うけどさぁ」
そこまで言って文江は頭をぼりぼりとかく。
「あー……なんかお節介いってるかあたし? ごめんね」
『いいえ』霞は首を横に振った。『気にかけてくれる人がいるのは幸せなことよ。あなたにはかんしゃしているわ』
小柳文江は霞の妹の同級生だ。昔は妹と三人で手を取り合って遊んだ仲であり、霞が家を飛び出してからもこうしてちょくちょく訪ねて来る。
会うたびに明るくなったり暗くなったりする茶髪(時々金髪)を持っていて、高校生らしくない程ハッキリと化粧をしている。シールのぺたぺた貼ってある大きなスマートホンをことあるごとに取りだし出して、爪を濃いピンク色に塗った手でそれを操作する様は如何にもなギャル娘である。こう見えて県下でもトップクラスの進学校に通っているそうだったが、そこではあまり馴染めていないらしい。数少ない親友と徒党を組んで、もう少し柄の悪い他の高校の子とつるむことが多いそうだ。
「当たり前じゃん。霞ちゃんなんだから」そう言って文江ははにかんで笑い、右手をピースサインにする。「んじゃもうそろ学校行くわ。そうだなんか頼み事とかある?」
『とくになにも』
「遠慮すんなよ」
『じゃあ』霞は首を傾げて見せてから、ガチのマジで遠慮しないことを言った。『ゴミすてて来て』
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今日は燃えるゴミの日である。緑子はゴミを一つのゴミ袋にまとめ、それを両手に持って麓のゴミ置き場へと歩き始めた。
ゴミ出しはいつも紫子がバイトに出かける際にしてくれているのだが、今日は休日であり、いつもの時間に姉を起こしても起きなかったので自分で出すことにした。休みの時くらいはゆっくり朝寝坊をさせてあげたい。
一人で外出するのは億劫だし怖くもあるが、気持ちよく寝ている姉の為だと思えばつらいことは何もない。これでも学生だった頃は姉に手を引かれて学校に行って、養護学級で一日を過ごし終えてから施設に戻るくらいのことはできたのだ。ゴミ出しくらい何のそのである。
そう思っていると、目の前を見知らぬ顔が横切った。
茜の高校の制服を来た少女である。はっきりとした化粧をして髪の毛を茶色く染めたその姿は、緑子には縁遠い『今時の若者』そのものである。私は私自身をおおいに楽しんでいるんだぞという確かなエネルギーに満ち溢れたその姿に、緑子はついつい気おされて脚を止めた。
「……あったく。頼みってそういう意味じゃねーべ。客にいうことじゃないっつの」少女は言いながらポリポリと頭をかいている。もう片方の手にはゴミ袋が握られていた。「……っどくせぇけどこっちから遠慮すんなっつった以上断れないし。あーでもなんでこんな花のJKがゴミ出しなんか…………」
少女がこちらに気付いた。
緑子は怯えて一歩退く。瞳を大きく見せるコンタクトのはまったばっちりとした目が緑子を射竦める。つい目を反らして身体を固くしながら嵐が過ぎるのを待っている緑子の姿は、全身に染み込みきったいじめられっ子根性をこの上なく体現していた。
「……良さげなのめっけ」少女は嗜虐的な表情でそう言って、嬉々とした様子で緑子に近づいてくる。緑子はますます萎縮して下を向いた。
「おらよ。これ持ってくんない?」少女はそう言って緑子の手を取り、自分の持っていたゴミ袋を強引に握らせる。「あんたもゴミ出しにいくんっしょ? じゃ、一緒に持ってってよ。一つも二つも一緒でしょ? キャハハっ」
「あ、えっと。あう……」緑子は何も言えずに二倍となった荷物を抱えるしかない。
「じゃあよろしくねー。いっやぁ身体がかっるぅいひゃあっほおうー!」
少女は嬉々としてスキップしていった。
ゴミ袋を押し付けられた緑子は俯いてその足音を聞いていた。気の優しい性格の緑子はつい自分の置かれた状況をぼーっと受け入れてしまう。軽んじられて都合良く使われるのは少し悔しいけど、同時に持って行けない重さじゃないし我慢してがんばろう。そう後ろ向きな決意をして、緑子は歩き出そうとした。
「まてぇやあんた!」誰のものよりも聞きなれた声が背後からして、声の主は緑子の手からゴミ袋を一つ引っ手繰った。「そこのあんたや!」
少女は訝し気に振り返った。紫子は緑子から引っ手繰ったゴミ袋の口を開けると、少女の顔面めがけて中のゴミを浴びせかけた。
「自分のゴミくらい自分で出さんかい! アホんだら!」
紫子は吠えた。少女は頭からゴミを被って呆然としている。三角コーナーの袋が破けたらしく、髪の毛にはカップ麺の食べ残しらしき麺やらネギやらニンジンの皮やらが張り付いていた。ドロドロのグチャグチャだ。緑子はあわあわとする。こんなの怒るに決まってる。
「あ……え? ちょ? なに?」少女は目を丸くしている。「ありえない……どういうこと?」
「緑子おまえ何やっとるねん」紫子はそう言って緑子から西浦家の分のゴミ袋を受け取った。「起きたらおまえおらんけん慌てて探しに来たら……。ウチに言わんと一人で出掛けるとか危ないで? きっちりいじめられてしもうとるし……」
「お、お姉ちゃあん……」緑子はそう言って姉に縋りつく。「あ、あんなことして……大丈夫?」
「相手が悪いんや。おまえをパシりに使うとかナメとる。ウチが許さん!」
言いながら、紫子は緑子の手を引きながら少女の隣を通り過ぎる。
少女はあまりのことに呆然として固まっていた。
シーズン4のメインシナリオの第一話です。




