いつかの先じゃなくて
夜会の翌朝から、屋敷は慌ただしくなった。
ローゼンベルク伯爵と父やユリウスは水路の拡幅について連日話し合い、
お互いの領地の専門官が屋敷を入れ替わり訪れる。
その場にはラインハルトも立ち合い、二つの領地の意見をまとめていった。
リーゼも時間を合わせて屋敷に訪れ二人だけのお茶会を開いた。
侍女がお茶を準備して下がっていくとリーゼはエレナの手をしっかりと握りながら
「約束よ、費用の半分は我が家が持つわ。
その代わり、いつかの私の婚礼に、あなたが一番いいドレスで来てちょうだい。
そして私もあなたの婚礼では一番のドレスで参列するのよ。」
と言って笑った。
そして思い出したように、リーゼは少しだけいじわるそうな表情で
「ベアトリクス様、あれからお茶会にもパーティーにも参加されてないそうよ。
招待もかなり減ったようね。奥様もご参加されてないみたい。
やっぱり噂が回るのは早いわね。」
そういってエレネの手を離して一口お茶を飲むと
「エレナは大事な時に必要な事だけをきちんと言えたわ。
それがどれだけ素晴らしいことかをみんなもっと知るべきだわ。
それは誇るべきエレナの財産のひとつよ。
私はエレナと友達でいれて本当に誇らしいわ」
エレナはリーゼの言葉に自然と涙が流れて
「私もあなたと友達で入れて誇らしいわ。本当に、、、本当にありがとう」
「私は前から知っていたけど、今回きっともう一人知った方がいたわね」
リーゼはちょっといたずらぽくウインクしたが、
エレナは先ほどの誇らしいといってくれたリーゼの言葉を
かみしめていてよく聞こえていなかった。
そんなエレナを優しくリーゼは見つめていた。
その日のお茶会は泣いたり笑ったりと賑やかに穏やかに時間は過ぎていった。
ラインハルトの滞在は、あっという間に終わりの日を迎えいていた。
その間、エレナもラインハルトもお互いに忙しくしていて顔を合わせる時間もなかった。
そして王宮に提出する報告書は、視察予定最終日の前日に仕上がった。
本来なら父とユリウスがラインハルトに提出する予定だったが
急遽、堤防の確認の打ち合わせに行くことになり
視察最終日にエレナに提出の任を任された。
夜会以来ののラインハルトとの顔合わせに緊張しながら
エレナは報告書を手渡した。
「できました。確認していただけますか」
応接室の机の上に差し出された書類の冒頭には、
被害の概要と、必要な支援の見積もりが整然と並んでいた。
添付資料の最初の頁、領主の父の名前、責任者の兄の名前
そして作成者の欄には、ひとつの名前が記されている。
「エレナ・ハルトマン」
何度見ても、自分の名前とは思えない。
けれど、確かに自分の名前だった。
ラインハルトは大事な報告書を受け取りながら
「この報告書の骨子は、あなたの資料です。
堤防の再建を、ローゼンベルク領の水路拡張と一体で行う案。
王宮はこれを、単独の復旧より費用が少なく効果が大きい計画として受け取るでしょう。
私の見立てでは、費用の大半が、支援として認められます」
しっかりとエレナを見ながら断言した。
「大半、ですか」
エレナはその言葉にうれしさの中でも少し半信半疑でつぶやいた。
「はい。決まるのは王宮ですが、私は、自分の署名で推薦します」
嘘のない誠実なラインハルトらしい言い方だった。
エレナは、その言葉に礼を言おうとして気持ちがたかぶってしまい
うまく言葉にならなかった。
この視察が始まった時は、ただただ緊張するだけの人だったラインハルトが
自分の仕事を認めてくれて、はじめての直接の悪意から毅然とかばってくれた。
話をすればするほど、誠実なラインハルトに少しづつ好意が増えていったが
そのラインハルトにこうやって最後に自分の仕事を認めてもらえた。
もうそれだけで胸がいっぱいになったのだ。
もう会うこともないかもしれない。
それでも今回の視察の間の出来事に立ち会えたことが嬉しくて
何度もうなづきながらそして深く深くお辞儀をしたのであった。
ラインハルトはそんなエレナを今まで一番優しい表情で見つめて
「私にとってあなたを知れたことがこの視察の一番の収穫だった」
と小さくつぶやいた。
出立の朝、馬車の前には、ラインハルトとユリウスが並んで話をしていた。
来た時には想像できないほど、親しそうに話している。
雲の切れ間から、薄い光が差している。
最後の挨拶のためにエレナが近づくとユリウスがなぜか気を利かせて、
侍従に呼ばれたふりをして離れていった。
エレナは少し緊張しながらラインハルトに挨拶をした
「お世話になりました」
ラインハルトはきちんとエレナに向き合いながら微笑みながら言った
「こちらこそ。堤防の工事は、春には始まるでしょう。
完成の検分には、私が来られるよう取り計らうつもりです。」
「ラインハルト様自らですか?管理官様は検分はお仕事の範囲ではないとお聞きしてます」
また来ていただけるのか。また会えるかもと思いながらエレナは問いかけた。
私が思うように彼の中に少しでも私の事が残れれば
でも、私がそんなこと思うのはおこがましいわ、、、
心の中で色々と考えていると
ラインハルトは、少しだけ考えてそしてエレナに微笑むと
「半分は、そうです。
もう半分は、この領地の図書室にまだ読み終えていない日誌が残っているので」
「日誌でしたら、いつでもお貸しします」
エレナはうれしく思いすぐに答えた。
ラインハルトは優し気にエレナに聞いた
「案内役は、あなたのままだと助かるのですが」
ふわっと風が吹いて、エレナの髪を揺らした。
ラインハルトのその言葉に裏の意味があるならばと期待をのせて
以前の自分なら絶対にそうしなかったのに
ラインハルトに少しおどけながら問いかけた。
「我が家の図書室の場所は、もうお分かりでしょう」
ラインハルトはその言葉に少し笑いながら
「ええ。ですが実は分からないこと知りたいことは、
はまだたくさんあります」
あの日、図書室で聞いたのと同じ言葉に新しい言葉が足された。
だから今度は、エレナは背を向けずに頬を染めながら
ラインハルトを見上げた。
「では、春に。お待ちしております」
その言葉にラインハルトは満足げにうなづいた。
馬車に乗る前にラインハルトが振り返り、ゆっくりと再度エレナに近づいた。
「エレナ嬢、今度こちらに伺うまでにわからないことを少しでもなくすために
あなたに文を送らせてください。そしてあなたがよろしかったらお返事ください。
それと、、、
今年のあなたが参加される王都の夜会はお会いしたいです。
是非私に案内させてください。」
エレナは初めてのラインハルトの直接の誘いに
先ほどよりよりいっそう頬を染めながら
「承知いたしました。まずは文おまちしておりますね」
その言葉を聞いてラインハルトは微笑みながらうなずいて
「必ず、送ります」
しっかりとエレナに向かって返事をした後、馬車に乗った。
ラインハルトが馬車に乗ったのを確認してから
そばに来たリーゼが、肩をぶつけてくる。
「最近で一番ステキな顔してるわ」
その言葉に照れながらも
「ありがとう。ならきっとみんなのおかげね」
そういいながら
出発した馬車が道の向こうへ小さくなっていくのを、
エレナは最後まで見送った。
翌週、早馬が王都からの知らせを運んできた。
支援は、報告書の案どおりに認められた。
堤の再建に必要な費用の大半を王宮が負い、
不足分はローゼンベルク家との共同事業として分担する。
三年間、家を覆っていた重い雲がほどけるように薄れていった。
ラインハルトの最初の文もその三日後には届いた。
そうして日々が過ぎ、ラインハルトとの文の交換も
わざわざ数える事がなくなるほど日常になってきた頃、
父は書斎にエレナを呼んで言った。
「お前の持参金のことだが」
「はい」
「金は、すぐには用意できない。だが、堤防が完成すれば、
川沿いに新しく開ける畑がある。あの土地の権利を、お前に譲ろう。
時間はかかるが、年ごとに実る持参金だ」
エレナは、驚いて父を見た。父は、少し照れたように目をそらした。
「お前のおかげでできることだ。三年間、黙って耐えさせて、すまなかった」
「いいえ、お父様。ありがとうございます。」
言いながら、エレナは笑っていた。
涙が出るより先に、笑いのほうが先に来た。
もうすぐ、ラインハルトと約束した夜会の日程も近づいてくる。
その夜はリーゼも婚約者と一緒に参加すると聞いている。
お茶会に出席する回数も以前よりふえてきた。
その中で親しくできる令嬢もできてきた。
少しづつ世界が広がっていくのがわかる。
領地の川の向こうでは、職人たちが新しい堤防のためのの石を運んでいた。
「いつか」の先を、エレナは、もう見ないふりをしなかった。
新しい日々がエレナを優しく待っている。




