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婚約破棄された人形令嬢と湖の栞(3)


「……どうして、湖に?」

「これも、今はまだ内緒です」


 ふふ、と笑ったルイは彼女の手を取って歩き出し、道案内をしてくれるロイドの亡霊に着いていった。




 欠けた月と瞬く星たちが夜の訪れを知らせてくれる。


「この湖は……」


 アリシアの美しい桃色の瞳は、静かに夜の景色を水面に移す湖に釘付けだ。風に揺れ一度歪んだ水面の景色も、風が収まれば再び映し出される。


「アリシアさん、少し目を瞑ってもらってもいいですか?」


「え、ええ」

 アリシアは素直に両手で目を覆った。


「‘Olu Makana」


 もう一度取り出した箱の中の栞にそっと魔法をかけるルイ。


 現れたロイドの幻影は優しくルイの頭に手を置くと、まだ両手で目を覆っているアリシアを抱きしめた。


『……アリシア』


 突然耳元で聞こえた彼の声にアリシアの肩は大きく揺れる。


『アリシア』


 再び聞こえてきた同じ声に震える唇で声を漏らすアリシア。


「……どうし、て?」


 アリシアは両手を目から離せずにいる。幻聴であるのが怖いのだ。もし目を開いてそこに彼がいなければ、またあの絶望を味わってしまう。


『アリシア、顔を見せて』


「……いやよ、だってこれは――」

『いるよ。私は君の前にいるよ』


 彼女を抱きしめていた手を彼女の頬に伸ばしたロイド。彼は幻影だ。感触はない。だが、アリシアには伝わったのだろう。


 やおら目から下ろされていく手のひら。開かれた彼女の桃色の瞳には、愛おしい人が映し出された。


「……ロイド、様」

『ああ、そうだよ、アリシア』


「本当に、ロイド様なの?」


 呆れと愛おしさが混ざり合った息を漏らしたロイドの幻影は、アリシアの頬を包むとその小さな唇に自分の唇を重ねた。


『どう? これで私だとわかったかい?』


「……ええ、本当にロイド様なのね」


 そう呟いたアリシアの瞳から一筋零れ落ちる涙。


『ずいぶん遅くなってしまったけれど、あの日の約束を果たしに来たよ』


 ロイドは髪と同色の眉毛を八の字に下げるとアリシアへ手を差し伸べる。アリシアはロイドの手のひらに自分の手を重ねて笑った。


「……ふふ、もう本当よ。どれだけ待ったと思うの」


『ああ、やっと笑ってくれたね』


 ロイドの瞳にも浮かび上がる涙。だが彼は零さないよう堪えアリシアに微笑み返した。



 二人並んで座り眺める夜の湖。


 思い入れがないルイとリュカの目にも美しく映るのだから、二人にとってはもっと美しく映っていることだろう。


『アリシア、君に渡したいものがあるんだ』


 ルイは魔法で栞の入った箱をアリシアの手元へ運ぶ。箱を受け取った彼女は中から栞を取り出した。シルバーでできた枠組みだけの栞だ。


『君の好きな景色を栞から覗いてみて』


 ロイドに言われた通り栞を眼前に持ってきたアリシア。


「……すてきだわ。これは湖の栞ね」


 栞が切り取る湖を眺め彼女は頬を綻ばせる。そんなアリシアを見ていたロイドも嬉しそうに、けど悲しさも滲む笑顔を浮かべた。


 このロイドは幻影であり、本当の彼はもう亡くなってしまっているのだ。


 足元や指先から消え始めた彼の幻影。


『ごめん、アリシア。もう時間のようだ』

「待って! いかないでロイド様!」


 彼を掴めないもどかしさと近づいてくる最期の時間に涙を流すアリシア。


『僕はこの栞に眠っている。ずっと君の幸せを願っているよ』


「ロイド様!」


『愛しているよ、アリシア』


 倒れるようにロイドを抱きしめたアリシアは支えられることなく草むらに倒れる。彼の温もりを求めるように自分を抱きしめた彼女は声を上げて泣いた。


「私もよ! 私もずっと愛しているわ、あなたを!」


 ルイの傍に現れたロイドの亡霊。彼は『ありがとう、小さな魔法使いさん』と微笑むと光の粒となって消えていく。




~翌日~

――カラン、カラン


「ようこそ――あれ? アリシアさん」

「こんにちは。魔法使いさん」


 昼過ぎに開かれたアトリエの扉から姿を現したのはアリシアであった。だが、どこか様子が違う。


「旅に出ることにいたしましたので、そのご報告とご挨拶を」


 笑顔で告げる彼女は、昨日までの美しいドレス姿ではなく、平民のような服装に肩には大きなカバンを掛けていた。


「それにしてもいきなりなぜ?」


 リュカの問いかけに小さく笑った彼女はカバンから栞を取り出し、アトリエのショーケースへ向けた。


「この栞で色々な景色を覗いてみたくなったのです。両親にはものすごく反対されましたが、数年の期限と護衛付きで了承を得ることができました」


 アリシアは憑き物がとれたように晴れやかな表情をしている。


 両親は彼女が以前のように笑えるようになった姿を見て、渋々ではあったが彼女のやりたいことに寄り添うことにしたのだ。


「本当にありがとう。あなたのおかげで私を取り戻せることができました。それに、ロイド様も安心して天国にお上りいただけるでしょう」


 彼は湖で見せたロイドの笑顔を思い浮かべ「はい」と返す。


「アリシアさん、行ってらっしゃい。よい旅を」

「ええ。素敵な魔法使いさん」


「ふふ」と笑ったルイの元へやってきた光の粒。しばらくアトリエの中を舞うと、光の粒は彼の首元のキューブの中へと収まっていった。



   ◇



 国家魔法機関、『五芒星』の会議にて――


「さあ、最近のアトリエへ訪れる客を見てどう思うか意見を出し合おうか」


 細く目を開いたリオン主導のもと会議は開かれた。


「アトリエには気付いた時にいる、って感じなんだよね。本当に導かれたように。あ、もちろん僕たちは別だけどね。でもさ、最近の客は自分から来てるんだよ。おかしいよね」


 頬杖をついたタリアは妖しげに口角を上げる。


「ああ。まるで誰かに道案内されたようにな」


 そう零したネロは、テーブルに足を乗せようとしてローガンにひっぱたかれていた。


「それになぜかアトリエの噂が街に出回っているのよね」


 頬に手を当てて首を傾げたシンシア。


「あの記憶の小瓶事件があってからだな」

 腕を組んだローガンが続く。


「そうだね。ゆっくりと、でも確実にルイくんに魔の手は伸びてきている。彼に悪意を持って近づく者は容赦なく潰していい。今一度気を引き締めていこうか」


 立ち上がったリオンによって打ち鳴らされた手が会議の終わりを告げた。





婚約破棄された人形令嬢と湖の栞 ―完―

ご高覧いただき感謝の至りでございます。


婚約破棄から始まる、令嬢と戦死してしまった令息の物語でした。

アリシアは今もロイドがくれた栞と共に色々な国を冒険しています。


ここまで読んでくださり、誠にありがとうございます。

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次回『魔法使い狩り』

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