婚約破棄された人形令嬢と湖の栞(2)
「アリシア、君は本が好きだったろう? だから、君のための書庫を作ったんだ。どうかな?」
ブロンドに青い瞳を持つ男性はアリシアへ手を伸ばした。アリシアの姿は今よりも少し若く、表情は生き生きとしている。
「まあ! すごいわ、ありがとう」
「喜んでもらえて良かったよ」
「今日は一日ここで過ごしてもいいかしら?」
「もちろん、初めからそのつもりさ」
「ふふ、さすがね」
掬われた手の甲に口づけを受けたアリシアは頬を桃色に染めて微笑んだ。
――――――
目を開いたアリシアの顔は微笑みの影一つない無表情に戻っている。
(懐かしい夢を見たわ)
アリシアは普段通りに身支度を整え、伯爵家の家族に見つからないよう日の出すぐに家を出た。ひとり小さな魔法使いの元へ向かうために。
◇
――カラン、カラン
「本日もよろしくお願いいたします」
「あ、アリシアさん。待っていましたよ」
アトリエに訪れたアリシアをルイはにこやかに出迎えた。
「アリシアさん、本日は図書館へ行ってみませんか? 本がお好きでしょう?」
表情は変わらなかったものの、彼女は少しく動揺を見せていた。まさに今朝見た夢で本に触れていたからだ。
「……どのようにして、そのことをご存じに?」
「うーん、まだ秘密です」
ルイは人差し指を唇の前に持ってきて微笑む。アリシアの胸には不安が募ると同時に、何かが変わるのではないかと言う言い知れぬ予感が湧き出ていた。
国立図書館に赴いたルイは入館時に魔法使いの証であるミドルケープを見せる。
「こんにちは」
「ああ、国家魔法使いさんですね。ごゆっくりどうぞ」
この国において国家魔法使いは権力を持つ組織のひとつである。よって、国立図書館の入館も許可されるのだ。
「アリシアさん、今日は一日思う存分本を読んで過ごしましょう」
「……ええ」
見渡す限り壁一面に並ぶ様々な本たち。
アリシアは無意識に「……懐かしい」と呟いていた。一冊手に取ってみる。読んだことのある、王子と平民の甘い恋の物語だ。
日が暮れるまで彼女はいくつもの本を開いては読み、を繰り返した。そのほとんどが知っている内容だ。
(……これも、これも知っている。読んだことがあるわ)
そんな彼女を見守っているルイとリュカ。リュカは腰を屈めルイに尋ねた。
「もしかして、隣に居られるのですか?」
「はい、今もずっと。そして初めから」
ルイには見えていた。彼女が初めてアトリエを訪れた時から、彼女の傍に寄り添っていたブロンドに青い瞳を持つ男性の亡霊を。
「服装を見た感じ、貴族の方のようです」
「では、彼女の家族でしょうか?」
「いえ。あの男性がアリシアさんを見つめる眼差しは愛しさに満ち溢れています。きっと、先の婚約者ではなくもう少し前の恋人、あるいは婚約者だったのかもしれません」
「……そうですか。昨日の街探検も?」
「はい、彼の提案です。一緒に回ったことのある場所だから、と」
アリシアがめくる本を隣に寄り添い見ている男性へ、ルイは不安を帯びた瞳を向け呟く。
「隣であの方は、ロイドさんは、アリシアさんを笑顔にさせようと必死で。……でも、アリシアさんにはその姿が見えていない……」
「ですが、あなたがいる」
膝をついたリュカはルイの手を下から掬い上げると告げた。
「あなたは誰よりも素晴らしい魔法使いです。大丈夫。きっとあの方に“忘れ物”を届けられます」
「……ふふ、僕のとなりにリュカさんがいてくれて良かったです」
「なによりも嬉しいお言葉、痛み入ります」
ルイはポケットの中から上質な縦長の箱を取り出した。
「それはショーケースの中にあった……」
「はい。ロイドさんがアリシアさんに渡そうとしていたものです」
その栞に魔法をかけようと目を瞑って口を開いたルイだったが、
『待って。もう少し待ってほしいんだ』
彼の元へふわりとやってきたロイドの亡霊によって止められた。
「ルイ?」
途中で魔法をやめた彼にリュカは首を傾げる。
「……ロイドさん、どこか行きたい場所があるんですね?」
『うん』
そしてロイドは一方を指さした。
――――――
『アリシア、すまない。近々起こる戦争に私も駆り出されることになった』
『……そうなのね』
『アリシア、そんな悲しそうな顔をしないでくれ』
『ですが、ロイド様……』
『必ず帰ってくるから。そうしたら、あの湖で一緒に星を見よう』
『……ええ、必ずよ』
そして二人は長い口づけを交わし、ロイドは戦争へ赴いていった。
長い、長い、三月だった。
鐘が鳴らされた。勝利と共に騎士団が国に帰還したのだ。
アリシアはロイドが帰ってくることを待った。しかし、一向に彼はやってこない。
随分と長いこと待つと、複数の馬車が伯爵邸の門前に止まった。
『ああ、あの方が帰ってきたのだわ!』
しかし、降りてきたのは騎士団数名でロイドの姿はない。その代わりに棺が降りてきた。
『……え?』
『この度は――』
騎士団のお悔やみの言葉はアリシアの耳には届くことなく、彼女はただ冷たい棺を見つめていた。
『アリシア嬢』
一人の騎士がアリシアに近づき手を差し出す。手のひらに乗っているのは上質な縦長の箱。
『ロイド様が大切に持っていた物にございます。おそらくあなた様宛ての』
無心で箱を受け取り開く。中には一通の手紙と栞。
途端、ロイドが戦死した現実を理解したアリシアはその場にくずおれ慟哭を上げた。
ロイドが亡くなってから約2年。美しいアリシアには婚約の申し出が殺到していた。
『アリシア、君とぜひ婚約がしたいと申し出があったんだ。会ってはみてくれないか?』
『そうね。アリシアも18歳を超えたわ。そろそろ新しい婚約に踏み出してみるのもいいかもね』
『はい、お父様、お母様』
アリシアは無表情で淡々と答える。以前の愛らしい笑顔を浮かべる娘は消えてしまっていた。
『アリシア様、まるで人が変わったみたいだわ』
『そうね。まったく感情を出さなくなったもの』
伯爵邸のメイドたちもアリシアの変わりように動揺を見せている。
ロイドの死はアリシアの心をひどく痛めた。胸を引き裂きたいほどの苦しみだった。
『……そうね、心から愛してしまうから、こんなにも苦しくなるんだわ。なら、こんな気持ち抱かなければいい。お父様にも、お母様にも、これから出会うすべての人にも……』
『そうしたら、失ってもこんなに苦しくならないわ……』
――――――
変わってしまったアリシアに皆は腫れもののように接した。もちろん新しい婚約者もだ。
だからこそ、アリシアに自分の思いを押し通したルイに彼女は動揺を見せたのだ。
いまだ本を開いているアリシアに近づいたルイ。
「アリシアさん、最後に湖に行きませんか?」
「……みず、うみ?」
アリシアの中に巡っていく記憶。追い出していた愛おしい記憶が彼女に戻ってくる。
ご高覧いただき感謝の至りでございます。




