割れた手鏡とシルクハットの落とし物(3)
ルイが日課の金平糖を一粒口に放ると、タイミング良くアトリエの扉が開く。
――カラン、カラン
「……すみません、失礼します」
おそるおそる入ってきたのは優しい顔立ちをした30代後半ほどの男性。身に着けているスーツはしわが目立ち、背筋の伸びた出で立ちとアンバランスだ。
「ようこそ、“忘れ物探偵事務所”『記憶のアトリエ』へ」
男性に近づいたルイは両手を前に広げて歓迎するように微笑む。男性も可愛らしいルイを見て頬を綻ばせた。
ソファーに座って紅茶で一息ついた後、男性――アルバートは話を切り出した。
「あの、昨日シルクハットの落とし物はありませんでしたか?」
「もしかしてあなたのもので?」
「あ、はい。今もここに?」
彼に頷き、あのシルクハットをショーケースから取り出す為に立ち上がったルイをリュカが止める。
「失礼ですが、ここの存在のことは耳に入っているのですよね?」
「ええ。記憶を見せてくれる魔法使いが秘密裏に営む店だ、と」
「であれば、ここには容易にたどり着けないこともご存じのはずです。そんな店に落とし物がやってくるでしょうか?」
リュカの言葉にやや目を丸くしたアルバートは押し黙り、小さく笑うと再び口を開いた。
「……はは、これは失礼いたしました。ええ、落とし物ではなく私が故意に置いたものです」
「なぜですか?」
純粋なルイの問いかけにアルバートは眉を下げて笑み答える。
「誰かが導かれて取りに来てくれるのではないか、と期待しました。そうしたら、誤解も解けるんじゃないか、と……」
――――――
『あなた今日は仕事休みなんじゃ……』
『ああ、そうなんだが急遽予定ができてしまって。すまない』
アルバートは妻の瞳が不安げに揺れているのをわかっていたが、それでも外せない大事な用だったために謝罪を口にしながら家を出る。
妻はこっそりとアルバートの後を付けた。エマはまだ家で寝ている。だから誰と会うかを一目見たらすぐに帰るつもりだった。
きっと久しく会えていなかった知人だ。自分に毎日愛を伝えてくれるアルバートの浮気など、彼女の思考には砂粒もない。
『……え? 誰よ、あの人』
だが、彼女が目にしたのは愛する夫の腕に親しげに絡みつく見知らぬ女性の姿だった。
アルバートの顔も自分に向けているのと相違なく、彼女はあの女性がアルバートにとっての大切な人であると直感せざるを得なかった。
『……ねぇ、そのシルクハットは私たち家族の前でしかかぶらないんじゃなかったの? あんな奇麗な花まで買って……』
そして、その日を境に家族は崩壊していくのだった。
――――――
ルイはアルバートがエマの父親であると察し、改めてショーケースから取り出したシルクハットを彼の前に置いた。
「あなたの“忘れ物”をお聞かせください」
「私の“忘れ物”……。妻に、エマにもう一度会いたい。私が愛しているのは二人だけだと伝えたい!」
「承りました」
ルイはシルクハットに手をかざし小さく唱える。
「‘Olu Makana」
淡く光り出したシルクハットは、リュカが開いたアトリエの扉から外へとひとりでに繰り出した。
「ちょっと、なにを!?」
愛用のシルクハットが外に出てしまい慌てて追いかけようと立ち上がったアルバートだったが、ルイの小さな体にとうせんぼうされ、やむなく座り直す。
「……はぁ」
両手で顔を覆い深いため息と共に不安が拭いきれない彼に反してルイは朗らかに微笑んでいた。
「心配いりません」
おもむろに立ち上がったルイは窓の外を指さす。
顔を上げ窓の外を見たアルバートの瞳に映る一人の少女。ふわりと風に靡くシルクハットを追いかけていた。
顔のそばかす、茶色の巻き毛。小さい頃から変わっていない。間違えるはずもない。
「……エマ……」
――カラン、カラン
腕の中にシルクハットが抱えた少女は入るなりルイに不満を垂らした。
「ちょっと! このシルクハットは大切なものだって昨日あれほど……え?」
頬を膨らませていた少女――エマだったが、アトリエの中に見知らぬ男性、否、良く知っている人を見つけてシルクハットを手から落としてしまう。
アルバートの顔を見て唇を強く噛み顔を歪ませたエマ。
「……え、エマ」
「こないで!!」
今にも泣きそうなエマに近づこうと一歩踏み出した父に激しくかぶりを振ったエマ。
「こないで! ……来たら、もう押さえられなくなっちゃう……」
彼女の大きな瞳から流れ落ちる涙。悲しみとも嬉しさともとれる涙だ。
「……あたしはもうあんたには会わないって決めたの! お母さんを傷つけたあんたには!」
「ちが――」
「何が違うって言うのよ! 他の女の人とそのシルクハットをかぶって楽しそうにしていたくせに!」
「だから違うんだ! 聞いてくれ!!」
大きな声を上げたアルバートにエマは怯えるように肩を震わせた。
「……す、すまない。でも、誤解なんだ」
「みんなそうやって言うのよ。ただの見間違いだ、って。本当に証拠はあるのか、って。でも、お母さんが見たもの! お父さんが大好きなお母さんが見間違えるはずないのよ!」
「……エマ」
もうエマに何を言っても無駄だと感じたのだろう。アルバートは自嘲気味に笑うとソファーに座り直し、組んだ手の上に額を乗せた。
「じゃあ、あたし帰るから」
「待って!」
父を涙に濡れた目で睨みつけアトリエを去ろうとするエマの腕を掴んだルイ。
「待ってください。見ましょう。あの日の記憶を」
「……必要ないわ」
「エマさんにはそうであっても、アルバートさんは違う」
「……見れるのか? 誤解が解けるのか?」
「はい。必ず」
ルイは縋るような眼差しで見つめてくるアルバートに微笑み、落ちているシルクハットを拾い上げもう一度魔法をかける。
「‘Olu Makana」
――――――
家を出たアルバートは待ち合わせ場所に向かう。相手はもう既に来ていた。
『遅れてすまない、ダニエル』
『ううん、大丈夫だよ、兄さん』
それは女性と見紛うほどに美しく着飾った弟の姿だった。
『それにしても全く違和感がないな』
『うん、たくさん研究したからね。そこらの女性よりもかわいいでしょう?』
『そうだな。でも私の妻には遠く及ばないな』
『早速のろけないでよ~。あ、そのシルクハットがもらったってやつ?』
『ああ。見せたくてな。つい被って来てしまった』
『本当に家族が大好きなんだから』
ダニエルは仕事の関係でここからかなり離れた地に滞在している。定期的に家族ぐるみで文通を交わしていたが、久しくこちらに帰ってくるとのことで会う約束を取り付けたのだ。
アルバートも仕事をしている身、二人の予定があったのはこの日だけ。
『……兄さん、恥ずかしくない? 男なのに女性の恰好をする僕が……』
『恥ずかしくなんてないさ。好きなことをして笑っているダニエルが一番輝いているよ』
弟に向けるには恥ずかしい言葉なのだが、アルバートは平気な顔で発していく。妻に対する愛情表現もいつだって真っ直ぐなのだ。
『そうだ、あいつに花を買っていこうかな』
『いいね、きっと喜ぶと思う!』
――――――
シルクハットから流れたあの日の記憶。
「……うそ、そんな」
口を両手で押さえるエマに、アルバートは優しく微笑みかけた。
「私がずっと愛しているのは家族だけだよ、エマ」
「……お、とう、さんっ……」
真実を知ったエマは腕を広げて待つ父に思い切り飛び込んだ。
「ごめんなさい! あたしたち勘違いしていたわ! お父さんはずっとお母さんのことを思っていたのにっ……!」
「ああ、わかってくれたならそれでいいさ」
二人は今まで会えなかった時間を補うように抱きしめ続けた。
「またお世話になっちゃったわね、小さな魔法使いさん。ありがとう。もう本当に会えなくなると思うけど、あなたのこと忘れないわ」
頬を染めて微笑んだエマは、しっかりと父と手を繋ぎアトリエを後にした。
「い、今から行くのかい?」
「今行かないでどうすのよ。弱気になったらダメよ」
「は、はい」
微笑ましいやりとりはアトリエの扉が閉じるとすっと消える。
「……きっと家族に戻れますよね?」
不安な瞳でリュカを見つめたルイ。
「ええ、きっと」
リュカは優しく微笑むとルイの頭を撫でた。
割れた手鏡とシルクハットの落とし物 ―完―
ご高覧いただき感謝の至りでございます。
一つの誤解からすれ違ってしまった家族の物語でした。
あの後エマの説得と、ダニエルと直接会ったことにより誤解は解け家族に戻れたようです。
次回『婚約破棄された人形令嬢と湖の栞』




