忘却の花畑(2)
『……チャーリー』
「……リアム、なの?」
顔を上げたシャルロットの目に飛び込む男性の姿。ルイの魔法で宿っていた記憶が幻影となって現れたのだ。
「あぁ……リア――」
『リアム、待って!』
幻影は彼だけではなかった。この指輪には二人の記憶が宿っている。幻影は微笑み合いながら手を繋いで花畑の中央へ歩んでいった。
突然手を離したウィリアムはその場に跪く。
『チャーリー、今日は君に伝えたいことがあるんだ』
『えぇ、いきなりどうしたの?』
ポケットに手を入れたウィリアムは丁寧に包まれたハンカチを広げていく。現れたのは銀色に輝く指輪。
『僕と結婚してほしい』
『……そんな』
『だめ、かな?』
『いいえ、もちろんよ!』
そして二人は熱い抱擁のあと初々しく口づけをした。
風が吹き芝桜の花びらが二人を祝福するかの如く舞う。そのワンシーンは息をすることを忘れてしまうほどに美しいものだった。
ふわりと消えていく幻影。
「……どうして、こんな大切な記憶を私は忘れていたの? あぁ、リアム。リアムっ……」
涙が止まらないシャルロット。指輪を抱きしめて彼の名を呼ぶ。
「ルイ。この指輪はアトリエのショーケースの中にあったもの。ここで見つけたわけではない。なぜわかったのです?」
彼女たちの幻影を離れたところで見ていたリュカはルイの隣へ並ぶと腰を屈めて尋ねた。
「シャルロットさんの指にわずかに日焼けの跡が残っていたんです」
「花畑へ訪れたのは?」
「巡った場所の中心に位置するのがこの花畑なので」
「さすがですね」
甘い笑顔を浮かべたリュカは体勢を戻すと再び視線を彼女へ戻す。
「……あの男性は今どこにいらっしゃるのでしょう」
誰にともなく呟いた彼の頬に落ちた雨粒。それは瞬く間に土砂降りへと変わった。
「雨ですか。風邪をひいてしまいますね。戻りましょうか」
ミドルケープのフードをルイに被せ、彼を軽やかに抱き上げたリュカ。そして未だ花畑の向こうを眺めているシャルロットに声をかけようと口を開いた刹那。
「いやああ!」
空間を引き裂くような叫び声が地面に咲き誇る花を揺らした。頭を抱えて蹲っているシャルロットから出たものだ。
ひとしきり叫ぶと彼女はふらりと立ち上がり歩き出す。だが、様子がおかしい。口からは同じ言葉が繰り返されていた。
「……忘れなきゃ。……忘れなきゃ」
「シャルロットさん……?」
手を伸ばして声をかけたルイに気付かず、彼女は花畑を抜けていく。
「……なにが起こったのですか? 忘れるって、今思い出したばかりなのに」
リュカの戸惑いは泡沫のように雨に消されてしまう。
――――――
ポツ、ポツとウィリアムとシャルロットの顔に落ちる雨粒。
『やだ、雨なの?』
『急いで帰ろうか?』
二人は手を繋ぎ幸せな記憶を共有したまま花畑を後にした。
だが雨脚は強まる一方。
『どこかで雨宿りしようか』
近くの酒場へ向かっている時だった。
――ヒヒーン
馬のいななきが空気を震わせた。この土砂降りで馬が興奮したのだろう。引いている馬車ごと馬は突進するように走った。
御者が手綱を引き必死に止めようとしているが暴走は治まらない。馬はそのまま角を抜け開けた場所へ出た。
だが、運悪くこどもが角から現れたのだ。暴走した馬も御者も小さなこどもの姿が見えていない。
悲鳴を上げるだけで誰も動くことができなかった中、彼だけは動いた。
『ごめん、チャーリー』
シャルロットと繋いでいた手を離しこどもを突き飛ばす。そして、彼は馬車の影に消えた。直後耳に届く鈍い音に呻き声。馬車の下から雨水と混ざり広がっていく赤。
『……リアム?』
――――――
リュカにより強制的にアトリエへ連れられたシャルロットは、ぬいぐるみに渡されたタオルで濡れた髪を拭いていた。
明るくなっていた彼女の顔は今朝ここへ来た時の生気のないものへと逆戻りだ。
「事情は分かりませんがどうやら雨と関係があるようですね」
ルイの髪をタオルで拭きながら述べたリュカに、ルイは頷いて「おそらく」と返す。
「……もう、思い出したくない。……忘れなきゃ」
タオルに顔を埋めた彼女は再び同じ言葉を繰り出した。
「そうして思い出したことを再び忘れているのですね」
シャルロットへ向けられたリュカの瞳は憐れみに満ちている。
「リュカさん、もう大丈夫です。ありがとうございます」
お礼を述べたルイはシャルロットに向かい合った。瑞々しい若葉を思わせる瞳が彼女を射抜くように見つめる。
「忘れてしまっても、いいのですか?」
「いいわ。だって覚えていたくないもの」
「忘れてしまっては、花畑での愛おしい思い出もすべて消えてしまいます。この世界でその記憶を持っているのはあなただけなのに」
ルイの訴えを聞いて彼女の目が開いていく。たまらず涙が零れ、彼女の頬を濡らしていった。
「わかっている……。でも、いやなの! 傍にあの人がいないなんて考えたくない!」
ソファーから立ち上がったルイはショーケースへ向かいながら口を開く。
「……シャルロットさん、すべてを忘れることをウィリアムさんも望むでしょうか」
そして、ショーケースから小さな箱を取り出し彼女へ手渡した。
「中を覗いてみてください」
ルイに言われるがまま開いた箱の中には枯れた花の指輪が入っていた。決して奇麗とは言えないこどもが作った拙い花の指輪。
「あ、その花、さっきの花畑のと似てるね」
「ほんとだ。枯れてるけど同じ形だよ」
ぬいぐるみたちの言う通りこの花は芝桜だ。一本の芝桜から作られた指輪。
「……どうして、これが?」
シャルロットは震える瞳でルイを見上げた。
「これは僕からのプレゼントです。‘Olu Makana」
ご高覧いただき感謝の至りでございます。




