役目を終えた盲導犬(2)
「「……犬?」」
アトリエに訪れたのは、白茶の毛並みのゴールデン・レトリバーだった。
「首輪が付いているから飼い犬だ」
「迷い犬ですか?」
「そうかもしれないです」
「わん!」
犬はもう一度吠えると、傍らにあった小さなボールのおもちゃを口に咥え、お座りでルイたちを見ている。振られることで体の左右から覗くフサフサの尻尾がまた可愛い。
「遊びたいの?」
犬の前にしゃがみルイが優しく声をかけると、犬は彼の前におもちゃを置いた。
「ふふ、とってこいする?」
「わん!」
「じゃあ、アトリエの中においで。一緒に遊ぼうか」
転生する前も家で犬を飼っていたルイ。慣れた様子で犬とじゃれ合っている。
一方、一歩引いてただ見ているだけのリュカ。
「リュカもしかして犬苦手なのー?」
「うわあ、そうなのー?」
好機逸すべからず、いじりに行くウサギとクマのぬいぐるみ。
「あなたたちはいちいちうるさいですね。言葉の通じないものは苦手なんですよ」
リュカはぬいぐるみたちを睨みつけると、気を利かせて自ら現れてくれたお皿に先刻もらったパンを置いていく。
「「わー、おいしそうなパン~」」
ぬいぐるみたちは頬に丸くて綿の詰まった手を持ってきて嬉しそう。まあ、食べられないんだけどね。
食べられなくとも料理を作るのが好きだし、美味しそうなものを見るのも好きなのだ。
「あはは、くすぐったいよー」
犬とじゃれ合っているとふとルイは立ち上がった。何もない空間を見つめている。だが、ルイには見えているのだ。そこで微笑んで犬を見ている年老いた男性の霊が。
「……チップ。きみは、チップって言うんだね」
「わん、わん!」
チップはルイを押し倒し、その柔らかな頬を舐めた。
「チップは、もしかしてこれに呼ばれてきたの?」
立ち上がったルイはショーケースへと歩み、中から白杖を取り出す。ルイの後をついて行っていたチップは白杖を見ると激しく甲高い声で鳴き、飛びあがって前足をルイの体にかけた。
床に置いてあげると、チップはすぐさま口に咥えその場で回ったり、狭いアトリエの中を走り回ったりする。
「狭いから走ると危ないよ」
ルイが声をかけると言葉を理解しているように動きを止め、彼の前でお座り。
「いい子だね」
顎の下を撫でるとチップは耳を動かす。でも、白杖は口から決して離さなかった。
「チップはおじいさんが大好きなんだね」
「わん!」
「じゃあ、これは僕からのプレゼントだよ。‘Olu Makana」
魔法がかけられた白杖から現れる目を閉じた男性の幻影。チップは嬉しそうにヘッヘと舌を出して男性の幻影に飛びかかった。
『いい子にしていたかい?』
「わん!」
『そうか、そうか』
撫でようとチップに手を伸ばした男性だったが幻影のため触れられない。それでも男性は幸せそうだった。
ルイの魔法が切れるまで一人と一匹はたくさん遊んだ。男性の幻影が消えても匂いが残っているのか、アトリエを彷徨い続けるチップ。
そんな健気なチップをルイは抱きしめた。
「少し、散歩にいこうか」
「わん!」
「「さんぽ!?」」
その単語を聞いて声を弾ませたぬいぐるみたち。立ち上がり短い足を動かしてルイに近づく。
「僕たちも行く!」
「リュカはお留守番ね」
「私も行きます。むしろあなたたちが留守番をしていなさい」
「「えー」」
いつも通りの言い合いにルイは「みんなで行きましょう」と声を出して笑った。
「リードはどうしようか」
「わふっ」
吠えるわけではなく息を吐き出したチップ。
「あ、そっか。チップは盲導犬だからリードじゃなくてハーネスだ。でもここにはないからなぁ。おりこうさんにできる?」
「わん!」
チップはまるで人間の言葉が理解できているようだ。
ルイとチップが並んで歩く後ろにリュカ。その腕の中には、やいのやいのおしゃべりが止まらない二つのぬいぐるみ。
「……はぁ、だから嫌なんですよ」
ため息をついたリュカはやはり周囲の視線を浴びている、なんせ、一人で声を変えて話していると思われているのだから。
だが、それもリュカの甘い笑顔で相殺されるのだけどね。
「チップはおりこうさんだね」
「わん」
ひとりで走っていかないお利口な犬。盲導犬なだけあってしっかりと訓練されている。
「もし、いいならウサギさんとクマさんを背中に乗せてもいい?」
「わん!」
「うわあ、それさいこう!」
「ルイ、天才だ!」
両手を上げて喜ぶぬいぐるみをリュカから受け取り、ルイはチップの背中に乗せた。
「しっかり掴まっていてね」
「「はーい」」
元気に片手を上げて答えたぬいぐるみたちは、歩くチップの背を堪能しては時々嬉しそうに感嘆の声を漏らしている。
ルイの隣に並んだリュカの顔もとても晴れ晴れとしていた。ルイに向ける笑顔がいつも以上に優しい。
そろそろアトリエに戻ろうとしていた頃。
「おい、見つけたぞ」
イラつきを滲ませた男性の声が聞こえる。そのやや後ろには腕を組んだ女性もおり、こちらは面倒くさそうな顔にため息がセット。
「あ、すいませーん。その犬うちのなんですよ」
外行きの声に変えた女性がチップを指さしながらルイたちに近づいてきた。
「チップの飼い主さんですか?」
ルイが尋ねると、男性と女性は頷き、笑顔でチップを撫で始める。
下がった尻尾。動かない足。チップの様子はどこか違和感があった。それでも、飼い主が来たなら引き渡さなければならない。
「チップ、またね」
「わん」
名残惜しそうに手を振るルイにチップも小さく吠えて答えた。
その姿が角を曲がって見えなくなってもルイはその場から動こうとしない。
そんな彼の顔を覗いて声をかけるリュカ。
「……どうしました?」
「なんか、いやだな。あのひとたち……」
ルイの胸には言い知れぬ不安が渦巻いていた。
ご高覧いただき感謝の至りでございます。
白茶の毛並みに耳の先端だけが茶色に色付いているので『チップ』と名付けられました。




