灰かむりの瞳(3)
――カラン、カラン
アトリエの扉が音を立てる。だが扉が開く気配はない。
「また幽霊か?」
「いえ、僕にもなにも見えません」
首を傾げたルイは扉を開けてみる。人の気配はない。しかし、わずかに開いた扉の隙間から何かがアトリエの中に入ってきた。
それは、ライラに渡した眼鏡だった。
宙に浮かんでいる眼鏡。ルイが触れると眼鏡から文字が飛び出す。
『これを必要としている人の元へ』
たった一文だが、この眼鏡の製作者ウォルターの意志そのもの。
「……この眼鏡にはまだウォルターさんの意志が眠っている。眠っています、先生」
十分すぎる言葉だった。ローガンは体がテーブルの角にぶつかることも厭わずアトリエを出て行った。
扉の隙間からアトリエの中に吹き付ける風は、彼が使った風の魔法の残り香。瞬間移動魔法で向かったのだ。彼の元へと。
――カラン、カラン
「もうなんだよ。なにか言えって、ローガン!」
ローガンに襟首を掴まれて引きずられている全身が黒い男――ネロ。
「ネロくん、昨日ぶりです」
「おお、ルイ」
ネロはルイを見つけると怒りを鎮めた。
彼は頻繁にこのアトリエへ顔を出しに来る。昨日も来ては一日中居座った。なにか特別な用事があるわけではない。ただルイと遊ぶために訪れるのだ。
五芒星の中で一番ルイを可愛がっているのは紛れもなくネロ。16歳である彼は他の五芒星にずっと末っ子のような扱いをされていたため、自分より年下の魔法使いが現れ可愛くて仕方がないのだろう。
普段は生意気な年ごろの少年だが、ルイにだけに見せる表情は優しく兄然としていた。
「ルイ……!」
ネロから手を離したローガンはルイに詰め寄り、その華奢な肩を掴む。
「できるんだな」
「はい。ウォルターさんの思いと僕の魔法で実現できます」
ローガンの手が離れるとルイは家のようにソファーでくつろいでいるネロの元に歩んでいき眼鏡を渡した。
「えー、眼鏡とか鼻が痛くなるから嫌なんだけど」
「そう言わずに」
どちらが年上なのかわからなくなりそうなやり取りの後、ルイから受け取った眼鏡を渋々とつけたネロ。
「いきますね。‘Olu Makana」
ルイは眼鏡へ手のひらを向けて柔らかく唱えた。
ネロの灰がかった瞳がゆっくりと開いていく。ソファーから立ち上がった彼は周囲へ視線を走らせた。
「……はは、すっげぇ。別の世界か、これ?」
ネロは無造作にウサギとクマのぬいぐるみを掴むと顔の前に持ってくる。
「わあ、ちょっと」
「乱暴だぞ、この」
「こいつらの色、本当はこんなに違うのか……はは」
手足をばたつかせて抵抗を見せるぬいぐるみたちだったが、光を宿したネロの瞳を見てはおとなしくするしかない。
「まあ、今日だけならね」
「いいよ。今日だけなら」
ぬいぐるみを戻すと今度はルイに近づいた。そして、しゃがみ彼の茅色の髪を撫でる。
「お前、こんなきれいな髪と目をしてたんだな」
そう呟いたネロの瞳から零れた一筋の涙。
「あれ?」
次々と零れ落ちてくる涙を拭おうと目に手を持ってくるが眼鏡が邪魔をする。だが外しはしない。だって、この眼鏡が彼に本当の世界を見せているのだから。
代わりにルイがネロの頬の涙を小さくて柔らかな手で拭った。
「良かったですね」
後ろで手を組んだリュカも微笑む。
一方その場にしゃがみこんだローガン。顔を両手で隠しているが、震える肩から泣いていることは明白だ。
「いい歳したおっさんが男泣きだな」
「おっさんになると涙もろくなるんだよ。というかお前も泣いてただろうが」
「俺はもう泣き止んだもん」
と、大きく鼻をすするネロ。
「おっさんの涙なんかだれも嬉しくないやい」
「ひっこめ、ひっこめー」
テーブルの上で跳びはねながらヤジを飛ばすぬいぐるみたち。すかさずローガンが鋭い睨みをとばしてひと怒り。
「うっさい、お前ら!」
たがそんなこと、ぬいぐるみには痛くも痒くもないこと。
「かかってこいやー」
「いざしょうぶー」
ぬいぐるみたちは短い手でファイティングポーズをとった。
「ローガン、あのクソ生意気なぬいぐるみどもをやっちまえー」
「やらん!」
怒りを迸らせていたローガンだったが、眼鏡をかけて楽しそうに笑うルイの顔を見ればたちまち破顔する。
賑やかなアトリエに「ふふ」と笑ったルイの元へとやってきた光の粒。しばらくアトリエの中を舞うと、光の粒は彼の首元のキューブの中へと収まっていった。
灰かむりの瞳 ―完―
ご高覧いただき感謝の至りでございます。
灰かむりの瞳をもつ者たちの物語でした。止まっていた優しさの伝播がやっと届きましたね。
次回『滲んだ手紙』




