朔の日(一)
『あー、かったるいぃぃ、学校行きたくないぃぃ』
そう言って、柱にしがみつき、駄々をこねていた陽名を、年若い宮司の鎌田が宥めつつ、車で送って行くのを見送りながら、佳月は苦笑いをした。
佳月が、しばらく学校に行けなくなると、決まって、陽名は駄々をこねて鎌田を困らせるのだ。
そして、たまに仮病を使ってズル休みをしようとする。
(陽名は、僕の事を気遣ってくれてるんだってわかってる。)
陽名と佳月の姉弟は、本当は、元々、東京の生まれだ。
けど、その記憶は無い。
姉弟が、異性一卵性双生児だとわかってすぐ、祖父が宮司をしている、隠切神社のある広島に連れて来られた。
そして、あの日ーー
『佳月知ってるか?神社の裏山に住んでる猫に、子猫が、生まれたんだぞ?』
小学二年生になった頃、幼稚園の頃からの幼馴染の蒼一が、大層な話をするみたいに佳月に耳打ちをした。
隠切神社から裏山に続く道には真っ赤な鳥居と、大きなしめ縄があった。
そして大人達は、大切な神様がいる場所だから子供は入ってはいけないと、きつく、近所の子供達に言い聞かせていた。
でないと罰が当たると。
実際、その道の入り口には『立入禁止』と書いてある看板がかかった格子状の鉄柵で囲われていて
『蒼ちゃん、すごい!どーしてそんな事知ってるの?』
『金網に穴が開いててさ、そこから見えた。
小さいのが5匹位ニャーニャー鳴いてて、可愛かったぞ』
誇らしげに話す蒼一に、佳月は目を輝かせた。
あの裏山に続く鳥居の金網は、佳月には近よっては行けない場所だった。
周りの大人たちや、姉の陽名までが、頑なに佳月をあの場所から遠ざけようとするからだ。
今日だって、佳月は風邪なんて引いてもいないのに、顔色が悪いから、外に行ってはダメだと、祖父に叱られ、佳月は学校に行かせてもらえなかった。
(陽名は良いのになんで僕だけ)
そして、迎えに来た蒼一と、陽名が楽し気に学校に行くのを佳月は、淋しい気持ちでその背中を見送ったのだった。
その、学校の帰りに蒼一は、学校からのプリントを持って見舞いに来てくれて、そして、子猫の事を教えてくれたのだ。
陽名と蒼一が、あの金網の所で遊んでいるのを見かける時に、佳月の心がチクリとする。
なんだか、モヤモヤとして、どこか淋しくて、そして、少しだけ姉の陽名に嫌な気持ちになる。
どうしてなんだろう、と佳月は思った。
『佳月、子猫見たく無いか?』
『みたい!…でも』
佳月はためらった。
いつもは優しい祖父が、あそこに近寄るだけで、厳しい顔をして、佳月を叱るからだ。
『大丈夫だって!さっきお前の爺ちゃん、うちの爺ちゃんと囲碁してたの、見たから』
『ほんと?!』
祖父は囲碁が大好きで、いつも、暇を見つけては蒼一の祖父と部屋にこもり、長々と碁を打っている。
『すぐ帰って来たら、きっと誰にもバレないぞ?陽名にも内緒でさ』
『うん!行く!』
『陽名にも内緒で』
その言葉が、佳月の背中を押した。
そっと、部屋を抜け出し、裏山に続く道へと駆け出した。
うまい具合に今日は、誰にも見つからない。
裏山へはそんなに距離はない。
子供の足でも十分足らずで着く。
今日は天気も良く、山道に続く木々の葉もキラキラと光ってる。
知らず、佳月の心は踊っていた。
『ほら、あそこ』
蒼一の声で、金網に開いた小さな穴を、佳月は覗いてみた。
『にゃー』
途端に、聞こえる子猫の細い鳴き声。
一匹鳴き出すと、合唱の様に他の子猫も鳴き出した。
触りたい、でも、それには金網の中に入って鳥居に近寄らなくてはいけない。
『中入ってみようぜ』
蒼一は、佳月の返事を待たずに、穴から中へと入って行く。
祖父の厳しい顔を思い出して、一瞬、ためらったが、好奇心に負け佳月は金網の穴へと入って行った。
グニャリ、途端に身体の中が動いた気がしたが、それも一瞬の事。
首を傾げながらも、蒼一の後へと着いて行く。
その時、今まで天気が良く、日差しに溢れていた空に、暗雲がゆっくりと立ち込めて来ていた。




