いつもの朝
境内を竹箒で掃き清めた後に、まだ、明けて間もない東の空を眺める。
朝の日差しの橙が、夜の名残の紫に溶け込み、やがて本当の朝がやって来る狭間の時間。
薄っすらとかいた額の汗を拭い、手水舎で手を洗い、口をゆすいだ。
(払いたまえ、清めたまえ)
口の中で何度も唱える。
本殿の前に立ち、一礼し柏手をうつ。
乾いた、だが、よく通る音が隅々まで広がり、波紋の様に打ち返してきた。
土門佳月は、朝のお勤めの前のこの時間が好きだ。
きん、と、風ひとつ無い真冬の凍りついた空気の様に、本当の何も無い空間。
胸深く、息を吸い込み、細く長く吐き出す。
やがて、身体の隅々まで真新しい、朝の息吹が染み渡ってきた。
「今日も良き日になります」
掌を合わせ、本殿の前で宣言すると、砂利を踏み締める音が背後から聞こえた。
振り向かなくても、それが誰か佳月には分かる。
「いい言葉だよな」
「毎回毎回、同じ事言ってて飽きないね蒼一」
振り向けば、違わずそこには学生服に身を包み、竹刀と防具が入った袋を肩に掛けた幼馴染がいた。
スラリとした長身に、今時、流行らない黒の学ラン。
だけど、幼馴染の宮入蒼一には、そんな古風な黒がよく似合っている。
「イイだろ?何時聞いても良いものはイイ」
佳月の、つまらない憎まれ口にも蒼一は、そう言うとニッと笑ってさらりと受け流した。
同じ十七歳だと言うのに、自分の子供じみた態度とは違う。
思わず、苦いものを噛んでしまった気がして、佳月は瞳を伏せた。
「朝稽古?」
問いかける言葉にも剣がある。
内心でそんな自分に苛立ちを感じても、佳月にはどうする事も出来ない。
「おぅ、対抗戦が近いからな、これから毎朝だよ」
掃除の後片付けをする振りをして、竹箒を握った。
本殿の前で、蒼一は真摯に祈っている。
最近、身体が大きくなって行くに連れ、大人びて男らしくなった横顔を盗む様に見る。
きり、と上がった眉、瞼を閉じれば分からないが、切れ長の澄んだ綺麗な瞳をしている。
笑えば無くなるその目元が、一度何かに夢中になると、何処と無く大人びた色気があるのだと、誰かが言っていた。
通った鼻筋の下に、結ばれた唇。
真一文字に結ばれたそれにも蒼一の真っ直ぐで偽らない人柄が見て取れる様だった。
「さて!」
よく伸びる大きな声に、佳月は飛び上がりそうになった。
同性の幼馴染の横顔を盗み見ていた行為を、咎められた様な気になるのだ。
「行って来るわ」
竹刀と防具を担ぎ直すと、そう言って節くれだった大きな手のひらで、蒼一は佳月の黒髪を、クシャと混ぜた。
「犬かなんかと一緒にするな!」
思わず、手を払いのける。
その自分の態度にもヒヤリとしてしまう。
蒼一は、気を悪くしていないか。
自分の、頬は赤くなってないか。
一瞬、高鳴った心臓の音も聞こえてはいないか。
佳月の頭の中は、そればかりになる。
気づいて欲しく無い。
けど、少しは知ってほしい。
「ははっ、佳月は犬って言うより猫だよな」
「だから!」
カラカラと笑って、蒼一が言う言葉に、それこそ猫が毛を逆立てて、唸り声を上げる様に食ってかかった。
分かっているのだ。
蒼一が、こうして自分を構いに来る訳は。
「今日からしばらく、佳月は学校来れないんだよな」
「う、ん」
佳月は、その言葉に、しがみつく様にして、竹箒の持ち手をぎゅうと握り締めた。
「帰り又、寄るわ」
今度はポンと軽く頭を叩くと、文句を言う間も無く軽い足取りで蒼一は、境内の長い階段を駆け下りて行った。
「…馬鹿じゃないか」
『と、佳月は憎まれ口を叩いたが、本当の気持ちは別にある事は分かっていた』
耳元で、鈴を転がすような少女の声がして、佳月は今度こそ声も無く、飛び上がった。
「姉ちゃん!!」
「確かに私は、あんたの姉だが、名前があるのだと、何度言えば分かるのか」
艶のある長い黒髪。
形の良い卵形の顔に、筆で書いた様な眉、その下のアーモンド型の瞳に、そこらの女子高生が羨ましがる程の長くて、濃い睫毛。
ビューラーなんかで形づけなくてもその睫毛は綺麗なカールを描いている。
首は細く長く、少し撫で肩の身体は性を感じさせる生々しさはまだ無いが、青くて硬い果実の様な瑞々しい生命力があった。
髪の長さこそ違うが、まるで鏡を見ているかの様な姿。
「…陽名」
「分かればいいの、あんたは私の弟なんだからアンポンタンじゃないはずだもの」
ニッコリ、その微笑み一つだけで、誰もが振り返る。
鮮やかで、華のある笑顔。
絵に描いたような「美少女」。
それが、佳月の一卵性異性双生児の姉だった。
だが。
そんな美少女の姉と瓜二つの自分は、姉の様な華も、生命力も無い。
いや、ぼやけているのだと、思う。
「しかし、あの男もやるわね、今度の話のネタに使えそう」
「頼むから、それだけはヤメテクダサイ」
「大人びた男になって来た同性の幼馴染に、何故かトキメキを隠せない、この気持ちはなんなんだろうか、いや、すでに知ってるのに知りたくない、知ってはいけない、何故ならそれは、禁断の想いなのだから…萌えるわぁ」
乳白色の、頬を恍惚と桜色に染めて、うっとりと、瞳を閉じる。
脳内で堪能したのか、セーラー服の襞スカートをくるりとひらめかせた陽名が、ニッコリと微笑み、振り向いた。
「今度のコミケに、間に合わせなくっちゃっ」
「うわ、見事にスルー」




