05:ポンコツ王子は字が汚い
それからまた二週間ほど、特に音沙汰はなかった。
私が送った手紙は、王宮のどこかで燃やされたのではないか。
そんな疑念が頭をよぎり、怒りで震えながら暴れそうになることもあったが、完璧令嬢たるもの、そんな醜態を晒すわけにはいかない。
本日分の授業と課題を完璧にこなし、すべて終わらせて作った自由な時間。今日は優雅に紅茶を飲みながら、自室で古代の文献を読み漁っていた。
興味深い記述を見つければ、今度試してみようかと書き留め、思考を整理するためのメモも残していく。
すると、軽やかなノック音が部屋に響いた。
「失礼いたします、お嬢様」
いつになくにこやかな専属侍女、アビーが入ってくる。
どうしたのか尋ねようとした私の視線は、彼女の手に握られた一通の手紙へ吸い寄せられた。
封蝋には、王家の印が刻まれている。
「良かったですね、お嬢様。王太子殿下からお手紙のお返事ですよ!」
「あら、随分と返事が遅かったから、もう忘れていたわ。やはり王家の検分は厳しいのかしら」
アビーが嬉しそうに手紙を差し出してくる。平静を装いながら手紙を受け取る。
封筒には、見覚えのない妙な模様まで描かれていた。
いったい何なのかと首を傾げながら眺めていると、アビーが呆れたように口を開く。
「本当に早く来てほしいですよね。毎日、数時間おきに手紙が来ていないか聞かれるこちらの身にもなってほしいです」
「不敬だから言葉には気をつけなさいな」
「はぁい」
「それから、招待状や友人からの手紙がいつ届くかも分からないのだから、毎日の確認くらい普通でしょう」
「もう、お嬢様は素直じゃないんですから」
「黙らっしゃい」
文句を垂れる侍女を軽くあしらい、私は封蝋を指先で撫でた。
王家の印を押したものとは思えないほど、歪んだ丸である。
それでも一応、封蝋としての役割は果たしているらしい。
私はペーパーナイフを差し込み、慎重に封を開けた。
「……うん?」
思わず眉を寄せた。
婚約者からの手紙を読んで浮かべる表情ではないことは分かっている。それでも、これは仕方がない。
紙を一度机へ置き、改めて持ち上げてみる。
「何かしら、これ」
嫌がらせの手紙か、怪文書かと思った。
私は眉間を押さえた。
……字が、汚いのである。
先ほどまで読んでいた古代文明の暗号のほうが、まだ親切である。
それでも婚約者からの手紙なのだから、何とか読み解かなければならない。
私は紙を机へ置き、姿勢を正した。
これは古代文字の解読だと思えばいい。そう考えれば、多少は気が楽になる。
最初に読めたのは、どうにか判別できたこの一文だった。
『リリィへ』
そこだけは、やけに大きく書かれている。
「私の名前だけは上手なのね」
思わず呟く。
私は何度も目を凝らし、どうにか続きを読み解いていく。
『てがみありがとう! リリィのぶんはむずかしくてよむのにじかんがかかった!』
『なんかいもかきなおした!』
「そこは同意するわ」
私は頷いた。
なぜなら、この字を解読するのにとても時間がかかっているからである。
「それに、何回も書き直してこれなの?」
私は思わず天井を見上げた。
何回書き直したのか知らないが、少なくとも上達はしていない。
その下には、さらに大きな文字が並んでいる。
『きょうはあさおきた! きょうのじゅぎょうはねむかった! せんせいにおこされた! でもちゃんとべんきょうした!』
私は目を閉じた。
「幼児の日記ではありませんのよ」
しかも、「ちゃんと勉強した」というところだけ妙に筆圧が強い。
本人としては、かなり重要な報告なのだろう。
私は頭痛を覚えながら、さらに下へ目を移した。
『あときょうはころんだ! リリィもころばないようにな!』
どうやら廊下で足を滑らせたらしい。
幸い怪我はなかったようだが、そのことをわざわざ婚約者へ報告する王太子というのも、なかなか珍しい。
そして、その下には少しだけ字が小さくなって、こんな言葉が続いていた。
『リリィはげんきか? ちゃんとねてるか? べんきょうしすぎてないか?』
そこだけは、少しだけ文章らしくなっていた。
けれど、その直後には大きな文字で、
『またあいたい! リリィとおちゃしたい! またはなしたい! はやくあいたい!』
と書かれている。
同じことを何度も書く必要はないでしょう。
そう思いながらも、なぜか頬が少し熱くなる。
『このてがみ、だいじにする! リリィからもらったてがみはぜんぶだいじにする! またてがみかく!』
最後に、どうにか判読できた署名。
『ライオネル・サンチェス』
私は便箋を机へ置いた。
礼儀もない。格式もない。内容もない。
王太子殿下から婚約者へ送る手紙として、これほど自由なものが存在していいのだろうか。
「お嬢様、どうでした?」
隣からアビーが尋ねてくる。
私は便箋を机の上へ置いたまま、彼女へ視線を向けた。
アビーは楽しそうに私の顔を覗き込む。
「アビー、これをどう思う?」
「とても可愛らしいお手紙ですね」
私が解読して書き写したメモの方を見て、アビーは迷うことなく答えた。
「私は王太子の婚約者なのだけれど」
思わず言い返す。
王太子の婚約者ともあろう者が受け取る手紙なら、もう少し格式があって然るべきではないだろうか。
ところが、アビーはきょとんとした顔をしたあと、楽しそうに笑った。
「だからこそですよ。王太子殿下が、お嬢様に会いたいって一生懸命書いてくださったんですから」
「一生懸命なのは分かるわ。でも、授業で眠かったとか、転んだとかまで報告する必要があるのかしら?」
「それだけ、お嬢様に自分のことを知ってほしいんですよ」
アビーの言葉に、私は手紙へ視線を戻した。
確かに文字は酷い。
けれど、書かれていることを思えば、ライオネル様が必死に私へ伝えようとしてくれたことだけは分かる。
「愛されてますね、お嬢様」
「黙らっしゃい」
私は手紙を取り上げると、誰にも見られないように胸元へ引き寄せた。
そして、少しだけ頬を熱くしながら、もう一度その文字を眺める。
どうしようもなく不格好な手紙だった。破り捨ててもいいぐらいの出来だ。
けれど、不思議とそうするつもりはなかった。




