02:完璧令嬢はポンコツな婚約者と交流する
顔合わせのお茶会が無事に終わると、いよいよ王太子妃教育が始まった。私はほぼ毎日王宮に通い、朝から夕刻までみっちり教育を受けている。
ライオネル様と会えるのは、月に一、二度のお茶会だけ。
王太子妃教育が始まれば、きっとそれが当たり前になるのだと思っていた。
ところが、何故か私はライオネル様の顔を毎日見ることになる。
初めて王太子妃教育を受けた日のことだった。
内容は高度で、授業の進む速度も速い。慣れないことばかりではあったが、完璧令嬢としての矜持がある私は、必死に食らいついていた。
そんな授業の合間、ようやく休憩時間に入った頃だった。
廊下から、人の気配を感じた。
もちろん王宮なのだから、使用人など人がたくさんいるのは当たり前だ。けれど、私が王太子妃教育を受けている部屋の周囲は、人払いがされている。
王太子殿下の婚約者である私には、誘拐や暗殺への警戒も欠かせない。護衛も常についているため、私はこうした気配には人一倍敏感になっていた。
それなのに、護衛たちが動く気配はない。
一令嬢に過ぎない私が気づける程度なら、部屋の外にいる護衛たちがもっと早く気づいているはずなのに。
不審に思った私は、護衛を伴って廊下へ出てみた。
――そこには、ライオネル様がいた。
これなら護衛たちが動かなかったのも納得できる。
王族である彼を、まさか無理やり追い出すわけにもいかない。
ただ、気になることが一つある。
ライオネル様は、柱に隠れるようにして立っていたのだ。
どこから見ても丸見えだから、隠れているつもりなのかは疑問だが。
「ライオネル様、どうしてこちらへ?」
私が声をかけると、ライオネル様は一瞬だけ目を泳がせ、それから何でもないことのように胸を張った。
「……ああ! 王宮を歩いていたら、たまたまここに来たんだ!」
「まあ、そうでしたの」
随分と都合のいい偶然ですこと。
けれど、わざわざ私の王太子妃教育が行われている部屋まで来た理由を問い詰めるほど、私は野暮ではない。
「リリィは、毎日ここにいるのか?」
「ええ。王太子妃教育がありますもの。しばらくは毎日通う予定ですわ」
「そうなのか!」
ライオネル様はぱっと顔を輝かせた。
「じゃあ、毎日会えるんだな!」
「……まあ、休憩時間くらいでしたら」
「本当か!?」
あまりに嬉しそうなので、私は思わず目を瞬いた。
「ええ。ですが、私は勉強がありますから、あまり長くはお話しできませんわ」
「分かった!」
元気よく返事をしたライオネル様は、それから何かを考えるように黙り込んだ。
何か言いたそうなのに、なかなか言葉が出てこないらしい。
「どうされましたの?」
「いや、その……」
ライオネル様は私の顔を見つめ、それからちらりと部屋のほうへ視線を向けた。
「今日は、何を勉強したんだ?」
「王太子妃として必要な礼儀作法や歴史、それから政治について少々」
「そうか!」
大きく頷いたものの、その先が続かない。
何故か少し困ったような顔をしている。
もしかして、まだ何か聞きたいことがあるのだろうか。
そう思って待っていると、ライオネル様は突然、窓の外を指差した。
「リリィ、今日はいい天気だな!」
「……そうですわね?」
窓の外を見れば、穏やかな陽射しが庭を照らしている。
王宮の庭園では色とりどりの花が咲き誇り、風に揺れる花弁が陽光を受けてきらきらと輝いていた。
「この花も綺麗だな!」
「王宮の庭師が丹精込めて育てているそうですわ。確か、今年の春に植え替えたばかりの品種だったかと」
「そうなのか! ……リリィは、花が好きか?」
「まあ。綺麗なものを見るのは好きですわ」
「そうか!」
ライオネル様は嬉しそうに笑った。
言伝もなしに私の元へやって来るくらいなのだから、何か相談でもあるのかと思っていたのだが。
天気の話をして、花の話をして、それから私の好きなものを聞く。
それだけでも、ライオネル様は満足そうだった。
「じゃあ、俺はもう行く!」
「まあ。もうお帰りになるのですか?」
「また来る!」
そう言い残して、ライオネル様は足取り軽く廊下の向こうへ去っていった。
私はその背中を見送りながら、小さく首を傾げる。
結局、何をしに来たのかはよく分からない。
けれど、本人が満足そうに帰っていったのだから、まあいいかと気に留めることもなかった。
ところが、翌日の休憩時間になると、また廊下から人の気配がした。
顔を出してみれば、昨日と同じように柱の陰からこちらを窺っているライオネル様がいる。
「……また来たのですか?」
「偶然だ!」
「まあ、そうでしたの」
どう考えても偶然ではないのだけれど、私はそれ以上追及しなかった。
それからというもの、休憩時間になるたび、ライオネル様は私の元へやって来るようになった。
気づけば一ヶ月もの間、一日も欠かさず、彼は私の王太子妃教育が行われる部屋の近くまで足を運んでいた。
それだけ通い詰めても、隠れる技術だけは一向に上達しない。むしろ、最近では隠れ方が大胆になっている気さえする。
一度、ライオネル様が植木鉢を抱えて立っていたことがある。
……何故、植木鉢を選んだのか。
本人は大真面目だったらしいが、身体はほとんど隠れておらず、頭だけが見えている。
あのときは、笑ってはいけないと必死に耐えたものだ。
そして今日も、ライオネル様は廊下で待ち伏せしていた。
教育係の先生もすでに気づいているようで、眼鏡を指で押し上げながら、深いため息を吐いている。
「今日も廊下が騒がしいですね……」
呆れているようだったが、長話をしなければ黙認してくれている。
もしかすると、いつも休憩時間を早めているのも、ライオネル様をあまり待たせないためなのかもしれない。
私は廊下へ出ると、柱の陰からこちらを窺っている彼に声をかけた。
「あら、ライオネル様?」
「ぐ、偶然だな!!!」
「えぇ、偶然ですわね。ごきげんよう」
たった今気づいたというように声をかける。
毎日毎日偶然なわけがないと思いながら、私は彼に笑顔を向けた。
「いやぁ、その、いい天気だな!」
「今日は雨が降っていますけれど」
「……あ、そうだった!」
「恵みの雨とも言いますし、人によってはいい天気かもしれませんわね」
「そ、そういうことだ!」
会話が苦手なライオネル様のために、私はせっせと助け舟を出す。
王太子殿下と婚約者が廊下で天気の話ばかりしているというのも、なかなか奇妙な光景だと思う。
それでも、ライオネル様は私と少し話せるだけで満足そうに笑う。
ところが、あまり長く話していると教育係の先生に注意され、ライオネル様付きの執事が迎えに来る。
今日も例外ではなかった。
「殿下、そろそろお戻りください」
執事が迎えに来ると、ライオネル様は涙目になりながら私の服の裾を掴んだ。
「どうされたのです?」
「……リリィともっと話したくて」
「今日はもうお時間ですけれど」
私は少し考えてから、彼に微笑みかけた。
「では明日も、お話してくださいますか?」
「うん!」
途端に、ライオネル様の顔が明るくなる。
そのまま執事に抱えられ、ライオネル様は部屋へと連れていかれた。
「殿下、暴れないでください」
「リリィ、また明日も来るからな!」
「だから抜け出してはいけません」
最後まで執事に言い聞かされながら、ライオネル様の姿が見えなくなる。
私はしばらくその場に立っていたが、やがて元いた部屋へ戻った。
……静かだ。
先ほどまで騒がしかったせいか、いつもより部屋が広く感じる。
最初は、どうしてライオネル様が毎日のように私の元へ来るのか分からなかった。
けれど、一ヶ月も経てば慣れてしまうものらしい。
休憩時間になれば廊下に目を向け、柱の陰にライオネル様がいるかどうかを確かめる。
そんな毎日が、いつの間にか当たり前になっていた。
明日もまた、あの方は来てくれるのだろう。
そう思いながら、私は王太子妃教育の教本を開いた。




