27:蜂蜜は期待を乗せて
まだ寒いけれども、吹く風が温んできた頃。この日はすっきりしない曇天で、薄暗かった。
だるまストーブを出しては有るけれど、特に中で火は焚かずに、かわりに暖房を点けている。
次の休業日にはストーブをしまうか。真利はそんな事を考えながら、ティーポットに茶葉を入れる。今日のお茶は、蜂蜜の甘い香りがする紅茶だ。
給湯ポットからティーポットにお湯を注ぎ、蓋をする。それからレジカウンターの上に乗せ、暫く茶葉を蒸らす。
真利がお茶を淹れるとき、蒸らし時間を計ると言う事はあまりしない。お客さんに出すときもそうなのだが、ティーポットにお湯を注いで、ティーカップの準備をして居る間にそれなりに時間が経ってしまうのだ。時間を計るための砂時計は、この店にもある。けれどもそれは商品で、商品を使って時間を計るというのはいかがな物かと思っている。
暫しの間、いつもの赤い倚子の上でぼうっとする。何とも無しに店内を見渡し、それからお茶をいつものカップに注いだ。
甘い香りのお茶は水色が強く、もしかしたら渋く出てしまったかも知れない。そっと熱いお茶を口に含むと、甘い香りとは裏腹に、渋みが舌の上でざらついた。
こういう渋いお茶も好きだけれど。そう思いながらお茶を楽しんでいると、店の扉が開いた。
「こんちわー」
そう言いながら入って来たのは、襟元にフェイクファーの付いたダウンコートを着ている男性。オペラの髪に着けているヘアピンには、落雁のような質感の、小花のカボッションが飾りで付いている。
「いらっしゃいませ、緑さん。
お久しぶりですね、今日はおひとりですか?」
「そうなんですよ。普段割とひとりでフラフラしてること多くて」
「そうなんですね」
ふと、緑が持っている紙袋が目に入った。紺色の地に、唐草模様の入ったシールが貼られていて、真利はそれに見覚えが有る。
「林檎さんの所に行かれたのですね」
真利が微笑んでそう言うと、緑が嬉しそうに答える。
「そうなんですよ。ちょっと買い物して、あと色々お話もさせて貰って。
それで、折角来たんだし、真利さんの所も寄ろうかなって」
「ふふっ、ありがとうございます。
もしお時間よろしいようでしたら、お茶を一杯如何ですか? 先程淹れたばかりなんです」
「良いんですか? それじゃあいただきます」
緑の言葉に、真利はレジカウンターの裏に有る棚でカップを選ぶ。少し棚の前で手を迷わせて、グリフィンが描かれたカップを出し、その中に紅茶を注ぐ。それから、折りたたみ式の木の倚子を出してカンターの前に広げた。
「お待たせ致しました。どうぞ、お掛けください」
そう声を掛けると、緑は軽い足取りで倚子に近寄り、腰掛ける。
「ありがとうございます。
なんか、甘い香りのお茶ですね」
「蜂蜜の香りを付けた紅茶でございます。
あ、でも、渋く出してしまったのですが、お砂糖はご入り用ですか?」
「えっと、有ると嬉しいです」
「かしこまりました。少々お待ちください」
緑にカップを渡し、棚から角砂糖を取り出す。その角砂糖は、四角い砂糖の上に、薔薇の花が色つきの砂糖で模られている、小振りな物だった。
それを三個ほど、同じく棚から出したココットに入れ、緑に渡す。
「どうぞ」
「へー、こんなかわいい角砂糖があるんですね」
「そうですね。見掛けたときに少しずつ、こう言った物を買うようにしています」
金色のメッキがまだらになったティースプーンも緑に手渡すと、早速彼は角砂糖をふたつ、紅茶に入れてかき混ぜている。
真利もいつもの椅子に座り、お茶を飲む。ふと、緑に訊ねた。
「林檎さんとは、どんなお話をしてきたのですか?」
緑は少し困ったように笑って答える。
「今、うちの博物館で解析して居る青銅器の話です。
その青銅器、どうやら林檎さんの店から引き取った物だったみたいで、林檎さんも驚いてましたよ」
「えっ? もしかして、あの青銅器のマスクですか?」
「そうです。すごく珍しい物なので、うちの青銅器研究班も手を焼いてるみたいです」
まさかここで、だいぶ前に見た青銅器の話が出てくるとは思っていなかったので、真利も驚いた。
「どういう物かがわかったら、面白いでしょうね」
真利がにこりと笑ってそう言うと、緑も楽しみだと言った様子で答える。
「そうですね。俺は畑違いなんで研究には加わってないんですけど、結果が楽しみですね」
東洋骨董のことは真利にはよくわからないけれど、もし新しい発見があったら。そう思うとわくわくする気持ちも湧いてくる。暫し真利と緑のふたりで青銅器の話をして、お茶を楽しんだのだった。




