26:雪の降る日に
蝋梅がちらほら咲き始めた頃のこと。この日は薄暗く、空からはさらさらと粉雪が降ってきていた。
こんな日にはお客さんが来ない。と言いたいところだけれども、案外人が入ったりする物だ。
店の中央に置かれただるまストーブの上には鍋が乗せられていて、真利がおたまでかき回す度に、シナモンと、ジンジャーと、オレンジ、それにワインの香りが広がった。
ホットワインを、おたまでチャイナボーンのカップに注ぐ。深い赤は、まるで宝石のようだった。
「こんな色の宝石があったね。
……なんといったっけ。鉄礬柘榴石、だったかな?」
林檎から教わったことを思い出しながら、ホットワインを味わう。甘くスパイシーで、深い味わいだ。
だるまストーブとホットワインで暖まっていると、店の入り口が開いた。
「いらっしゃいませ」
真利がレジカウンターにカップを置いて挨拶をすると、入ってきたのは柔らかい桃色の髪を編んで、肩から垂らしている女性だった。
外は余程寒いのだろう、踝まである緑のロングコートにケープを着け、首には黒いモヘアのマフラーを巻いている。
その女性に、真利は見覚えが有った。
「お久しぶりでございます。
先日の額縁は、役に立っておりますか?」
彼女は以前、この店で自分が描いた絵を入れると言って、額縁を買っていた。その時の額縁は、丁度鍋の中で暖まっているワインの様なボルドーだった。
彼女は真利の言葉を聞いて、ふわりと笑う。
「はい。あの額縁に丁度いい絵がありました。
素敵な額縁に入れると、絵も引き立つ物ですね」
「そうですね。額縁は、絵を引き立てるための物ですから」
照れたように笑う彼女に、こう訊ねる。
「ところで、外は寒かったでしょう。ホットワインを一杯如何ですか?」
すると彼女は、何かを言いかけた後、両手を擦り合わせて答えた。
「そうですね、冷えてしまったみたいなので、暖かい物をいただけると助かります。
一杯、よろしいですか?」
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
真利は倚子から立ち上がり、レジカウンターの裏にある棚からカップを選ぶ。彼女には、どのカップが合うだろう。少し考えて、以前会った時の話を少し思い出す。真利はグリフィンの絵が描かれたカップを選んだ。
カップをだるまストーブの元まで持っていき、ホットワインを注ぐ。それを、棚の上に置かれたノベルティカードを見ている彼女に差し出した。
「お待たせいたしました。どうぞ。
よろしければ、ストーブの前にお掛けになりますか?」
冷えて白くなっている彼女の手を見て、また訊ねる。彼女は差し出されたカップを両手で持ちながら答えた。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただいて良いですか?
足の先まで、冷えてしまって」
「かしこまりました。ただいま倚子をお持ちします」
真利はまたレジカウンターの裏に回り、木製の折りたたみ椅子を出す。それをだるまストーブの前に広げて、彼女に勧めた。
「どうぞ、お掛け下さい」
「はい、ありがとうございます」
ロングコートの裾を押さえながら、彼女が椅子に座る。マフラーに乗っていた雪が、じわりと溶けた。
真利と彼女、ストーブを挟んで向かい合わせに座り、暫く黙ってホットワインを飲んでいた。
ふと、彼女が口を開いた。
「お会いしてまだ二回目なのに、親切にしてくださってありがとうございます」
その言葉に、真利はにこりと笑う。
「何回目でも、お客様はお客様ですから。
それに、こうやってお話しさせていただくのも楽しいですし」
「そうですか」
暖まったのか、彼女の頬がじんわりと染まっていく。彼女はひとくち、ワインを飲んでから真利に言った。
「よろしければ、お名前を伺っても良いですか?」
彼女のその言葉からは、何故だか寂しさが感じられた。真利は持っているカップを両手で包んで答える。
「僕は真利と申します。
よろしければ、あなたのお名前もお聞かせ願えますか?」
彼女ははにかんで答える。
「私は、聖史と言います」
「聖史さんですか。
聖史さん、以後お見知りおきを」
真利がそう言うと、聖史は口元を引き締めて、こう言った。
「これからもここに伺いたいのですが、これから忙しくなりそうで、今後来られるかどうか……」
「そうなのですか、あまり、無理はなさらないでくださいね」
聖史は確か、軍に所属していると言っていた。部署が変わるのか、それとも重要なポストに就くのか。それはわからなかったけれども、名を聞く前に会えなくならずに良かったと、せめてそう思う。
窓の外では、まだ雪が降り続いている。真利はもう少し、この暖かい時間を過ごしていたかった。




