理解の温度
ガレオンの不在は,三日目に入っていた.
王都は静かだった.
あまりに静かで,
逆に人を落ち着かなくさせる程度には.
騎士団内部では,細かな調整が続いている.
結界の再点検.
巡回経路の再編.
魔導施設の稼働確認.
その中心に,いつの間にかリリーがいた.
命令されたわけではない.
指名されたわけでもない.
「……ここ,少し詰まっています」
「数値は問題ないぞ」
「はい」
「ですが,
このままだと,次に動かしたときに嫌な音がします」
「嫌な音?」
「経験的に」
曖昧だ.
だが,誰も笑わない.
結局,全員が彼女の言う通りに動いた.
作業が終わるころには,日が傾いていた.
リリーは,ようやく息を吐く.
(……団長がいない)
そう思ってから,
自分がその事実を「前提」として受け入れていることに気づく.
胸の奥が,少しだけざわついた.
学舎へ戻る途中,
中庭で,聞き覚えのある声がした.
「今日も王都は無事でしたね」
振り向くと,セシリオが立っていた.
今日は王城の堅い服装ではない.
学舎に紛れても違和感のない,少し気取った私服だ.
「……それは,褒め言葉でしょうか」
「ええ」
彼は肩をすくめる.
「“何も起きなかった”というのは,
私たちの仕事としては最高の成果です」
二人は,中庭の石のベンチに腰を下ろす.
距離は,いつの間にか自然になっていた.
「団長がいない間,
あなたが現場を回しているそうですね」
「回している,というほどでは……」
「では,
“現場が回ってしまっている”と言いましょうか」
少し笑う.
リリーも,つられて口元を緩めた.
「怖くはありませんか」
セシリオは,軽い調子で聞く.
「団長がいないのに,
判断を任される状況」
「……怖いです」
「即答ですね」
「はい」
「間違えたら,
取り返しがつかないかもしれません」
「それは」
セシリオは,少し考えてから言った.
「私も同じです」
「セシリオ様も?」
「ええ」
「毎回です」
「正直に言うと,
間違えなかった日の方が少ない」
冗談めかして言うが,
目は笑っていない.
「ただ」
「私の場合,
間違えても怒られるのは私だけです」
「……私も,
怒られるなら,それだけで済むのですが」
「それは困りますね」
彼は即座に返す.
「あなたが怒られたら,
現場が困ります」
リリーは,一瞬きょとんとして,
小さく笑った.
その笑顔を見て,
セシリオは,少しだけ声の調子を落とす.
「あなたは」
「団長のそばにいるとき,
守られている」
「……はい」
「ですが今は」
「自分で立っている」
「……そうでしょうか」
「ええ」
「少なくとも,
団長の背中を探していない」
図星だった.
リリーは,何も言えない.
「安心してください」
セシリオは,軽く手を振る.
「それは,
団長を裏切っているわけではありません」
「……」
「むしろ逆です」
「彼がいなくても崩れないなら,
彼は,安心して戻ってこられる」
その言い方が,
少しだけ優しかった.
「団長が戻れば」
セシリオは続ける.
「あなたは,また彼のそばに立つ」
「はい」
「ですが」
「今のあなたは,
消えません」
断定だった.
だが,押しつけがましくない.
「あなたはもう」
「“団長の影”ではない」
その言葉に,
リリーは,ゆっくり息を吐いた.
「……ありがとうございます」
気づけば,
自然に口にしていた.
信仰ではない.
評価でもない.
理解されている,
という感覚だった.
セシリオは,少しだけ困ったように笑う.
「お礼を言われると,
何か企んでいるみたいで困ります」
「……企んでいないのですか」
「していますよ」
即答だった.
「ただし,
今日は“悪い企み”ではありません」
その軽さに,
リリーは,思わず笑ってしまった.
「困ったときは」
彼は立ち上がりながら言う.
「判断を委ねるのではなく,
前提を共有してください」
「前提を?」
「ええ」
「間違えるなら,
一緒に間違えましょう」
それは,
とても危険で,
とても甘い言葉だった.
「……はい」
即答しなかったのは,
リリーなりの慎重さだった.
セシリオは,それで満足したようだった.
これ以上踏み込まない.
距離を詰めすぎない.
彼は,境界を知っている.
去っていく背中を見送りながら,
リリーは思う.
ガレオンは,まだ戻らない.
だが,
自分は一人ではない.
信仰と理解.
強さと判断.
その間にある温度が,
少しずつ変わり始めている.
それが,
良いことなのか,
危険なことなのかは,
まだ分からない.
だが――
今は,少しだけ,心が軽かった.




