同じ高さの視線
学舎の午後は,静かすぎるほど整っている.
授業の合間,回廊に人影は少ない.
魔力の流れも,感情の揺れも,
訓練場や王城に比べれば,驚くほど穏やかだった.
リリーは,この時間帯の学舎が好きだった.
放課後になると,資料室に寄り,
古い魔導理論書や補助術式の記録をめくる.
評価されなかった魔法の痕跡を拾い集めるのは,
彼女にとって特別な行為ではない.
ただ,落ち着くのだ.
「……リリー嬢」
背後から声がかかる.
落ち着いた,よく通る声.
振り返る前から,誰か分かる.
「セシリオ様」
彼は学舎には少し不釣り合いな服装で立っていた.
王城の人間特有の気配が,
この場所の静けさにわずかな影を落とす.
「少し,時間をいただけますか」
「はい」
断る理由は,思いつかなかった.
二人は,資料室の奥にある小さな閲覧室に入る.
人目がなく,声も響かない場所だ.
セシリオは,最初からここを選んでいた.
「ここなら,話しやすい」
「……はい」
向かい合って腰を下ろす.
距離は,近すぎない.
だが遠くもない.
同じ高さで話すための位置取りだった.
「先日の件で」
セシリオは,穏やかに切り出す.
「あなたに,直接伝えておきたいことがあります」
「王城の評価の話でしょうか」
「ええ」
わずかに微笑む.
理解できる相手として扱う視線だ.
「あなたの補助魔法は」
彼は,前置きを省いた.
「団長の力を底上げしているわけではありません」
リリーは,少し首を傾げる.
「違うのですか」
「はい」
「あなたは,
団長が“最強であろうとしなくていい瞬間”を作っています」
言葉が,静かに落ちる.
称賛の形をしているが,
どこか分析的だ.
「それは」
セシリオは続ける.
「団長という存在を,
より純粋な象徴にします」
「……象徴」
「ええ」
「彼は,多くの人間にとって,
信仰に近い拠り所です」
リリーは黙って聞いている.
評価も,反論もない.
ただ,言葉を受け取っている.
「あなたが彼を支えることで」
「彼は,人間でありながら,
象徴で居続けられる」
一見すると,褒め言葉だった.
だが,胸の奥に,わずかな違和感が残る.
「……それは」
リリーは慎重に言う.
「団長を,
人としてではなく扱う,
という意味にも聞こえます」
セシリオは,一瞬だけ目を細め,
すぐに表情を戻した.
「否定はしません」
空気が,ほんの少し張る.
「人は」
セシリオは静かに続ける.
「象徴を,
人として扱えなくなることがあります」
「……」
「だからこそ」
「あなたのような存在が,
現実側に必要なのです」
その言い方は,
団長の隣の話ではない.
リリー本人に向けたものだった.
「王城は」
彼は言う.
「あなたを,
団長の付属物として扱いたがっています」
リリーの胸が,わずかにざわつく.
「ですが私は」
セシリオは,はっきり言った.
「あなたを,
独立した判断を持つ存在として見ています」
同じ高さの視線.
信仰者でも,補助役でもない.
対等に近い位置取り.
「……それは」
「魅力的でしょう?」
否定できなかった.
だが,素直に肯定もできない.
「団長は」
セシリオは続ける.
「象徴として在り続けるでしょう」
「それは,美しい姿勢です」
褒めている.
だが,同時に距離を取っている.
「ただ」
「世界を動かす判断を下すのは,
象徴ではありません」
そこで,リリーははっきり気づいた.
この人は,
団長を“信仰される側”に固定し,
自分を“判断する側”に引き込もうとしている.
「……私に」
「はい」
「団長の代わりに,
決めろと?」
セシリオは即答しなかった.
その沈黙が,十分な答えだった.
「強制はしません」
彼は柔らかく言う.
「選択肢を,示しているだけです」
懐に入るやり方だ.
命令しない.
否定しない.
理解者の顔をする.
「あなたは」
セシリオは言う.
「団長を,信仰している」
「……はい」
「その信仰が,
あなた自身の判断を,
曇らせることはありませんか」
鋭い問いだった.
だが,刃は隠されている.
リリーは,すぐには答えなかった.
視線を逸らさず,言う.
「分かりません」
「それでいい」
セシリオは,満足そうに頷いた.
「分からないと答えられる人間は,
扱いにくい」
その言葉に,
リリーは,はっきりと違和感を覚えた.
「セシリオ様」
「何でしょう」
「私は」
リリーは,静かに言う.
「団長のそばにいることを,
やめるつもりはありません」
「ええ」
「ですが」
「それを理由に,
団長の代わりに判断するつもりもありません」
空気が,わずかに変わる.
セシリオの表情が,一瞬だけ読めなくなる.
「私は」
「自分の魔法を使う判断は,
自分でします」
拒絶ではない.
線を引いただけだ.
「……なるほど」
セシリオは,ゆっくり頷いた.
「いい答えです」
本心かどうかは分からない.
だが,これ以上踏み込んではこなかった.
「今日は,ここまでにしましょう」
立ち上がり,一礼する.
去り際,彼は振り返った.
「忠告を一つ」
「団長を信仰対象にしている限り,
彼は守られます」
「……はい」
「ですが」
「あなた自身を,
誰が守るのかは,
考えておくといい」
それだけ言い残し,
彼は学舎を後にした.
リリーは,一人,椅子に残る.
胸の奥に,静かなざわめきがある.
(私は)
誰の象徴にもならない.
誰の懐にも,完全には入らない.
ただ,
自分の魔法と判断を,
手放さないと決めただけだ.
補助魔法は,目立たない.
だが,
人の思惑の間を,静かにすり抜けることはできる.
それが,
リリーという魔法士の,
確かな輪郭だった.




