問いかける者
セシル・フェルディナントは,結論を急がない男だった.
魔法理論においても,政治においても,
「正解に見えるものほど疑え」が信条だ.
だから,あの少女に対しても,
すぐに評価を下すつもりはなかった.
(……だが,放置もできない)
王都の学舎.
昼下がりの回廊は,人通りが少ない.
石壁に反射する光が,静かすぎるほどだった.
その中央で,セシルはリリーを見つけた.
術式ノートを抱え,歩く速度は一定.
周囲の魔力を,無意識に均している.
「こんにちは,リリー嬢」
声をかけると,彼女はすぐに立ち止まり,丁寧に一礼した.
「こんにちは,セシル様」
「少し,時間をいただいても?」
「はい.問題ありません」
迷いがない.
それが,セシルには一番気になった.
二人は,中庭の端にあるベンチに腰を下ろす.
花壇の世話をする庭師の気配だけが,遠くにある.
「率直に聞きます」
セシルは前置きを省いた.
「あなたは,今もアルスティア団長を支えているつもりですか」
リリーは,すぐには答えなかった.
少し考え,正直に言う.
「……以前とは,違います」
「どう違う」
「以前は」
「団長が最強で居続けられるように,支えていました」
セシルは,静かに頷く.
分かりやすい.
そして,危うい.
「今は?」
「今は」
リリーは,言葉を探す.
「団長が,ご自身で立つのを,妨げないようにしています」
その答えに,セシルは一瞬だけ目を細めた.
(……やはり)
「それは,あなたにとって,楽ですか」
「いいえ」
「苦しい?」
「……分かりません」
即答ではない.
だが,逃げてもいない.
「では,なぜ続けるのです」
リリーは,膝の上で指を組んだ.
魔力は動かない.
術式も展開されない.
ただ,考えている.
「私は」
「団長のそばにいることで,
自分が何者かを,確かめてきました」
セシルは,その言葉を待っていた.
「信仰という言葉は,便利でした」
リリーは,続ける.
「正しい理由のように見えましたし,
疑問を持たずに済みました」
「今は?」
「今は」
少し,視線を落とす.
「疑問があります」
それでいい.
疑問が生まれるのは,選択の前兆だ.
「もし」
セシルは,あえて核心を突く.
「団長が,最強でなくなったとしても,
あなたはそばにいますか」
風が,中庭を抜ける.
花が,わずかに揺れた.
リリーは,すぐには答えなかった.
長い沈黙.
だが,やがて,はっきりと口を開く.
「……はい」
理由は,続かなかった.
だが,その一言には,逃げがなかった.
「それは」
セシルは,静かに言う.
「信仰ではありませんね」
「……はい」
「依存でもない」
「はい」
「では,何です」
リリーは,困ったように微笑んだ.
「まだ,名前がありません」
その答えに,セシルは小さく息を吐いた.
そして,初めて,笑った.
「それは,危険です」
「危険,ですか」
「ええ」
「名前がないものは,
周囲から,勝手な名前を付けられる」
リリーは,目を見開く.
それは,魔法理論にはない警告だった.
「貴族社会は」
セシルは続ける.
「分かりやすい物語を欲しがる」
「信仰,専属補助,象徴」
「どれも,あなたを縛る言葉です」
「……」
「だから,いずれ選ばなければならない」
「立場か」
「意思か」
リリーは,ゆっくりと息を吸った.
「私は」
言いかけて,止まる.
まだ,言葉が足りない.
「今は」
「考えています」
「それでいい」
セシルは,即答した.
「考える者は,操れない」
「少なくとも,簡単には」
立ち上がり,軽く一礼する.
「忠告です,リリー嬢」
「あなたは,すでに選ばれる側ではありません」
「……?」
「選ぶ側に,なり始めています」
その言葉は,
重くも,甘くもなかった.
ただ,事実だった.
別れ際,セシルは振り返る.
「アルスティア団長は」
「あなたに選ばれたいと思っている」
リリーは,言葉を失った.
「それが」
セシルは続ける.
「彼にとって,最も危険で,
最も救いでもある」
そう言い残し,去っていく.
夕方.
リリーは,訓練場の外に立っていた.
中から聞こえる剣の音.
団長の気配.
半径三歩.
だが,今日は,一歩だけ近づく.
そして,止まる.
(私は)
支えるためだけに,ここにいるのではない.
信仰するためだけでもない.
それでも,
選ぶのは,まだ怖い.
だが,逃げないと決めた.
リリーは,胸の前で,そっと手を合わせた.
祈りではない.
補助でもない.
ただ,自分の意志を,確かめるために.
世界は,まだ答えをくれない.
だが,問いは,はっきりした.
それで,十分だった.




