アイビーヒルの切り株亭・3
その時、大きな声が店内の空気を割った。
「お姉ちゃんがとったんだろ! 返してよ!」
ロザリーたちがハッとして声の方角を向くと、お仕着せ姿の使用人の女性に、十歳前後の少年が突っかかっている。
「なんだ? トラブルか?」
その場にいた三人にしか聞こえないくらい小さな舌打ちを残して、レイモンドが対応に向かった。
辺りは騒然とし、ロザリーも興味を引かれてそちらを見つめた。
少年は女性の腰のあたりまで、と低い身長で、鼻の周りにソバカスがある。どうやら宿に泊まっていたお客のようだ。
「チェルシー何があった?」
駆けつけてきたレイモンドにほっとしたように、チェルシーと呼ばれた女性はわずかに笑顔を見せた。
栗色の髪を結い上げ、勝気さを感じさせる太めの眉が印象的だ。
助けが来たとばかりに、レイモンドに必死に訴える。
「レイ……。この子の記念硬貨が無くなったらしいんだけど。私、取ったりしていないわ。誤解なのよ」
「嘘だ! だって部屋に入れたのはお姉ちゃんだけじゃないか。パパも触ってないって言ったもん」
「でも私じゃないわ。だとしたら失くしたのよ」
「僕が悪いっていうの?」
少年は涙を浮かべてチェルシーに突っかかっていく。とはいえ、事情を知らずに聞いているこちらとしてはチンプンカンプンだ。レイモンドもふたりをなだめるように少年の肩を押さえる。
「僕、落ち着いてくれるかな。親御さんを交えて話そう。ええと」
レイモンドが少年を座らせるために奥の席を探すと、ケネスがにっこり笑って手招きした。
「ここで話せばいいよ。領主子息として、その話、見届けようじゃないか」
きょとんとした顔で少年はケネスを見上げる。
まさか、お貴族様がここにいるとは思っていなかったようだ。
食堂は、今の一件によって騒然としている。
中央の席に先ほどの少年が父親を伴って座り、その向かいには宿屋の従業員であるチェルシーとレイモンドが座っている。
横で審判でもするように立つのがケネスで、ザックとロザリーは隣の席からそれを見守っていた。
親子の主張をまとめると、次のようになる。
父親はここよりも南の港町で商売をしているゲイリー・エバンズ。息子の名前はボビーといった。
今年は国王在位三十年の節目に当たる。そこで王都では、祝宴が開かれ、十年ごとの節目で発行される記念硬貨が販売されたのだ。
合計三百枚しか作られない記念硬貨は、額面よりも高い金額で販売されるにも関わらず、国民がこぞって手に入れたがる貴重品だ。
それを手に入れるために、親子ははるばる王都まで旅をしての帰り道だった。
ボビーは元々、ボビー・カラスと揶揄されるほど、光るものやキラキラしたものが好きだった。
腰のベルトに括り付けている母親が作ってくれた布袋には、彼が大切にしているコインやガラス玉がずっしりと入っている。
そんな彼だから、記念硬貨はことのほか気に入った。嬉しさのあまり、昨晩の夕食時にも食堂でいろんな客相手に自慢していたのだ。
『ほら、簡単には手に入らない記念硬貨だぞ!』
あまりの騒ぎように、眉をひそめる客もいたのだという。しかし、レイモンドもチェルシーも人手不足の食堂をまわすのに忙しく、それを咎めたりはしなかった。
ボビーは散々自慢したことで満足し、父親とふたり、部屋に戻っていった。
そのあと、少年と父親は入浴しかしていない。
途中、チェルシーは子供には高すぎるので枕を変えてほしいという要望に対応するために一度部屋に入った。
たまたま用を足しに行ったボビーは不在だったが、父親のゲイリーは彼女が枕を交換してすぐ部屋を出たのを見ている。その間ほんの数分だ。
夜が明けて、少年がいつものように袋の中身を確認しようと机の上に広げたとき、キラキラした金色の記念硬貨はすっかり姿を消していたというのだ。
「僕たち以外に部屋に入ったのはお姉ちゃんだけだよ。だからお姉ちゃんが犯人だ!」
少年の主張は無茶苦茶である。しかしもっと無茶苦茶なのは、それを父親であるゲイリーが頷きながら聞いていることである。
「私はこの宿屋の従業員です。宿に不利益になることはしません。枕を変えたときも袋なんて見ておりませんし、入浴中だって貴重品は預からせていただいているはずですわ」
今でこそ個室が増えてきたが、以前は宿といっても大部屋で雑魚寝することが普通だった。その時の名残で、切り株亭では貴重品をカウンターに置いてある金庫で預かるシステムを取っている。
チェルシーはやましいところなどないとでもいうように、堂々と言い切った。
「なんなら私の荷物をお調べください。それで気が済むというのなら」
「そうさせてもらおう。しかし君の荷物から記念硬貨が出てきたときは分かってるな? こんな宿、つぶしてやる」
ガラの悪い父親の態度に、ケネスもザックも眉をひそめる。
「あの、失礼ですが、話の論点がずれていませんか?」
おずおずと口をはさんだのはロザリーだ。
失くしものと聞いて、妙に興味が湧いてしまった。なんといってもリルは探し物の名手だったのだから。
「チェルシーさんが盗んだとか盗まなかったの話じゃなくて、失くなったコインを見つけたいだけなのですよね。だったら、人を疑うよりも、失くした経緯をちゃんと洗い直すほうが大事だと思います」
ケンカ腰だった親子とチェルシーは毒気が抜かれたようにロザリーを見つめる。
「ボビー君。コインを最後に見たのはいつですか? 覚えている限りでいいので、教えてください」
しゃがんで、椅子に座る少年と目線を合わせたロザリーに、ボビーは戸惑いつつもぼそぼそと話し始めた。




