アイビーヒルの切り株亭・2
「いいじゃないか、レイモンド。お前、人手が足りないと言っていただろう」
脇から、先ほどの貴族の青年が後押しするように言う。ロザリーはホッとして顔を上げ、金髪の青年に感謝の意を示した。
その時、カウンターに座ったままの黒髪の青年とも目があう。
先ほどから全然話には加わってこないが、ロザリーに興味があるのかこちらをじっと見ている。
緑色の瞳が綺麗で、見とれてしまうほど端正な顔をしている。だが雰囲気はどこか鋭く、棘があるようにも感じて、ロザリーは思わず身をすくめてしまう。
「ケネス様、今欲しいのは仕事に慣れた従業員なんですよ。……君は働いた経験はないだろう? 見たところいいところのお嬢さんに見えるんだが、親御さんは一体」
レイモンドと呼ばれた店主はそうまくし立てた。
ロザリーは一瞬体をびくつかせ、父母のことを思い出し、襲ってくるはずの悲しみが訪れないことに目を伏せる。
「両親は、……亡くなりました。それで、その……」
もじもじと、気まずさにしどろもどろになっていただけなのだが、レイモンドと貴族の青年の間には気遣うような空気が流れ始めていた。
しかし、そこで、ロザリーのお腹の虫がぐううううう、と大声で鳴いた。
「きゃああああ、すみませんー!」
真っ赤になったロザリーは、慌てて顔を抑える。
「……ぶっ」
最初に噴出したのはレイモンドでも金髪の青年でもない。カウンター席からロザリーにずっと鋭い視線を送っていた黒髪の青年だった。笑うと鋭さが緩和され、途端に優し気な印象になる。ロザリーは破顔した彼に見とれた。
「ははは。腹が減っているんじゃないのか。レイモンド。雇う雇わないは置いておいて、彼女に食べ物を。俺が奢ろう。腹が減ってはなにも出来ないしな」
「す、すみません」
ただでさえ真っ赤な顔がますます赤くなる。
「そうだね。食事は人生で最も大切なものだよ。だから私は君を伯爵家に欲しいんだがなぁ」
金髪の青年がレイモンドの肩をたたき、ロザリーの荷物を持ってテーブル席に移動する。
「え、あの」
「こっちにおいでロザリーくん。俺はイートン伯爵の嫡男、ケネスだ。以後、お見知りおきを」
「まあっ、伯爵子息様でしたの?」
「君は? 平民の娘ではなさそうだが。……どこのご令嬢なんだい?」
問いかけられて、ロザリーは何と答えたらいいかわからずうつむく。
ロザリーの父・ルイス男爵は田舎の弱小貴族だが、領地を健全に維持し、資産運用でもってそれなりに裕福な暮らしをしていた。しかし、二ヵ月前の当主の事故死により爵位は隠居していた祖父のエイブラムが再び継承した。
その状況でこうしてロザリーが旅しているのを知られれば、人はエイブラムがロザリーを追い出したと思うだろう。まして、令嬢ロザリンドは病気であるという嘘までついているのだから。
祖父が人から悪く言われるのが嫌で、ロザリーは明言できない。
ロザリーが困り果てて押し黙っていると、黒髪の青年が助け舟を出してくれた。
「いいじゃないか。人には詮索されたくないことくらいある。なんでも好きなものを頼むといい。ここの料理人の腕は他に類を見ないほどいいぞ」
「ありがとうございます。……ええと」
「俺はザックだ」
「ザック様。私のことはロザリーと呼んでくださいませ」
ぺこりと頭を下げれば、ザックは意志の強そうな端正な顔に、笑みをのぞかせた。ロザリーはなんだか嬉しくなって、「ではこの『畑の恵みのシチュー定食』というのを」と続ける。
「聞こえたよな、レイモンド」
ザックの声にレイモンドは頷き、ケネスがそこに「俺とザックに蜂蜜酒を追加だ」と付け加えた。
(どうやら、同じテーブルに着くのですね?)
初対面の割に親し気なこの伯爵子息に不審なものを感じつつも、おごりというのはありがたいので黙ってロザリーも座る。
地顔が笑顔とも言えそうなケネスに対し、ザックのほうは口もとを引き締めているほうが多い。
ただ無表情というのとも違う。感情をあまり表に出さないようにしている、といった印象だ。
「一つだけ聞いていいかな。君みたいなかわいいお嬢さんがひとりで旅をしているのは不思議なんだが、それは自分の意思で?」
ケネスの問いかけは、ロザリーを問い詰める感じではなかった。ロザリーはこくんと頷き、「身寄りはもういません。私、仕事を探しています」と続けた。
「後見人を失ったということかな。しかし、君は働くのには向いてなさそうだが」
「まあっ、そんなことはありません。私、自分のお部屋の掃除は自分でやっていましたのよ」
胸を反らすと、ザックがポソリと反論した。
「自分の部屋だけの掃除と、金をもらう掃除を一緒に考えているなら痛い目を見るぞ」
それは、胸に突き刺さる言葉だった。最近感じることのなかった悲しい気持ちが襲ってくる。
耳のあたりがむずがゆい。しゅんとした気持ちが、そうさせるのかもしれない。
明らかにしょげ返ったロザリーに、ザックはぎょっとした顔をする。
「っ……悪かった。言い過ぎ……」
「はい、お待ちどう!」
間が悪く、お盆に料理と飲み物をのせたレイモンドが割って入ってきて、ザックの謝罪はロザリーには届かなかった。
それをしっかり観察していたケネスは、笑いをこらえながら料理を勧める。
「まあまあ、ロザリーくん、食べなよ。腹が減っているといい考えも浮かばないしね」
ケネスに言われ、ロザリーは申し訳ないような気持ちでちらりとザックを見たが、彼が無表情ながら頷いたので、ありがたく頂戴することにする。
「……いただきます」
目の前の料理からはすごくいい香りがする。その匂いだけで、口によだれがたまり、嬉しくてお尻がムズムズしてしまう。
ロザリーはひとさじすくって口に入れた。
濃厚なクリームと香ばしく炒められた玉ねぎの織り成すハーモニーが絶妙だ。ご飯を食べて胸が温かくなる、という感覚は初めて味わったかも知れない。
「おいしいです」
単純すぎる誉め言葉だが、他に言葉が思いつかない。
すぐに次のひと口をすくい、瞬く間にお皿を空にしてしまった。
ケネスもその勢いには圧倒されたらしく、「おお……さすがレイモンドの料理だな」とわけのわからない感心の仕方をしていた。
「はあっ、おいしかった。どうやってつくるんですか、こんなにおいしい料理」
リルの記憶がよみがえってから、料理にこんなにも感動したのは初めてだ。
自然に笑顔が出て、心がポカポカしている。
(やっぱり、この街にいれば感情が取り戻せる気がする)
「気持ちよく食ってくれたからこれはサービスしよう」
ケネスやザックが飲んでいるものと同じ蜂蜜酒をロザリーの目の前に置く。
「ありがとうございます」
(……これを飲んだら帰れと言うことでしょうか)
なんとかしてここにいたい。
けれど、ザックの言うように、ロザリーには働いた経験がない。軽々しく雇ってほしいなどと言ってみたが、断られるのも仕方ないような気がする。
だが、もう戻るところもないのだ。ここがだめなら、この街のどんな店でもいい。何とかして仕事を探さなくては。




