こじれた恋愛模様・3
「馬ですか?」
「乗って来たんだ。ロザリー、乗馬の経験は?」
「あ、ありません。馬車しか……」
「では俺にしっかり掴まるといい。大丈夫だよ。こいつは気性の穏やかな馬だから」
ザックはロザリーの腰を掴むとひょいと馬の背まで持ち上げた。
すぐそばに馬の匂いを感じ、生温かい体温が伝わってくる。鞍に横座りになった状態だ。
いぶかし気に振り向く馬をなだめるようにザックが撫でた。
「しっかりつかまってろよ。少し揺れるぞ」
「え?」
ザックは鐙に足をかけ、ひらりと馬に飛び乗る。振動とともに、ザックから香る白檀がロザリーを包む。
「ど、どこに行くんですか?」
「ケネスの屋敷だ」
「えっ?」
屋敷とは、あの丘の上に見えるお屋敷のことか。
距離はそう遠くはないが、歩いたら三十分くらいはかかるだろう。
「って……ひゃあっ」
ザックが馬の尻を叩くと、馬は調子よく走り出す。風が自分の体を吹き抜けていく。初めての感覚にロザリーは興奮した。
「うわあっ。すごいです、ザックさん。速い。それに高い」
「怖くはないか?」
「怖く……無いです。ザックさんがいますし」
落ちそうになっても絶対にザックが助けてくれる。
ロザリーはそこまでの信頼を彼に感じている自分に驚いた。
初めて乗る馬の上でも、こんなに安心できるくらいに、彼を信じている。
「……俺の正体を知って、君が変わらないといいんだが」
「え?」
「いや、何でもないよ」
馬が更にスピードを上げたので、聞き取れなかった言葉を追求することができなかった。さすがにロザリーも楽しいばかりではなくなってきて、体を縮こませていると、お腹のあたりにザックの腕が回される。
「絶対落とさないから心配するな」
「……はい」
速さへの恐怖の代わりに、密着したドキドキが全身を支配する。
(白檀の香り……条件反射でドキドキしちゃいます)
馬はあっという間に丘を駆け上がり、ロザリーたちを白壁の豪邸へと連れてきた。
その時間は十分もかかっていない。歩みを緩めた馬が門に近づいただけで、門番が頭を下げ、道を開ける。
「ザック様、おかえりなさいませ」
「また出るから、近くにつないでおいてくれ」
先に自分が下り、ロザリーの腰を掴んで下ろす。そして、黒服の護衛たちに馬を引き渡した。
ケネスの屋敷はロザリーが暮らしていた男爵邸よりも格段に大きかった。
まず門から玄関までが長いのだ。きっと昼間に訪れれば目を奪われるような庭園が広がっているのだろう。
「やあ、よく来たね。ロザリー嬢」
玄関先で迎えてくれるのはケネスだ。使用人たちは敢えて下がらせているらしい。上着を脱いでいて、シャツとベストというラフなスタイルだ。
「夜分遅くに申し訳ありません。ケネス様」
ロザリーはスカートをつまんで礼をする。ケネスはその所作を見てほほ笑んだ。
「やはり君はある程度の教育は受けている女性なんだな。だが一つだけ忠告すると、夜に男に呼び出されて素直についてくるのは危ないよ?」
言われて、ロザリーは意外だというように目をぱちくりとさせる。
「え? でも、ザック様ですよ?」
「よく知っている男でもね。どんな下心が隠れているかわからないよ?」
「人聞きの悪いことを言うな、ケネス」
ザックが途端に慌てだすので、珍しいその姿にロザリーは笑ってしまった。
「ケネス様。私にはザック様が私を傷つけようとするとは思いません」
「あまり信用しすぎるなという意味だよ。傷つける気はなくても、男には衝動が止まらないときだってある」
意味ありげにウィンクをして、ケネスは応接室へと案内した。
ソファがいくつも並べられていて、軽く十人は座れそうだ。茶色と赤色で東洋風の模様が描かれた絨毯。落ち着いた色合いの壁。調度品を見ると、イートン伯爵のセンスの良さが伝わってくる。
ロザリーは勧められたソファに腰掛ける。広い屋敷に招かれた経験はほとんどなかったので、どうすればよいのか思いつかない。
すぐにメイドがひとりやってきて、お茶を入れていった。
「片づけは明日でいいよ。しばらくこの部屋には近づかないように」
「はい、失礼いたします」
ケネスに微笑み、メイドが下がるとすっかり静かになった。人払いをしているのだ。
向かいに座ったザックとケネスは「さて」とかしこまってロザリーを見つめる。
「あの、……話って」
「昼間のことだ。君の耳には届いていただろう? 護衛たちが俺のことを何と呼んだか」
確認するようにザックの視線がロザリーを捉えた。
「『殿下』……ですよね? 聞き間違いではないのですよね? ザック様はもしかして」
「そう。彼はこの国の第二王子、アイザック・ボールドウィン殿下だ」
前のめりになったロザリーに正解を教えたのはケネスだ。
予想していたものの、いざ言い切られてしまえば疑いたくなる。だって王子が一介の伯爵家でのんびりと過ごしているなんて誰も思わない。まして気軽に街に降り、庶民と触れ合ったりしているなんて。
「本当……なんですか?」
「まあね。事情があって、我が伯爵家で彼を預かっている。君に知られてしまったのは予定外だったが仕方ない。彼の正体は秘密にしているんだ。俺たちとともに秘密を守ると誓ってほしい」
ケネスが説明している間中、ザックは無表情のままだ。
ロザリーは胸がざわついたまま、秘密を守るという意味で何度も頷いた。
「わかりました。ザック様の正体はレイモンドさんにも誰にも言いません」
「まあ、俺の事情はいいだろう。別に何も変わらないよ。王子であることを隠し、伯爵家の遠縁のザック・バーンズを名乗っている。……あながち嘘でもないんだ。俺とケネスは同じ乳母に育てられたんだから。俺が生まれたころ、母親はここに避難していたからな」
「避難……ですか?」
「君は知らないかな? 母は側室だ。他国の血が混じっている城仕えの侍女で、正妃にしてみれば憎らしい以外の相手ではなかっただろう」
「白檀の……採れる国ですか?」
「ああ、そうだ」
穏やかにザックがほほ笑む。
あの時ザックは香木を大事なものだと言っていた。おそらく母親から託されたものなのだろう。
王国の歴史は家庭教師から学んだ。
多くの国が乱立し小競り合いが続いていたこの一帯の土地は、武力で力をつけた始祖が戦争で周辺国を取り込み、モーリア国として建国した。現王が八代目の国王になる。三代目の時代に直系男子が生まれずに跡目争いが起こったことから、王族に限り一夫多妻制が導入された。それ以来、直系男子長子が継ぐことで、国内は平和が保たれていたはずだ。
賢王が続き、人々は考えることを止めた。
王家に任せておけば、すべてはうまく回っていくのだから問題ないのだ。
だから一応勉強として習ったが、ロザリーも王家のことには詳しくない。
辺境の男爵令嬢など、社交界デビューのときに国王に形式上の挨拶をするくらいで、それ以後は王族にお目にかかることもないのだから。
……と思っていたのに、ロザリーは知らないうちに、第二王子と出会ってしまったというわけだ。
「現国王には三人の王子様がいらっしゃると教わりました。私はてっきり、全員同じ王妃様からお生まれになったんだと……」
「残念ながら俺だけが側室の子だ。まあ、普通王太子を生んだ正妃をないがしろにする国王はいない。父がおかしいんだ。だから多少の虐げは仕方がないとは思うが、俺や母も人間なんでね。耐えるにも限界がある。……色々あって、俺は城から逃げ出した。その辺の事情はいつか話すよ」
(いつか教えてもらえるんですか?)
ロザリーは不思議に思ってザックを見つめる。
ロザリーがザックとこんな風に親しくなれたのは偶然に過ぎない。本来なら、辺境の男爵令嬢と第二王子は、顔を見合わせることさえないはずなのだ。




