こじれた恋愛模様・2
切り株亭の夕食は十八時から始まり、二十時ごろまで出される。大体の片づけが終わる二十時半以降の営業は、レイモンドの気分次第だ。
この日は早々に店を閉め、ランディとチェルシーにも帰宅するよう告げる。
ロザリーはずっと落ち込んだままのチェルシーが心配で見送りに出た。
「チェルシーさん、……その」
心配顔のロザリーに、チェルシーは苦笑する。
手招きされたので、花壇の傍でふたりは並んだ。ランディが心配そうに何度か振り返ったが、「女同士の話だから先に帰って」とチェルシーが追い払う。そして、思いのほか穏やかにほほ笑んだ。
「大丈夫よ。いつかこんな日が来るんじゃないかってわかってたから」
「でも」
「……私がこの宿で働くようになって、七年。毎年この季節に里帰りをするオードリーさんを、レイモンドが心待ちにしているのは知ってたわ。クリスちゃんが生まれてからも、まるで自分の子供のようにかわいがっていたのよ。すごく懐いていたでしょう?」
「そうですね。びっくりしました」
最初から、安心しきった笑顔でレイモンドに飛びついていったクリス。
年に一度の里帰りのときに会うだけだということを考えれば、溺愛ぶりは予想がつく。
チェルシーは寂しそうに微笑んだ。
「……毎日傍にいて、彼の仕事のやり方もよく知ってる。私はこの宿にとって失うことのできない人材にはなれた。……けど、レイモンドにとってのただ一人にはなれなかったんだわ。仕方ないわね、気持ちを変えられなかった私の負けよ」
「チェルシーさん」
潔いことを言っているが、チェルシーの瞳には涙が浮かぶ。だけど、チェルシーが同情を求めていないことはロザリーにもわかる。心配そうに見上げるロザリーのおでこに、彼女は自分のおでこをこつんと当てた。
「大丈夫よ。でもちょっとだけ泣かせて。……望みがないってわかっていたのに、私はこの恋を忘れられなかった」
ロザリーは手を伸ばしてチェルシーを抱きしめた。
しっかり者のチェルシーが肩を震わせているのが、まるで自分のことのように辛い。
「……好きだったの。レイモンドが。脈もないし、告白する勇気すら持てなかったのに、バカよね」
小さな滴が、ロザリーの肩を濡らす。切なさで胸が痛くなる。ロザリーに尻尾があったなら、きっとぺたんと下を向いてしまっているだろう。
恋は嬉しくて甘くて、好きな人を見てるだけで幸せな気持ちになれる。
その反面、痛みも、苦みもはらんでいる。恋が破れればこんなに苦しくて、辛い。
「でも、好きになったこと、後悔なんてしていないわ」
絞り出したようなチェルシーのひと言が、ロザリーの胸にすとんと落ちた。
「チェルシーさん、格好いいです」
うまい励ましも、慰めもロザリーには思いつかない。
ただ、潔くそう言えるチェルシーがとても素敵に思えて、ただそれだけを言った。
ひとしきり泣いたチェルシーは、ロザリーから体を離して小さく笑った。
「あなたは優しいわね。……もらい泣きしてくれたの?」
「え?」
自分が泣いているなんて、思っていなかった。言われて目もとに触れ、濡れているのに気づく。
「それより、チェルシーさん辞めませんよね? 私、嫌です。チェルシーさんに会えなくなるのは」
「もちろんよ。この宿は私がいなきゃなりたたないでしょ? ……でも、長年の恋が死んだんだもの。しばらくは落ち込ませて。いつか元気になる。時間が解決してくれるわ」
「チェルシーさん」
「早く中にはいるのよ、ロザリー」
そんな言葉を投げかけ、チェルシーは帰路に着いた。
ロザリーは彼女の背中が暗闇に消えていくのを見つめながら、死という単語を思い起こした。
どんな物事にも、生と死はあるのかもしれない。
人の死だけじゃない。モノや心、すべてのものに……。
そう思えば、チェルシーの悲しみに同調して泣けてしまったロザリーの感情は決して死んではいない。ロザリーはなんとなくホッとした。
「おい、ロザリー、いつまで外にいるつもりだ。風邪ひくぞ」
レイモンドの声だ。ロザリーは気を取り直して宿の中に入る。食堂のテーブルに座るレイモンドの向かいには、もう一人分のお茶が入れられていた。
「お前も飲むだろ?」
「ありがとうございます」
自分の分も入れてくれていたのだと知って、ロザリーは素直に席につく。
外で冷え切った体を温めてくれるお茶。その香りを堪能していると、レイモンドがぽつりとつぶやいた。
「……ありがとな。チェルシーのこと、気にかけてやってくれて」
「レイモンドさん」
「俺にとって、チェルシーは妹のようなもんだ。だが、今回傷つけたのは俺だ。どうしてやることもできない」
「チェルシーさんは全部受け入れているようです。きっと自分の力で立ち直ってくれます」
「俺もそう思うよ」
一口お茶をすすって、レイモンドはこの話はこれで終わりとばかりに話を変える。
「それにしても、お前の鼻はすごいな。クリスの背中についた匂いでニールを当てるなんてビックリだ。まるで犬みたいな……」
そう言われて、ロザリーの中のリルが鳴いたような気がした。
レイモンドに言いたかった。リルは、レイモンドのことを決して恨んでなんていないと。
信じてくれるかどうかなんてわからない。だけど、レイモンドはだからといってロザリーを異常者扱いはしない。そう信じられるくらいには信頼関係ができていた。
「実は、……私、リルなんです。リルの記憶があるんですよ」
「……は?」
「私もよくわからないですけど、私、リルの生まれ変わりなんじゃないかって思うんです。だって、レイモンドさんのことも覚えています。お母さんを迎えに来て、よくリルの散歩してくれたでしょ?」
レイモンドは顔をひきつらせたまま、口をパクパクさせる。
「……マジ?」
「こんなこと、嘘ついても仕方ないです。でもほかの人には内緒にしてください。私、ここの仕事が好きなんです。異常者だって言われて追い出されるのは嫌です」
「追い出したりはしないけど。……信じられないな、犬だなんて。でも……ああ」
レイモンドは納得する。ロザリーの琥珀色の瞳は、リルにそっくりだったのだ。なにより、初めて会った時の懐かしさに納得がいった。
「……だったら謝らせてくれ。俺が指輪をなくしたりしたから、リルを死なせてしまった。ごめん」
「リルはそんなの気にしてないんです。自分が死ぬ前、レイモンドさんが倒れていたことが気になって、ただそれだけで……だから、生きていてくれてすごくホッとしたんです」
ロザリーの胸の奥もすっきりしてきていた。リルの気がかりが晴れたから。
「嗅覚がいいのもそのせいなのか?」
「たぶん。……実はリルの記憶を思い出したのは、馬車の事故に遭った後からなんです」
信じてもらえたことにほっとしてロザリーも饒舌になっていく。
「じゃあ、このことは俺たちだけの秘密ってことだな?」
「そうしてください!」
「オーケー。約束だ」
ふたりで指切りをしたそのタイミングで、宿の扉が開いた。
入ってきたのはオードリーで、すぐ後ろからザックが顔を出す。
ぎょっとしたのはレイモンドだ。「え、なんで」と言われ、ザックは不満そうに眉を寄せつつ、レイモンドより奥にいるロザリーに視線を送った。
「そこで一緒になっただけだ。レイモンド、ロザリーを借りるぞ」
「ああ……そういうことか。……ちゃんと深夜になる前に送り届けてくださいよ」
レイモンドは納得したように言い、にやりと笑って見せる。
「分かっている」
ザックはロザリーを街の入り口まで連れてきた。そこには、一頭の馬が繋がれている。




