指輪探しの午後・3
一方、クリスを追い駆けたロザリーとザックは、再び石畳のわずかな段差につまづいて転んだクリスをなだめていた。
「痛いですよね。あああん、泣かないでください」
「石畳は転びやすいんだな。道路にはもっといい素材を考えないとだめだな。フラットにするにはどうすりゃいいんだ?」
ザックが謎の検討を始めたので、ロザリーは失礼かなと思いつつも、彼の袖を引っ張った。
「それよりザック様、ハンカチかなんか持っていませんか。私のはもうびしょびしょです」
「うえっ、うえっ、うわあああん」
母親から責められた悲しさと物理的な痛みでたくさん泣いたクリスは、ロザリーにしがみついている。
ハンカチどころか、ロザリーの服もびしょぬれになりそうな勢いだ。
「泣くなよ、クリス」
「うえっ、ええええん」
ザックが抱きかかえようとしても、クリスはロザリーから離れない。
諦めたようにザックも地面に座り込んだので、ロザリーはぎょっとしてしまう。
「ザック様、汚れますよ。それに……」
子供が大声で泣いているのだから、それなりに目立つ。恥ずかしいと感じてもおかしくないはずだ。
「別に、汚れは洗えばいいだけだし、ロザリーだけでは小さいからクリスを人目から隠してやれないだろう」
人通りの多い道の中心に背中を向け、ザックは真剣な顔で泣きじゃくるクリスを見つめている。
彼の背中は、この小さな子供を守ろうとしてくれているのだと思うと胸が熱くなった。
クリスの背中を撫でながら、ごめんなさいと心でつぶやく。
(クリスさんが泣いてるのに。私なんだか今、ドキドキしてしまっています)
ザックの手がロザリーの頬をつつく。
「……ロザリー、顔が赤い。抱いているのが疲れたんじゃないか?」
「い、いえっ、大丈夫です。全然。それより、……クリスさんのほうが泣き疲れてきちゃったみたいです」
徐々に嗚咽がおさまり、しゃくりあげながらもクリスはロザリーから離れない。
ロザリーの髪の毛を指に巻き付けながら、肩に顎をのせて、はふと息を大きく吐き出した。
「……ロザリーちゃん、ふわふわ」
「広がっちゃって大変なんですけどね。この髪」
クリスがようやく話ができるまでに復活したので、ロザリーはホッとした。
「かわいいもん、好き。ふわふわ揺れてて、髪の毛も楽しそうなの。……ママにも、笑っていてほしいの。おうちが悲しいなら、ずっとここにいればいいのに」
「クリスさん」
「クリス。指輪を隠そうと思ってたの。この指輪があるから、ママはパパのこと、忘れないのかなって思って。ママが片付けしている間に、こっそり持ち出して……」
「それで失くしちゃったんですか」
クリスは頷く。
「宿の花壇に埋めようって思って歩いてたの。でも宿が見えてきたあたりで、転んじゃって、失くしちゃった。ママに言ったらすごく怒られて、悲しくて……」
「そうですか。……頑張ったんですね。でも場所ははっきりしましたね。切り株亭近くを探せば、きっと見つかります!」
ロザリーは安心させるようにほほ笑みかけ、クリスを離した。
「お姉ちゃんが探してきてあげます。ザック様、申し訳ないんですがクリスさんをお願いします」
「クリスも行く!」
「俺も行くよ。宿屋の近くって言ったって広いんだぞ? いくら鼻が良くても、君ひとりじゃ無理だ」
ザックはクリスをひょいと抱き上げ、ロザリーの手を引いて歩き出す。
今度はクリスも嫌がらず、むしろ積極的に場所の説明をし始めた。
切り株亭が見える道路。その範囲は思いのほか広かった。
中央広場から三叉路に分かれてからは、木の根のように奥に行くほど道が細くなっていく。三叉路の真ん中の通りは商店が多い通りで、道幅も一番広い。宿屋の前も十分に広く、どちらに転がったかわからないから余計探す範囲は広い。
探し始めて三十分。石畳の隙間をチェックしているので、ロザリーの爪は引っかかって欠けてきていた。
「見つからないな」
「そうですね。すみません、ザック様。クリスさんを抱きながらでは重いですよね」
「いや、俺は平気だが……」
そういうと、ザックはロザリーの手をひょいと持ち上げ、欠けた爪に唇を当てる。
「え、……あ、ちょ」
一気に真っ赤になるロザリーに対し、ザックは余裕の笑みだ。
「綺麗だった手がすっかり傷だらけだ」
「あ、あは。これでお仕事を知ってる手になりましたかね」
かつての嫌味をすんなりと流すロザリーに、ザックは笑うしかない。
「そうだな。格好いい手になった」
その笑顔が、労わるような優しいものだったから、ロザリーの胸は再び大きく跳ねた。
(もっと見ていたい。もっと一緒にいたいです。ずるいです。ザック様の優しい顔は癖になります)
恥じらいながら胸元に手を戻し、そういえばクリスの手にも擦り傷があったことを思い出した。
最初に泣きながら切り株亭にやって来たときに、あまりの痛々しさに目を奪われたのだ。
「……手。……そういえば、クリスさん、この擦り傷はいつつけたんですか?」
もう一度確認する。指輪を握り込んでいたからか、手のひらの母指球の部分と指を折り曲げた第一関節のあたりがひどくこすれている。
人は転ぶとき、とっさに手をついて身をかばうものだ。
だからロザリーはクリスが転ぶ前に指輪を離してしまったのだと思った。
けれど、この怪我の具合を見るとクリスは指輪を握ったままだったはずだ。仮に手からすっぽ抜けてしまったとしても、そこまで遠くにはいかないだろう。
「……ごめんなさい。転んだ時の状況をもう一度教えてもらっていいですか? 石畳につまづいて転んだんですか?」
クリスはよく転んでいた。だからてっきり、つまづいて転んだものだと思い込んでいた。
だがこれはもしかすると……。
「ううん。人とぶつかって転んじゃって気が付いたら無くなってた。絶対無くさないように、ぎゅって握ってたのに」
「人と? その人はどんな人でした?」
「わかんない。後ろからだったから、顔も見てないの。クリスが転んでも起こしてくれなかったよ」
普通、不注意で小さな子供を転ばせてしまったのだとしたら、抱き起こして怪我の心配をするだろう。
それに、この通りは広い。人にぶつかるほど込み合っていたとは思えない。だって、クリスが転んでも誰も起こしてくれないくらい、その時は人通りがなかったのだろうから。
もし、これが単純に失くしたという話ではなく、盗まれたのだとしたら?
クリスが持っている指輪に気づき、ワザと彼女を転ばせ、離したすきに奪う。
それならば筋は通っているようにも思える。
そしてもし背中を押されたのだとしたら……。
「ちょっと失礼しますね!」
ロザリーは慌ててクリスの背中の匂いを嗅ぐ。
先ほど泣いたときに汗をかいたせいか、クリス本人の匂いが強い。そして背中を撫でていたロザリーの匂い。レイモンド、ザック、オードリー、そして……もうひとり。
「街の……人です。私、嗅いだことがあります。おかみさんのへそくりを探してほしいって言った、あのひと」
三十代くらいの男の人だ。茶色の髪で細めの、口元にほくろのあるひと。名前までは憶えていなかったが、匂いは覚えている。
「街の人間が? なぜだ?」
「わかりません。でも、探して話を聞いてみる価値はあるかもしれません。少なくとも、クリスさんを転ばせて助けなかったのは許せないので」
「そうだな。……ケネスに聞いてみよう。この街の人間のことならある程度頭に入っているはずだ。それに三十代ならランディやレイモンドと同年代だろう。あいつらのほうが知っているかもしれない」
ザックとロザリーは頷きあい、急いで宿まで戻った。




