指輪探しの午後・2
* * *
座り込んだロザリーを心配するように、皆が息をつめて彼女を見つめる。
ロザリーは深く長いため息をつくと、震える声でぼそりとつぶやいた。
「思い出しました。……リルはずっと、これが心残りだったんです」
「……リル?」
レイモンドが眉を寄せ、しゃがみこんでいるロザリーの肩を掴んで、真剣な表情で顔を覗き込んでくる。
「ロザリー、リルを知っているのか? 昔ここで飼っていた犬だ。ふわふわした毛のかわいい犬だったのに……俺のせいで、死んだんだ」
必死な表情に、レイモンドの後悔を見て取ったロザリーは首を振った。
「違います。レイモンドさんのせいじゃ……」
「レイモンドのせいじゃないわ。あれは、……事件だったんだもの。すべてオリバーさんが悪かったのよ」
畳みかけるように言うのはオードリーだ。
レイモンドはロザリーから手を離し、オードリーのほうを見つめる。
「あれは指輪を盗もうとしたオリバーさんが悪いの。あなたのせいじゃない」
「だが」
座り込んだまま二人を見つめていたロザリーの右脇に、突然ザックの手が差し入れられ、そのまま片手で持ち上げられた。
「ひゃっ」
「大丈夫か? 床は冷たい。椅子に座るといい」
もう片方の腕に抱かれたままのクリスも心配そうにのぞき込んでいる。
食堂の椅子に落ち着いて、ロザリーも息をついた。
オードリーはそんなロザリーたちのことはあまり目に入っていないようだ。ただまっすぐにレイモンドを見つめて話し続けている。
「指輪って言ったから思い出してしまったのね? レイモンド、そんな昔のことを思い出して後悔する必要なんてないわ。……でも今回の指輪の件で私が怒っているのは、わざわざ隠していたものをクリスが勝手に持ち出したからよ」
母親の言葉に傷ついたクリスは、目に涙を浮かべてザックの腕を抜け出した。
「やっぱりクリス探してくる!」
「あ、待ってください。クリスさん」
飛び出していったクリスを追おうとしたロザリーを、レイモンドが止める。
「待て。行くなロザリー、探さなくていい!」
「でも。クリスさんが」
「いいから。店主命令だ。あれはもう、見つからなくてもいいものなんだよ。クリスだってしばらく探して見つからなければ戻って来るさ」
そっぽを向いて言うレイモンドに、ロザリーはいら立ちが沸き上がった。
レイモンドだって、昔あんなに必死になって指輪を求めたくせに。だからリルは指輪を探したかった。レイモンドに笑ってほしかったから。結果として死んでしまったけれど、レイモンドを恨む気持ちなんてない。そんな風に意固地になってほしかったわけじゃない。
ロザリーはクリスの心を守りたいだけだ。リルがレイモンドに対してそう思ったように。
「きけません! クリスさんが傷ついているじゃないですか。指輪を見つけることで彼女がホッとするなら、私は指輪を見つけます」
ロザリーはクリスを追って外へ駆け出した。
「おい! ロザリー」
ザックは慌て、ケネスに「こっちは頼む」と言い残し二人を追い駆ける。
残されたケネスは、状況がわからずしばし思い悩み、頭をかく。
「……何が何だかよくわからんが、領主子息としてはいろいろ見過ごせないな。その過去の事件はどうなったんだ。……そもそも、そのオリバーってのは誰だ?」
レイモンドとオードリーは顔を見合わせた。そして、「内密ですが」と前置きし、ケネスとオードリーにだけ聞こえるように小声で続けた。
「昔、ここで働いていた人です。義父が母に贈った指輪は、代々この宿のおかみに継承されるものです。……金庫の鍵番号が書かれた、実質的にも宿の経営を握るものなんです」
「はぁ?」
「一番最初の宿主が、求婚相手に本気を伝えるためにしつらえたそうです。歴代のおかみは、それを大切に隠し持ちました。指輪だというのに、ペンダントにして服の中にしまっていたそうで。母もそれをもらっていました。俺の了承が取れ次第、結婚の返事をするつもりだったようです。……もう、十七年も前の話ですが」
「店主とお前の母さんが再婚するときの話か」
「はい。従業員のオリバーは、ずっとそれを狙っていたようです。指輪が母の手に渡った時から。宿にいれば義父の目が光っているけれど、俺と母になら隙があると思ったんではないでしょうか。そんなある日、母が指輪を忘れて出かけて、俺はそれを見つけて母を追い駆けた。途中転んで失くしてしまって、困っていたとき、彼が親切顔でリルを放して探させてくれた。リルは見つけてくれました。でも、そこでオリバーが豹変したんです。俺の頭を殴りつけたのち、リルを蹴って道路に投げ飛ばし、オリバーは指輪をもって逃げた。……リルは馬車に轢かれて死にました。リルが死んだのは俺のせいです」
「レイモンド! あなただって被害者じゃない。あの時ひどい怪我をしたわ」
「怪我は当然の報いだ。結局、当時の領主様……ケネス様のおじい様が間に入ってくださり、憲兵隊を率いてオリバーを捕まえてくれました。あなたは小さかったから覚えていないのでしょう。実際、あの指輪は特殊な方法でしか番号を見ることはできない。その方法は主人にのみ受け継がれているのです。オリバーは指輪を奪ったものの番号を確認することはできなかったので、切り株亭の金庫の番号は人に知られることなく、義父と母も無事に結婚しました。……でも、リルは戻らない。俺はあの時に思い知った。命より大切なものなんてないんです。……だから、オードリー。無くなったものに固執するのは止めろよ。クリスを泣かせてまで捜すようなものじゃない」
最後のほうはオードリーに向けていた。
けれどオードリーのほうはまだ諦めきれないようだ。
「でも、あの指輪は……」
オードリーの態度を見て、ケネスはよほど大切なものなのか、と質問をかえた。
「オルコット夫人が失くした指輪は、博士の遺品か何かですか?」
オードリーは静かに目を伏せる。
「……いいえ」
「オードリー!」
「いいの。……そろそろはっきりさせるべきだったのよ。失くした指輪は、結婚前にレイモンドがくれたものです。あなたは、いらないなら捨ててくれと言ったわね。私は……捨てられなかったのよ、ずっと」
レイモンドとオードリーの間に、緊張した空気が流れる。掃除をしていたチェルシーも階段を降りたところで息をつめて彼らを見つめていたが、ケネスはひとり、ひゅうと軽い口笛を吹いた。
レイモンドはオードリーから視線をそらし、拳を強く握った。
「……俺はあの時、捨て身で告白したつもりだ。博士じゃなく、俺を選べと。でもオードリーは博士を選んだんだろ? 指輪なんて捨てればよかったじゃないか。なんで今更……」
「夫……ジェイコブにはずっと学費を援助してもらっていたの。求婚を断ることはできなかったわ。私は彼を尊敬していたし、彼の助手として働くことも楽しかったわ。……恋ではなくても、結婚はできると思ったの」
沈黙が走る。チェルシーが、顔を背けてその場を立ち去り、ランディがそれに気づいて追った。
なんとなく人間関係を把握していたケネスは、呆れた気分でポソリとつぶやいた。
「だったら、恋はどこに置き去りにしていたんだい? そういう理由なら、オルコット博士が死んだときに戻ってこれば良かっただろう。当時クリスは生まれたばかりだし、実家に身を寄せれば良かったんだ。……この通りレイモンドはいまだ独身だ。言葉に出さずとも、みんなレイモンドの気持ちは知っていたよ? 君が再婚だとしても気にもしないだろうに」
「は? 気づかれて……?」
レイモンドの顔が真っ赤になり、そのオタオタした様子を見て、オードリーが涙を浮かべて見つめた。
「……それこそ今さらですわ。クリスが生まれたことを、あちらのご両親は喜んでくれました。夫が死んで、一番最初に言われたことは、どうかこのままここで暮らしてほしいと、自分たちから孫を奪わないでほしいということです。罪悪感もありました。……私は、打算で彼と結婚しました。であれば、最後までそれを受け入れる必要があると」
「指輪を思い出として抱えたままかい?」
「……ええ」
ドンと固い音がした。レイモンドが壁をたたいたのだ。
「……なんだよ、それ」
力の抜けたような情けない声に、オードリーは体をびくつかせる。
「クリスは私に、ずっとここにいればいいと言ったわ。ここにいるときのほうが楽しそうだからって。……あの子にはすべて分かっているのかと思ったら怖かった。だからつい、八つ当たりをしてしまったの」
オードリーが震えている。
「子供の目は侮れないね。……で、君たちは両思いだということでいいのかな?」
呆れたようなケネスの声に、返事をするものはいなかった。




