指輪探しの午後・1
リルは普段、宿屋の外にしつらえてもらった犬小屋の中にいる。風の当たらない建物と建物の間にちょこんと収まっているのだ。太陽が照っているときは、花壇の脇まで出て日向ぼっこをする。
通りすがる街の人は、リルを見るとみな一様に笑顔になる。嬉しくてリルはいつも尻尾を振った。
優しい街の人が、大好き。
面倒を見てくれるご主人も大好き。
そよぐ風も温泉の匂いも、リルはみんな好きだった。
『リル、母さん仕事終わったかな』
夕方、よくやって来てリルに声をかけるのは十一歳のレイモンドだ。そういって店の中に入り、すぐに戻ってきて、リルを綱から外してくれる。
『旦那が、リルの散歩行ってきてもいいって。それが終わったら母さんとおかえりって』
レイモンドの家は、父親が早くに亡くなっていていない。母一人子一人の暮らしで、ふたりは仲が良かった。
仕事が忙しい母のために、レイモンドは小さな時から料理を学んで家のことは全部できるようになっていたし、母親は母親で、一日中働いた後でも決して笑顔を絶やさなかった。
『リル。母さん、もしかしたら結婚するのかも』
レイモンドはリル相手にぽつりぽつりと心情を漏らす。
宿屋の店主であるアラン・ネルソンが、母親に求婚しているのだそうだ。
先日指輪を贈られた母親は、それを毎日大切そうに眺めながらも、指にはめることはせず、鎖を付けてネックレスとして持ち歩いているのだという。
『俺、……複雑だなぁ』
父親ができるのは嬉しいけれど、母親が別の人のものになるようでそれもまた寂しい。
散歩しながら聞くレイモンドの話はとりとめがなかったけれど、リルはしっぽを振りながら聞いていた。
中央広場まで出ると、乗合馬車が停まっていた。危ないから、と立ち止まって行きすぎるのを待っていると、ひとりの女の子が降りてくる。
『レイモンドじゃない? またリルのお散歩?』
『オードリー! 学校終わったのか?』
『ええ。もう帰るところよ。そこまで一緒に行きましょう?』
この街にあるファーストスクールを卒業したあと、街のミドルスクールよりもより高度な勉強ができるグラマースクールに通い始めたオードリーだ。女性がグラマースクールに進学するのは珍しいが、オードリーは才能を見込まれ、イートン伯爵家の支援をうけた。とはいえ、支援金も限られている。下宿費用と乗合馬車代での通学代を秤にかけ、彼女は馬車通学を選択した。
オードリーを見つけるとレイモンドはいつも嬉しそうだ。声が跳ねるような響きを帯びる。
リルはその音の響きが好きで、また尻尾をぶんぶんと振る。
先ほどしたような話を、レイモンドはオードリーにもした。
『そうね。レイモンドの気持ちはわかるけど、おばさんにとっての幸せを考えてあげてもいいと思うわ。だって、一生懸命あなたのために頑張っているんだもの。レイだって、おばさんには幸せになってほしいでしょう?』
『……うん』
レイモンドの頬がうっすら染まる。
『じゃあ俺、リルを宿まで連れていくから』とレイモンドとオードリーは街の一角で別れた。
再び、ひとりと一匹の散歩時間になる。
『……オードリーがそういうんじゃ仕方ないか。うん』
レイモンドのひとりごとに耳を揺らして、リルは歩く。
黄昏の街はどこか温かかった。
それから数日後、リルは泣きながらやって来たレイモンドに驚く。
『どうしよう、リル。落としちゃった。母さんの大事な指輪。母さんが忘れていったから、俺、届けてあげようと思っただけだったのに』
レイモンドはひどい転び方をしたのか、膝から血を出し、手のひらをすりむいていた。
『ワン!ワン!ワン!』
いつも元気なレイモンドが泣いていることに驚いて、リルはとにかく指輪を探そうと思った。
レイモンドの匂いをたどればいい。通りすがりのどこかで転んだんだろう。
普段、無駄吠えすることのないリルの鳴き声を気にした従業員のひとりが、外に出てきた。
『どうした、レイモンド』
『あ、オリバーさん。実は……』
レイモンドの話を聞いたその男は、『リルに探させればいい』とリルの綱を解いた。
すぐにリルは駆け出した。レイモンドは追おうとしたが、足の怪我を見たオリバーが止めたのかついては来なかった。
膝から出た血の匂いが強く残っていたため、リルは直ぐにレイモンドが転んだであろう場所を見つけることができた。
そこは馬車の通りも多く開けているため、探すには苦労しそうな場所だった。
その周りをきょろきょろと眺める。指輪の現物を見たわけではないので、見た目での判断はあまり意味がない。レイモンドの香りが残っているかどうかで判別するしかなかった。
辺りを探し回り、リルは石畳の隙間に挟まっていた指輪とちぎれそうになっている革紐を見つけた。
革紐を咥え、きつく挟まってしまったそれを引っ張りだす。
かすかにレイモンドの香りを感じ取り、リルはホッとした。
指輪を咥えて歩き出したとき、手当てをしたレイモンドとオリバーがやって来た。
『ワン!』
『リル! すごいや、見つけてくれたんだね』
涙ぐむレイモンドが近づいてきて、リルは咥えていたそれを離した。
……と、次の瞬間、レイモンドが吹き飛ばされた。後ろにいたオリバーが、両こぶしを組んで、彼の頭めがけて叩きつけたのだ。
カラン、と道に転がった指輪を拾い上げ、はあはあと浅い息を吐く。
『はは……これは見つからなかったんだよ。失せもの探しのリルも、たまには失敗するもんな』
言い聞かせるように、オリバーがブツブツつぶやく。
レイモンドのピンチに、リルはとっさにオリバーの足に噛みついた。
「いてぇっ、何しやがるっ」
しかしリルは体の小さな犬だ。成人男性に足蹴にされれば、簡単に飛ばされてしまう。
「うわああっ」
そこに、間が悪くスピードを出した馬車が通りかかった。
リルの記憶はそこで途切れている。
ただレイモンドが心配だった。心の優しいあの子が、悲しむのを見ていたくなかった。




