盗人の真相・1
切り株亭は、重苦しい雰囲気に包まれていた。
レイモンドは厨房でしかめっ面をしたまま洗い物をしていて、オードリーは食堂のカウンターでうつむいたままひと言も発さない。
空気の気まずさは店内にも当然伝染するので、食事客たちはそそくさと会計を済ませて帰り、泊り客たちは買い物に出たり、自分たちの部屋へと戻ったりした。
ケネスはオードリーの隣の椅子に座り、カウンターに背中を向けた状態で肩ひじをのせながらあきれたようにつぶやく。
「君は一体何をやってるんだい。アイビーヒル一の秀才だと謳われたくせに、恋愛はさっぱりだったというわけだ」
「意地悪言わないでくださいませ、ケネス様」
「言いたくもなるよ。オルコット博士と君が知り合うきっかけを作ったのは我が伯爵家だ。君の人生を間違えさせたのだとしたら責任があるからね」
「結婚を決めたのは自分の意思です。……時間をかけて彼を愛していこうと思っていたんです。なのにあんなに早くに死なれてしまって」
オードリーは庶民の子だが、初等学校での成績が良く、その点でイートン伯爵にも目をかけられていた。
初等学校卒業時に、イートン伯爵はオードリーをケネスの家庭教師として呼ばれていたバベッジ卿に紹介した。
卿もオードリーに才能を感じ取り、ここから一番近いグラマースクールに研究生という名目で通わせることとなった。
グラマースクールに通うのは男子ばかりだ。研究生とはいえ女性がいることには違和感しかなく、結果オードリーは図書館にばかりいるようになる。
加えて学費の問題もある。イートン伯爵家が半額支援してくれてはいたが、庶民のオードリーの家には半額でも厳しい。司書の手伝いをしてもらえるわずかな賃金も通学のための乗合馬車代で消えていく。
息苦しさにオードリーが退学も考えたとき、彼女を救ったのがオルコットだ。
オードリーより十歳上の彼は、若くして助教授職についていて、図書館で熱心に勉強をする彼女に目をかけていた。
自らの助手として雇い入れ、学費だけでなく学術本、衣服など生活全般にわたり彼女を支援し続けた。
そして彼女が二十歳になったとき、彼は王都に教授として招かれることとなった。
『君には、これからも私の研究を支えてほしい。どうか妻になって、一緒に来てほしい』
既に援助してもらっている金額は計り知れない。学内でも噂も立ち、ふたりの結婚はあたり前だろうという空気が流れていた。
オードリーには頷く以外の選択肢はなかったが、少しばかり反抗したくて、返事は一時保留とした。
オードリーは悔しかったのだ。オルコットが自分のことを“助手”としか思っていなかったことが。
才能を認めてくれていると思っていた。オードリー自身は共同研究者のつもりだったのに。
オードリーの結婚の噂は、アイビーヒルでも広まった。
ある日、オードリーはレイモンドに呼び出される。
「結婚するって本当か?」
「ええ」
オードリーにとって、レイモンドは三歳年下の弟のようなものだ。
久しぶりに顔を合わせて、そんな彼がいつの間にか自分の背を抜かしていることに気づいて驚いた。
「レイ」
「……俺はまだ見習いの料理人だ。胸張ってこんなこと言えるような立場じゃないかもしれないが、ただ黙って見送るのにも耐えられない」
レイモンドの真剣な瞳に、撃ち抜かれたような気がした。
この青年は誰なのだ。ついこの間まで、肉親へ向けるのと同じ感情だけで接してきた少年だったはずなのに。
なのに、どうしてこんなに胸が揺り動かされる。
「オードリーがずっと好きだった。結婚してほしい」
差し出されたのは、指輪だった。受け取ったオードリーはそれをじっくりと見つめた。
金のリングに琥珀の石がついている。琥珀には濁りがあり、とても一級品とは言えない。だけど、今のレイモンドにとっては高級品だったろう。
「レイモンド」
オードリーはこのとき、はじめてレイモンドのことを男性という目線で眺めたのだ。
見習い料理人として切り株亭で働きながら、義父や母を支えている。ちょっとやんちゃだけど優しい男の子。
その時はじめて気づいたのだ。学は決してないが、人間としてレイモンドがとても魅力的な男性だということに。
動揺したのは本当だ。だけど、だからといってオルコットからの求婚を蹴り、すべてを失ってまで彼のもとに飛び込むほど思い切れもしなかった。
「……ありがとう。嬉しいわ。本当よ。……でも」
「やっぱダメか。そうだよな。賢いオードリーと料理だけが取り柄の俺じゃ釣り合わないよな」
自嘲気味にそう言い、笑って見せたレイモンドはしかして瞳は潤んでいた。
「あの、この指輪」
「いいよ。捨てちゃって。俺もそれ見てるの辛いし。……じゃあな、幸せになれよ、オードリー!」
レイモンドは駆け出し、指輪はオードリーの手に残された。
一生つけることのない指輪。だけどオードリーはそれを捨てることはできなかった。




