街にやってきた女性・3
ロザリーとザックは顔を見合わせ、頷いて走り出した。ロザリーは耳もそれなりにいい。泣き声をたどって、そう遠くないところにいた泣き声の主を見つけた。
オードリーの娘のクリスだ。石畳で整備された地面にうずくまって泣いていて、ストレートのこげ茶の髪が、涙で濡れた顔に張り付いている。
「どうしたんですか? えっとクリスさんですよね?」
「こ、転んだの」
「大丈夫ですか? 宿から出てきちゃったんですか? ひとりで?」
ロザリーは駆け寄り、クリスを抱き起こす。彼女は膝をすりむいていて、血が出ていた。
「痛かったですね。早く切り株亭に戻って治療しましょう」
「うん」
クリスは何の戸惑いもなくロザリーにギュッとしがみつく。なんだか妙に懐かれて不思議な気分だ。
「俺が抱こう」
ザックが手を伸ばしたが、クリスはぶんぶんと首を振った。
「……お姉ちゃんがいい。お姉ちゃんと遊びたくて追っかけてきたの」
「私ですか?」
「だって大人のお話つまらないんだもん」
どうやら、クリスにはあの中にいる人間の中でロザリーだけが子供に思えたらしい。
「私も大人で……」と言いかけたロザリーの声はザックの笑い声にかき消された。
「……なんですかザック様」
「悪い悪い。そうだよな。大人ばっかりの中にいたらつまらないよな。でもこのお姉ちゃんは残念ながら力持ちじゃないんだ。抱っこするのは俺でもいいか?」
「……お姉ちゃんと手を繋いでいていいなら」
「だそうだぞ、ロザリー」
ザックがクリスを抱き上げたが、クリスはロザリーの服から手を離さない。
結局、二人並んで歩くことになり、いつもより近い距離にロザリーはドキドキする。
「懐かれたな」
「特に何をしたわけでもないんですけどねぇ」
困惑するロザリーに、クリスはにっこり笑う。
「お姉ちゃんはふわふわしていてかわいいから好き」
まるでリルに向けられたような言葉だ。小さな子供は、本能で見えざるものを感知するのかもしれない。
「ありがとうございます。お姉ちゃんはロザリーっていう名前なんです。名前で呼んでくれますか?」
「ロザリーちゃん?」
「……そうですね。クリスさん」
「……ぷっ」
こらえきれなくなったようにザックが笑う。思わずロザリーはザックを睨んだ。
「ザック様、笑わないでくださいよ」
「無理言うなよ、今の流れで笑わないのとか無理だ」
「……ザック様も、貴族にしては気さくですよねぇ」
ぽつりと、思ったことを言う。
ロザリーを助けてくれることもそうだが、クリスに対しても抱き上げることをためらわない。
貴族は通常敬意を寄せられることが多く、自ら動くということはあまりないものだ。ケネスなんかはそのあたりわかりやすく貴族のご子息という感じなのだが。
「別に俺は誰に対しても気さくなわけじゃない。裏がないなと思ったやつにしか優しくなどしないさ」
それを聞いて、ロザリーははたとクリスを見つめる。
クリスが裏がないのは子供だからいいだろう。しかし自分は? それではまるきり子ども扱いされているということではないか。
「私だっていろいろ考えてますようっ」
「いじけるなよ。これでも俺は褒めてるんだぜ?」
ふくれて見せても、ザックは全然余裕だ。弁明するでもなく笑い飛ばされて、ますますロザリーの頭に血が上る。
「そんなことないですっ。何にも知らない子供って言われてるのと一緒ですー!!」
なんでこんなに悔しくなるのか、不思議に思いながらロザリーは少しばかり泣きたい気分になっていた。
*
それ以来、クリスはしょっちゅうロザリーに会いに切り株亭にやって来た。彼女たちがアイビーヒルに里帰りしてまだ三日目だが、その間でクリスを見ない日はない。
エプロンドレスを着こんだ少女は、鼻息も荒くロザリーの前で仁王立ちする。
「ロザリーちゃん、遊ぼう!」
「あー、ごめんなさい、クリスさん。まだお仕事があるんです」
「じゃあ、クリスも手伝う!」
キラキラした瞳で言われて、困ってレイモンドを見つめると、オードリーの娘とあってか彼もむげにする気はないらしい。
「適当に相手してやってくれるか、ロザリー」
「は、はあ。でも」
「いいわよ。もともと、私一人でもできるもの」
チェルシーがつれなく言って先に行ってしまう。どうも、オードリーが現れてからというもの、地味に不機嫌である。
「で、では、外の掃除をしてきますね」
クリスとするのに一番困らない仕事はこれだ。
彼女は彼女でしゃがみこんで花壇の花や葉をいじって遊んでくれるから。
掃き掃除をしていると、通りすがりの人が声をかけていく。
ふと、食べ物の匂いがして顔をあげた。
「やあ、ロザリー。精が出るね」
「こんにちは。今日はいいお天気ですね!」
近所のおじいちゃんだ。
顔を合わせれば挨拶するくらいの親しさにはなっている。
あまり近づくと加齢臭に顔が引きつってしまうので、一定の距離は保つようにしているが。
「小さなお嬢ちゃんもいるんだな。これをあげよう」
お芋を焼いたものだ。露店で売っていて、ちょっとしたお菓子として人気がある。
ひとつずつもらったロザリーとクリスは顔を見合わせ、「ちょっとだけ休憩しましょう」と花壇の端に座った。
ふーふーと大きく息を吹きかけ、はむ!とかみつくクリス。
可愛らしい姿にロザリーもほっこりしてしまう。
「クリスさんはお花が好きなんですか?」
「うん。パパの本棚にはいっぱい図鑑があるの。それ見てるの好き」
「パパ……ですか?」
チェルシーの話では、オードリーはすでに未亡人ということだ。クリスは現在五歳だと聞いている。父親の記憶は残っているんだろうか。
「クリス、パパのことよく知らない。クリスが生まれてすぐに死んじゃったんだって」
クリスはちょんちょんと葉をつつく。ロザリーは食べる手を止めて彼女に見入った。
「……悲しいですか?」
「よくわかんない」
それは、今のロザリーの感覚にも近い。
父母が死んだことはわかる。だけど悲しいかと言われればよくわからない。
「ママは言うの。悲しんでいるより、そのほうがいいって。でもママは寂しそうなの」
「……」
「ママ、ずっとここにいればいいのに。レイといるとき、楽しそう。クリスも、ママが悲しんでいるより笑っているほうがいいよ」
それは子供の発想で、だからこそ胸が苦しくなる。
好きな人のこと、忘れたくなんてない。だけど悲しいと思っているだけでは先に進めない。
(私に、悲しい感情が残っていたなら、今頃どうしていたでしょう)
一気に両親を失ったのだ。すぐに立ち直ることなどできず、今も落ち込んでいたのではないだろうか。
のほほんと新しい一歩を踏み出せたのは、もしかしたら感情を失っていた恩恵なのかもしれない。
(……おじい様)
だとしたら、祖父はきっと辛かっただろう。
息子夫婦を失ったのだ。想像すれば計り知れない喪失だ。そのうえ、孫娘までも旅に出たいと訴えたわけだから。
(あ、ダメです。想像したら胸が……)
胸が痛い。ふわりと先ほど嗅いだ加齢臭が蘇り、祖父の姿がまざまざとロザリーの中に描かれる。
今改めて祖父のことを思うと、泣きたいくらい切なかった。
あの屋敷でひとり、祖父は何を思っているだろう。
「……ロザリーちゃん、どうしたの?」
「え?」
「泣いてる」
「あれ、どうしてでしょう」
ぽろぽろと、涙が零れ落ちる。決してものすごく悲しいというわけではないのに。
祖父の気持ちがようやく推し量れるくらいには、感情が復活したということなのだろうか。
「泣いちゃダメ、ロザリーちゃん」
見ればクリスもつられて涙目になっている。感情を共有してしまうのだろうか。子供というのは不思議だ。
「ごめんなさい。大丈夫ですよ」
「ロザリーちゃんも悲しいの?」
「大丈夫です。私も、パパもママもいないんです。一緒ですね」
「……クリスにはママがいるよ?」
「そうですね。私にもおじい様がいました」
おじい様の痛みを、共有してあげられなかった。それが今は一番切なかった。
父母への感情というよりは祖父への感情を取り戻したような感覚だ。




