街にやってきた女性・2
昨晩使われた個室は三部屋。大部屋のベッドは五つ。これを手早くシーツ交換しなければならない。
まずは二人で大部屋から始める。大部屋は連泊の人もいるので、できるだけ手早く仕事を済ませなければならない。古いシーツを外し、床を軽く掃除し、新しいシーツを付けていく。
男性用の大部屋を済ませた後は、女性の大部屋。それが終わり、個室に入ると自然とため息が出る。
「ふう。残りは少しゆっくりでもいいわね」
「はい」
チェルシーがシーツを敷くと、いつもぴしりと決まってあまりしわができない。
だが珍しく今回はすごく時間がかかっていた。
掃除をしていたロザリーが不思議に思って彼女を見ると、はあ、と深いため息が聞こえてきた。
「オードリーさんが来てたわね」
「チェルシーさんもご存知なんですか? レイモンドさんの幼馴染だとか」
「そうね。……彼の初恋の人よ」
目を伏せたチェルシーに、ロザリーはなんと返していいかわからない。レイモンドが好きな彼女にとっては複雑なのだろう。
「結婚されている……んですよね?」
「正確にはしていた、よ。旦那さんは亡くなられたの。今のあの人は未亡人。昔からレイモンドと仲良かったからね、狙ってるんじゃないかって思っちゃう。だってさ、里帰りだからってわざわざ宿にまで顔をだす? 自分の家でもないのに」
「未亡人……」
だとすれば、ふたりの間に障害はない?
かとも思ったが、ふたりの年齢は三十代前後だ。ましてオードリーには子供までいるのだ。初恋がいつまでも持続しているわけはない。
「レイモンドさんが今もオードリーさんを好きとは限りませんよね?」
「……見てればわかるわ。結構わかりやすいの、レイモンド」
チェルシーはため息をつきつつも、手をせわしなく動かしている。
どうやら、ランディとの三角関係どころではなく、オードリーまでも含めた四角関係のようだ。大分複雑な人間関係の中、よく割り切って仕事ができるものだとチェルシーに尊敬すら覚えてしまう。
「さあ、これで終わりね。……戻りましょうか」
「はい」
慰めたり励ましたりするには、ロザリー自身に恋愛の経験値がなさ過ぎた。
結局、話はうやむやになり、客室清掃を終える。
「あら、何かしらこれ」
階段を降りたところで、突然チェルシーがしゃがんだので、シーツを抱えて前がよく見えていないロザリーは、ぶつかりそうになる。
「あぶ、危ないです! チェルシーさんっ」
「ごめんごめん。落とし物よ。木片? ……捨ててもいいのかしら」
「ちょっと待ってください、チェルシーさん」
長さ五センチ、厚さ一センチ程度の木片だ。それだけ見ればただの木くずのようにも見える。けれど、その木から出る香りに覚えがあった。
シーツを棚に置き、木片を改めて嗅いでみる。ほのかに甘さを感じる香り。ザックにすごく近づいたときに香る匂い。
「……ザック様は?」
オードリーと歓談しているレイモンドに尋ねると、ロザリーが忙しそうだからと出ていったと言う。
「さっきですか? なら間に合いますね。きっとザック様の落とし物です」
追いかけてきます、と言い添えて、ロザリーは走り出した。宿を出てから、どっちにザックが行ったのかを知るためには彼が触ったであろうものの匂いを嗅ぐのが一番だ。
もらった扇で顔半分を隠しながら、手すりや花壇、近くの店の壁を嗅ぎまわり、市場とは逆の方向、宿を出て左手のほうに向かったのを確認する。
「こっちですね」
やはり匂いを嗅いでみてよかった。
通常なら市場のほうへと向かってしまうところだった。
嗅覚はリル時代に多少劣るといえども健在だが、足の遅さはいかんともしがたい。
追っても追ってもなかなか追いつかず、街の外れのほうまで来てしまう。どんどんひと気が無くなって来たなと思ったあたりでようやくザックを見つけた。
彼は旅姿のひとりの男性と一緒だった。顔を寄せ合い小声で何かを話し合っている。ザックがケネス以外の人間と一緒にいるのは珍しく、どうしようかと迷ったが、落とし物を渡すだけだし、と声をかけることにする。
「ザック様っ」
彼はビクリと体を震わせた。すぐさま振り向き、ロザリーの顔を確認するとふっと力を抜く。
「なんだ、ロザリーか。……どうした?」
一瞬振り向いた表情があまりにも厳しくて、ロザリーは一瞬言葉を失くしてしまった。彼がいつも通りの柔らかい表情に戻ってからも、なんだかちょっと落ち着かない。
「ではザック様、私はこれで」
「ああ。ご苦労」
旅姿の男性は、ちらりとロザリーを見ると足早に去って行ってしまった。
なんだか邪魔をしてしまったようで、申し訳ない気持ちになる。
「すみません、邪魔でしたね」
「いや? 定時報告だ。気にすることはない。それよりもどうした? 仕事は?」
「えっと、これ、もしかしたらザック様の落とし物じゃないかと思って」
木片を差し出せば、ザックはハッとしたように手のひらからそれを奪い取った。
その素早さにロザリーは驚いてしまう。
「大事なもの……なんですね?」
「ああ。何処に落ちてた?」
「切り株亭の階段の下のところです」
「さっき財布を出したときか。助かった、ロザリー。ありがとう」
ようやく、ザックの周りの空気ごと柔らかくなる。ロザリーはホッとして彼を見上げた。
「それ、……いい香りがしますよね」
「ああ。白檀という香木だ」
ザックは上着を開き、中に着込んでいるシャツのポケットにそれをしまった。
なんとなく沈黙してしまったのが気まずく、ロザリーはもじもじしてしまう。すると穏やかな声でザックがぽつりとつぶやいた。
「母の出身地で採れる香木なんだ。この辺ではちょっと珍しい」
「そうなんですね。どうりで嗅いだことのない香りだなって思っていたんです。でもおかげで、すぐにザック様のものだってわかりました」
微笑んでそう言ったら、ザックも笑った。ロザリーの胸の奥がまた疼いてくる。
ザックといるときだけ起きる、この胸のざわめき。嬉しくてお尻がムズムズするのと同時に、恥ずかしくて顔を隠してしまいたいような、不思議な感覚。ロザリーはまだこの感情に名前を付けられずにいる。
「あ、えっと。そろそろ私、戻らないと」
自分の気持ちを処理しきれず、ロザリーは敢えて明るい声で笑った。
「ああ、そうだな。送ろうか」
「大丈夫です! 真昼間ですし」
「だが」
言い合いをしているうちに、小さな子供の泣き声が聞こえてきた。




