第二章 違和感
ルーカス・グレイヴスとの授業は、静かに始まった。
朝の書斎は外光が薄く差し込むだけで、余計な音のない空間だった。
整えられた静けさの中に、わずかな緊張だけが残っている。
その中心に、エリアスはいた。
背後に、人の気配がある。
それだけで、空気の密度がわずかに変わった。
「まずは基礎学問から始めましょう」
ルークの声は穏やかだった。
押し付ける響きはなく、距離を測るような静けさがあった。
「その範囲は理解しています」
短く返す。
ルークはわずかに頷いた。
「基礎の確認です。履修の有無に関わらず、必要な授業です」
従わせる意図は感じられない。
だが、納得を求めているわけでもない。
ただ、進めるという意思だけがそこにあった。
授業は淡々と続いた。
説明は正確で、無駄がない。
それでもどこか、重心だけがわずかにずれている。
エリアスは言葉にできない違和感を抱えたまま、観察を続けていた。
その日の途中、エリアスは家系図と貴族制度の記録に目を通した。
婚姻、出生、継承。
整っているはずの記録の中に、わずかな引っかかりが残る。
理屈の上では成立している。
それでも、どこかだけが噛み合わない。
気のせいと切り捨てられる程度の歪みだった。
しかし、意識の端には残ったままだった。
午後。
剣術の訓練が始まる。
木剣を構えたエリアスに対し、ルークも同じように構えた。
その立ち姿には無駄がなく、必要な分だけで成立している均衡があった。
開始の合図と同時に打ち合いが始まる。
エリアスは真剣だった。
一撃ごとに間合いを詰め、隙を探る。
だが、そのすべては届かない。
ルークは避けているわけではない。
崩しているわけでもない。
ただ、届かない位置にいる。
最小限の動きで、すべてが制御されていた。
届いていないことだけは明確だった。
技量の差は理解というより事実としてそこにある。
一瞬、思考がわずかに逸れた。
家系記録の歪みが頭をかすめる。
説明できない違和感が意識を横切る。
そのわずかな隙に、打ち込みの軌道がずれた。
木剣は本来の位置から外れ、浅い角度で入り込む。
エリアスの腕に、浅い擦り傷が走った。
痛みは鋭くない。
ただ、結果としてそこに残る程度のものだった。
ルークの動きが止まる。
ほんの一瞬。
呼吸の合間にも満たない時間だけ、視線が傷に固定された。
次の瞬間には、何事もなかったかのように構えが戻る。
「続けましょう」
声も動きも崩れてはいない。
ただ、その一瞬だけが妙に浮いていた。
エリアスは痛みよりも、その瞬間の方に意識を取られていた。
今の間が、頭から離れない。
理由は分からないままだった。
訓練はそのまま続き、やがて終わる。
ルークはいつも通り静かに礼をして部屋を出ていった。
足音はほとんど残らない。
気配だけが、わずかに遅れて消えていく。
残されたエリアスは、腕の傷を見下ろした。
大したものではない。
それでも、あの一瞬だけが思考に残り続けていた。
説明できない違和感だけが、静かに積み重なっていく。
それが、この日のすべてだった。




