推理③:龍造寺恋鐘のマイルール
その子は指をくわえながら、どこか不思議そうな顔で遠くを眺めている。当たり前だが時間は止まっているので、動く気配はない。
俺はその子に駈け寄り、そっと手で素肌に触れてみる。見た目から想起させる柔らかさはまるで無く、肌の暖かさも感じない。
靴やズボンの足元は泥で汚れている上に、砂も付着している。胴体や肩には垣根の枝葉がやたらくっついている。間違いなく、公園で遊んでいた子がここまで来てしまったのだと分かる。
幸いなことに大きな怪我をした様子はない。血が出た箇所もない。
(マジで、居たよ……)
ひとまず恋鐘先輩を呼んだ方がよさそうだ。彼女はどこに居るだろうか。携帯で呼ぼうかと一瞬過ぎったが、この現象中は使えないことを思い出して、既に動かしていた手を拳にした。
「先輩! 恋鐘先輩! いました!」
俺はその場であらん限りの大声を上げた。恥ずかしさはあったが、どうせ誰も聞いていやしない。
恋鐘先輩は道路側の確認をしていたから、公園に戻っているか近くに居るはずだ。
しばらく耳を澄ませていると、足音が聞こえた。
「そっか、ここに居たんだ」
恋鐘先輩が堂々と民家の敷地に入ってきた。
「でかしたぜきーくん! えらい! やればできる子!」
彼女は親指を立てて破顔する。
「はやく迷子か確かめてくださいってかその呼び方やめろ」
どうもこの人はすぐに調子に乗る。せっかく子どもを見つけたことの高揚感も台無しだ。
はいはい、と急かされた恋鐘先輩が指をくわえた少年の前でしゃがみ込む。じろじろと細部を観察しているようだった。
「うん、怪我はないね。たぶんこの子だ」
恋鐘先輩は、おそらく3歳程度であろう少年の肩に触れる。やはり動くことはない。
「ボクたちにできるのはここまでだ。後は直接この子に事情を聞こう」
「直接……」
彼女の言う通り、事情聴取すれば色々と分かるだろう。
だが今この時点で、そんなことはできない。待つしかない。
「なら、とりあえず俺の家まで行って、時間停止が解除されるまで待ちましょうか。学校よりそっちのほうが近いし。それか恋鐘先輩も自宅に戻っておきますか?」
恋鐘先輩は答えず、しゃがみ込んだ。
じっと少年を見つめて黙り込む。動く気配がない。
「先輩? どうしたんですか」
「ごめんね、小林君」
首だけ振り向き、上目遣いで俺を見つめてくる。
「事情が変わった。君の自宅の時間停止解除は、今回は諦めて。大人しく学校で過ごしていてほしい」
何を言い出したのか理解できず、俺はオウム返しに聞いた。
「諦める? 俺の家には行かないと?」
「うん」
「時間停止が終わるまで、学校で待てと」
「そう」
「……いや、急にどうしたんですか。学校で待つのは大変て話だったはずじゃ」
「うん、だからごめん」
ぽんぽん、と彼女は右手で地面を叩いた。
「ボクはここで、この子が動き出すまで待つ。時間が解除されたときここに大人はいない。この家の人が気づいて保護してくれればいいけど、運が悪かったらまたどこかふらふらと歩いて行っちゃうかもしれないし、道路に出たら危険だよ。いつ時間停止が解除されるか分からない以上、君の家にいる間か、その道中で解除されたら舞い戻っても見失うかもしれない。せっかく見つけたからには保護してあげたいんだ。君には不自由を強いて申し訳ないんだけど、我慢してくれるかな?」
俺は、返す言葉が見つからなかった。
彼女の説明が理解できない。いや、理由は分かる。心配だからという配慮なのだと。
だからといって、出力される結論が極端すぎると、抱く印象はまるでおかしなものになってしまう。
「ええと……この時間停止現象がいつ終わるか、先輩にもわからないんですよね? なのに、この場で待ち続けると?」
「そうだね」
「何時間も、下手したら何日もこのままなのに?」
「できる限りは頑張るつもり。さすがに空腹とかトイレとか生理現象には抗えないから、そのときは離れるけどね。でもまたすぐに戻ってくる」
「そんな、先輩がそんなことをする必要はないでしょ?」
自分の疑問そのままの言葉をぶつける。
確かに俺の家に到着したとき時間停止が終わったら、戻るまでの十数分の間にこの子がどこかへ移動して、保護できない可能性はある。
だが限度というものがある。どうしても俺達でなければいけない理由もない。
「何か目印を立てておくとか、人がすぐに駆けつけてくれるような対策するとかできるでしょ。難しくても、せめて近くの休みやすい場所に移動しませんか。もし時間停止が何日もかかるとしたら、ここで待ち続けるのは大変ですよ。近くだったら解除と共に駆けつければきっと間に合います」
「うん、だから君はそうしていいよ」
再び子どもを見つめた恋鐘先輩は、平然と言った。
動き出す気配を見逃すまいとするように、ずっと少年に目線を向けている。
「学校は既にいくつか時間停止を解除しておいた。お腹が空いたら、図書室横の資料閲覧室に行って。そこはボクが所属してる同人文化部で、こういうときのために隠しておいたインスタント食品やパンがあるし、水もある。トイレは女子トイレしか解除できてないから、恥ずかしいかもしれないけどそこで済ませて。寝たかったら保健室使っていいよ。ベットも解除してる」
用件だけ矢継ぎ早に叩きつけられて、困惑は更に増した。
なぜこんなにも頑なにここで待とうとするのか。
「どうしてですか」
衝動的に問いかけていた。
「心配なのはわかりますけど、過剰ですよ。何か起こるとは思えない」
「万が一ってこともあるでしょ? 何か起こってからじゃ、遅い」
「でも――」
「小林くん」
硬質な声と共に、恋鐘先輩が再び俺の方を向いた。目を細める。
いつもの雰囲気は消え失せ、鋭い眼光が俺に突き刺さる。
「これがボクのやり方なの。とやかく言われる筋合いはないし、そもそも君にそんな権利ないよね。《《ボク達は対等じゃないんだ》》。せめて邪魔しないくらいの融通は効かせてよ」
彼女の台詞はそれきりだった。それで十分だと言わんばかりに、ふいと前を向く。
語る必要はない。理解されなくていい。そんな感情を、態度で示されている。
何なんだ一体。
こっちだって好きで助けてもらっているわけじゃない。後ろめたさも罪悪感もある。一人で生きていけるならとっくにそうしている。鬱憤や不安を抱えた中でも気遣ったっていうのに、まるでありがた迷惑の如く跳ね除けられた。
この人は、おかしい。
「――そうですか。 わかりました。じゃあ俺は学校に戻るんで」
踵を返す。足早に民家の敷地を出て学校への道を戻る。
恋鐘先輩は、俺に一言も声をかけなかった。
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