閑話:理解に苦しむ
来た道を引き返し、学校まで戻ってくる。
誰も彼もが停止している校内を進み、図書室のある第2校舎に向かう。上北垣高校には第1校舎と第2校舎があって、第1後者は各学年の教室と職員室や保健室がある。選択科目の専用部屋や実習室が揃っているのが第2校舎だ。第1校舎と第2校舎は一階と三階にある渡り廊下で繋がっている。
恋鐘先輩が居なくても学校という空間は開けている場所が多く、大体はどこかのドアや窓が解放されているので行き止まりになることはなかった。
俺は図書室の前にたどり着く。扉が閉まっているので入れないが、用があるのはその隣の資料閲覧室だ。ここが同人文化部とやらの部室として間借りされている、らしい。
引き戸の取っ手に指をかけ、力を込める。
ガラリという音を立てて、引き戸が動いた。
「――俺、じゃないよな」
何度もスライドさせながら独白する。ここに来るまで何を触っても時間停止が解除できなかった。偶然力が芽生えたわけではなく、恋鐘先輩が俺と出会う前に時間停止を解除していた、ということの証拠だ。
時間停止が始まって、俺は混乱のあまり教室内に留まっていたし、動く人間を探して歩き回っていた。正確には分からないが、一時間程度だったはず。その間に彼女は様々な場所の時間停止を解除して回っていたわけだ。保健室のベットも解除していたというし、食料や寝床を真っ先に解除しに行っているあたり、サバイバーの行動そのものだ。
俺は資料閲覧室に入る。6畳ほどのスペースだった。入口の向かいの壁には窓があり、カーテンが閉められている。右奥には図書室と行き来できるための扉があった。部屋の中央には長い机が二つ接するように置いてあり、椅子が5つ。
その椅子に、女子高生が腰掛けていた。
スケッチブックを机の上に置いてデザインをしている――という態勢のまま固まっている。
人間が居るとは思わず一瞬緊張したが、動かないことを確認して俺は息を吐く。きっと同人文化部の部員なのだろう。
女子生徒以外には誰もいない。更に部屋の中を見回してみたが、壁際にスチール製の棚とホワイトボードが置いてあるだけで、だいぶ簡素な室内だった。
俺は女子生徒に近付く。栗色のウェーブがかかった髪型をしている女子生徒は、卵型の丸みを帯びた顔つきで目も大きく、恋鐘先輩とは別の系統で美形だった。上履きに入った線は緑色なので、3年生だ。
覗いちゃいけないと思いつつ、スケッチブックのページが視界に入ってくる。女の子のキャラクターの絵が映っていた。どこかで見たような気がするが、思い出せない。
(そもそも同人文化部ってどんな部活だっけ?)
新入生歓迎会が体育館で行われたとき、部活動の紹介もあった。だけど俺は部活に入るつもりはなかったので、まるで聞いていなかった。
とりあえず、今は部活の詳細は置いておこう。確かめるべきは食料だ。
俺は壁際のスチール製の棚に近づく。スライド式のドアは、やはり簡単に開いた。
棚の下段には様々な種類の菓子パン、固形栄養食、カップラーメンなどが並んでいた。恋鐘先輩の言う通り、食料が置いてある。一ヶ月はまるで保たない数だが、恋鐘先輩なら自宅に戻るなりして更に確保できるだろう。
そんなことを考えながら、俺はしゃがみ込んで目の前に積まれたカップラーメンに手を伸ばした。
「ん?」
カップラーメンが動かない。
時間停止が解除されていない。
もしや扉だけ解除して中身は解除し忘れてしまったのか?
不安になって近場の菓子パンに触れると、こちらは動いた。ホッとしつつ棚の中を手探りで調べる。手前に積まれたカップラーメン以外はちゃんと動いた。何なら奥の方にあったカップ焼きそばも取り出せた。
カップラーメンはうっかり解除し忘れた、ということだろうか。そういうこともあるかもしれない。
俺は奥に積まれていたカップ焼きそばを取り出して立ち上がる。腹時計的には夕飯を迎えていておかしくない。
まずは空腹を満たそうと思い立ち、そこで気づく。
(お湯って……どうすりゃいいんだ)
この部屋にポッドはない。学校にはどこかにお湯を使える設備があるのだろうが、新入生の俺にはその場所がわからないし、今回時間停止が解除されているとも限らない。
そうなると、恋鐘先輩に時間停止を解除してもらわないといけない。
だが、彼女はあの場を動こうとしない。
「……意味ないじゃねぇか」
俺は恋鐘先輩が居ないと何もできない。カップ焼きそば一つ満足に作れない。
菓子パンで済ませばいい、というのは単なる問題の誤魔化しだ。何も解決しない。
ため息を吐いて、こちら側に向いていた椅子に腰掛ける。俺が座っても、隣の女子生徒はピクリともしない。
「なんで俺には能力がないんだよ」
天井を見上げながら呟く。
ぐぅと腹が鳴った。考えようとしても、空腹が集中を乱す。
天井をぼんやり見上げていると、恋鐘先輩の後ろ姿を思い出す。
彼女もまた空腹のはずだ。我慢しているのだろうか。
いつ終わるかも知れない状態でじっと耐え続けるなんて、忍耐力がどうこうの次元じゃない。いくら心配でも、あの場に留まり続けるのは異常だ。
恋鐘先輩は、どうしてあんな真似をするのだろう。
俺がもし時間停止解除ができたら、割と自由に過ごすに違いない。悪いとは思っても、生き残るために様々な物を盗み、生活を維持する。他人なんて気に留めている場合じゃない。
なのに彼女はこんな世界でも、他人のために動いている。
分からない――分かっているのは、そんな彼女の力を借りなければ生き残れない、ということだ。
俺はカップ焼きそばに目を移し、それを掴んでから、再びスチール製の棚に歩み寄った。
***
迷子がいた場所に戻ると、まったく変わらない恋鐘先輩の姿があった。
離れてから軽く一時間は経過しているはずなのに。
「――あれ?」
足音に気づいたのか、恋鐘先輩が振り返る。
彼女は驚いたように両眉を上げていた。
「どうしたの? もしかして部室が分からなかった?」
「いえ、部室は分かりましたよ」
俺は両腕に抱えた菓子パンとカップ焼きそばを見せる。
恋鐘は眉をひそめる。それならなぜ戻ってきたのか、という疑問が顔に出ていた。
「実はカップ焼きそばが食べたくなって。でも俺、お湯がどこで出せるか分からないんです」
「……まさかそれだけのために戻ってきたの?」
察した恋鐘先輩が、若干呆れ気味で指摘した。
「そうですよ。普段はどうしてるんですか?」
「化学室のカセットコンロを拝借してる。あとはコンビニのポッドとか……両方、ボクがついていかないといけない、ってことか」
彼女がチラと少年を見る。
「お湯がなくても食べれるものじゃダメ?」
「焼きそばが食べたい気分です」
「君もなかなか神経が図太いな」
恋鐘先輩が困ったように笑う。
やっぱりこの人は離れたくないらしい。筋金入りの変わり者だ。
確認した俺は、ため息を吐いて言った。「じゃあこうしましょう」
「俺がここで代わりに見てるんで、先輩がお湯を使ってカップ焼きそばを作ってきてください」
ポカンとした恋鐘先輩が、首を傾げた。「どうして?」
「どうしても何も、この子から離れたくないんすよね? で、お湯を使えるようにするのも先輩だけしかできない。だったら役割を交代しましょう。仮にここで時間停止が解除されたとしても、俺がこの子を捕まえておきますから」
「いや、そういうことじゃなくて……これはボクが勝手にやっていることだよ。君が関与することじゃない」
「俺がカップ焼きそばを食いたくて仕方がないことも、俺の勝手な都合です。だからおあいこです。気にしないでください」
彼女は瞬きを数回繰り返した。困惑しきっていて、逆にちょっと面白い。
なぜこんなことを自分に課しているのか理解できなくても、事実として彼女は何も食べれていないし、残念ながら俺も彼女を忘れて過ごせるほど冷血漢じゃない。
感情的な理由で拗ねて放っておくのは、幼稚な行為だ。
「――図太い上にワガママだ」
どこか面白そうに呟いた恋鐘先輩は、立ち上がって俺からカップ焼きそばを受けとる。
「仕方ない。ちょっと待ってて」
「お願いします」
肩にかかった長い髪の毛を払って、恋鐘先輩が横を通り過ぎていく。ふわりと甘い香りが鼻孔をくすぐった。化粧っ気はまるでないしスカートも膝丈より下だしお洒落にも無頓着に見えるが、彼女の髪だけは艶めいてとても綺麗だ。長すぎて野暮ったいが、結構しっかりと手入れしているらしい。
俺は去って行く彼女を確認して、その場に座りこんだ。
***
30分ほど待っていると、恋鐘先輩が戻ってきた。
俺はカップ焼きそばを受け取って、地面に座りながら食い始める。「いただきます」
恋鐘先輩も俺の隣にしゃがみ込み、俺が持ってきた菓子パンを両手で持つ。
しかし封を開けることなく、こちらをじーっと見つめている。
「ねぇ。なんでここで食べるの? 性的アピールなの?」
「隣で焼きそば食うと性的なアピールになるんですか」
「俺の豪快な食べっぷりどうだ凄いだろ、みたいな?」
「そんな動物みたいな思考してる奴に見えます?」
「見えなくもないし見えるくもなくもない」
それはどっちだ。
スカートの裾を太腿の裏で挟んでしゃがむ彼女は、袋に入ったままのパンを膝の上に置いて、聞いてきた。
「本当はどうして?」
覗き込むような視線を向けられていた。
俺は口の中の焼きそばをゆっくり噛んで、飲み込んでから答える。
「聞きたいからですよ」
空になったカップ焼きそばの容器を地面に置く。
「俺の生命線は先輩です。倒れられたら困る。先輩の行動をとやかく言える立場じゃないのはそうですけど、こっちだって無関係じゃないんだ。俺が生き残るためにも、こうやって飯を届けたり、協力したほうがいいんじゃないかなって」
「心配しなくてもいいんだよ? ボクのことは。何年もこうしてきたから慣れてる」
「あんたは人の心がわかってない」
ズバリというと、恋鐘先輩が目を丸くした。
「んなことできるわけないでしょう? 飯も食わずゆっくり落ち着けもしない女の子のことをすっかり忘れて過ごせるほど、俺は鈍感でも冷血漢でもない。心配してほしくないのなら、ちゃんと俺が納得するように話してください」
俺は努めて、真面目な表情で告げる。
「黙ってるのなら、俺はあんたのそばにずっといるぞ。いいのか」
「と、突然のプロポーズ?」
「茶化すな。俺が言いたいのは、先輩が黙っているうちは引っ付きまわるってことですよ。その方が俺にとってマシだから」
「――知れば、少しは落ち着くのかな? 君は」
頷く。
どこか探るような恋鐘先輩の視線を、真正面から受け止める。
「教えてください。なんで先輩はこんなことをしてるんですか。ていうかまず、なぜ迷子がいるってわかったんです?」
恋鐘先輩はすぐには答えなかった。「そうだねぇ」と呑気に呟き、頬に人差し指を添える。
「君にこんなことを言われるのは想定外だったな。ボクもまだまだか……しょうがない。一から説明してあげよう」
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