俺の推理①
夏休みに入ってすぐ、俺達はまた時間停止現象に巻き込まれた。
時刻は夜の19時30分。夏季は日が暮れてまだ間もない頃合いで、街の至る所に人工の光が灯り始め、夏の熱気が少し収まってきた時間帯だ。外出中の人も多く、これから食事をしたり遊んだり、あるいは帰路につくのだろう。
しかし俺が今過ごしているこの空間では、あれほどの蒸し暑さや蝉の合唱や喧騒は一切合切、消え失せている。夏の浮き足だった雰囲気は、無菌室のように漂白された。
音、光、熱が人間の感情や行動にかなりの影響を与えていたことを、俺はこの現象に巻き込まれる度に感じていた。
こんな世界で過ごし続けていると、精神もおかしくなる。
「君がこんなところに誘うなんて、珍しいね」
隣の声に応じて、俺は視線を向ける。
恋鐘先輩はプールサイドでしゃがみ込んで、俺に笑いかけていた。
俺と恋鐘先輩が立っているのは、中学校のプールだ。ここは祖父母宅の近所にある中学校で、校舎に隣接したプールがあることも知っていた。塀で囲われているので普段は覗き見ることはできないが、時間停止中であれば人の目もセキュリティも関係なく侵入できる。
「どういう心境の変化なのかな? 普段はあれほど、人のものを見るなとかうるさく言うくせに」
当然の質問だった。なぜなら、俺から誘ったからだ。
学校外で時間停止が発生した場合、恋鐘先輩に俺の自宅に来てもらって時間停止を解除してもらっている。その後は恋鐘先輩が俺の部屋に居残ったり、散歩しようと提案したり、彼女が主体的に決めることが多かった。助けてもらっている身分なので素直に従っていたが、決して俺が次の行動を決めたことはない。
しかも今回は、本来であれば犯罪行為だ。これまでの彼女への小言を考えれば、怪しまれても仕方はない。
だけど、どうしても広い場所に誘い出す必要があった。
「普段行けない場所に行ってみるのも面白いかと思って。暑かったですしね」
決して多くは語らず、俺は端的に答えた。
「そりゃー夏休みのプール侵入は青春っぽいけどさぁ」
恋鐘先輩はプールサイドから水面を見つめていた。
水面は、月光や人工の光を受けてキラキラと輝いる。その光が変わることはない。水の波紋もずっと固まったままだ。俺達が覗き込んでも姿が映ることはない。当然、触ったらコンクリートのように固い。風情はまるでない。
「先輩がプールの水を全部触ったら泳げるようになりますか」
「なるけど、生ぬるいよ?」
「はは、なるほど」
俺が笑ったとき、恋鐘先輩は何かに気づいたようにハッとした。
「つまり君はここで初体験したいと」
「急に理性をかなぐり捨てるな」
「だってプールでちょっと水遊びする→濡れる→やらしい雰囲気になるって方程式でしょ? 真実はいつも一つ!」
「それ捏造って言う別人です」
「でも初体験が室外でプールとかお姉さんその性癖は受け止めきれないよ」
「俺もあなたのポンコツを受け止めきれません。ていうか、先輩の中の俺はどういう人物像なんですか」
「可愛い後輩」
「その印象でどうしてさっきの迷推理が出てくるんだ?」
恋鐘先輩はニタニタしている。疲れる。こうやって俺をおちょくって遊んでいるんだ。
俺は嘆息したが、すぐに意識を切り替えた。今日は彼女と遊ぶつもりで誘い込んだわけじゃない。
恋鐘先輩と、話がしたかった。
わざと屋外にしたのは、話の途中でどこかに逃げ込まれるのを防ぎたかったからだ。俺の考えが正しいとすれば、彼女は《《閉じ込もることができる》》。
なので遮蔽物や個室がなくて、こちらが対応できるくらい広い場所にしたかった。プールへの侵入は珍しさ優先と見せかけて、俺が考える好ましい環境に合致していただけだ。
条件は整った。あとは聞きたいことを聞くだけ。
俺はプールサイドに立ち、彫刻のような水面を凝視する。
「――実は俺、プールで泳げないんですよね。ていうか水が怖くて」
「あれ、カナヅチだったの?」
「昔は泳げたんですけどね。小学校6年生の夏休みに、この地域で川に溺れて死にかけて以来、無理になりました」
記憶の箱を引っ張り出しながら話し始める。
幸か不幸か、当時のことはまだ鮮明に覚えていた。
「俺が父方の祖父母宅に居候してるのは前にも説明しましたよね? 実家は隣の県にあって、小学校の夏休みは親父と一緒に祖父母宅に帰省してました。その年も祖父母宅に帰ってたんですけど、台風のせいで家に籠りっきりで。それで台風が去った後に内緒で遊びに出たんです。家から上北垣高校に向かう途中に河川敷があって、そこには整備されたグラウンドがあるんですけど、現地の子が野球してまして。たまに混ぜてもらってました。当時もそのつもりで行ったんです」
「アクティブなお子さんだ」
しゃがんだ姿勢で頬杖をつきながら、恋鐘先輩が言う。
彼女はわざとなのか、俺と目を合わせようとしない。
「そうですね。地元でもないのに親戚家の近隣の子達と遊ぶんだから、自分でもよくやってたなと思います。でも当時はあんまり気にしなかったんですよ。野球仲間って感じで……ただ、台風が去った後だからグラウンドは水たまりばかりで使い物にならなくて、誰も遊んでませんでした。それで帰ろうかなと思ったら、橋の下で遊んでいる男の子達を見つけた。
男子達は増水した河川のギリギリまで近付いて、流れる漂流物を取ってくるって危険な遊びをしてました。退屈だった俺は混ぜて貰ったんです。で、案の定、足を滑らせて川に落ちました。
そこからはもうどうしようもなかった。流れの速い泥水に全身が囚われて、あっという間に流されました。近くには大人の姿もないし、同い年くらいの男子しかいなかったから助けられるわけもなくて。自分では覚えてませんけど、すぐに意識を失ったみたいです」
恋鐘先輩は声を挟まない。じっと俺の話に耳を傾けている。
「気づいたら病院のベットの上でした。俺は助かって近くの県立病院に運ばれていました。救急隊の話によると救出されたわけじゃなくて、到着したときには岸辺で倒れていたのを発見されたそうです。川底に沈むことなくうまく流れに乗って岸辺に流れ着いたんじゃないか、と説明されました。枝とかペットボトルが流れ着くみたいな感じで。医者も警察も親も、揃って奇跡だと言ってましたね。
でも俺は、五体満足で助かったわけじゃなかった。頭を打ったか脳に酸素が届いてなかったかの影響で、左腕に麻痺が出ました」
俺は左腕を持ち上げる。掌を握って、開く。たったそれだけの行動でも、意識しないとうまくいかない。力も入らない。
「最初は全然動かせませんでしたけど、リハビリして、物を持ったり掴むことはできるようになりました。それでも握力は昔より無いし、ボールを掴む動作もぎこちない。野球を諦めた理由がそれです。だからか、この街の高校に通うと俺が言い出したときは両親とかなり揉めましたね。トラウマを刺激するからって。でも、俺にとってはもう過去です。馬鹿だったことを反省してるし、左腕のことも自業自得だと受け入れてます。きっとそのうち薄れていく記憶になるはずだった……たった一つのことを除けば」
声が少し、口元で引っかかった。自分でも緊張しているのが分かる。
だけど俺は、逃げるわけにはいかなかった。知らなければいけないから。
「俺が助かったのは本当に奇跡だったのか。運よく岸辺に辿り着くなんてあり得るのか。なぜ障害は左腕だけで済んだのか。あんなにも流れの速い川で溺死しなかった結末を、受け入れていいのか」
「軌跡があったんじゃない? 現に君はここに立ってるんだし」
「俺は女の子を見たんです」
彼女の言葉を否定も肯定もせず、被せるようにそう告げた。
「溺れている最中の幻覚だったのかと思っていました。なにせその場には男子しかいなかったし、救急隊や警察に確認しても女子はいなかったと言っていた。けど、ハッキリと見たんです。病室で目覚める前、俺を覗き込みながら泣きそうな顔をしている女の子がいたことを」
恋鐘先輩は何も言わず、ゆっくりと右手の指先をプールの水面に触れさせた。
「もしも俺が見た子が幻じゃなかったのなら、一体誰なのか。なぜ急に消えてしまったのか。俺に何をしていたのか。ずっと引っかかってた……そして時間が経ち、俺の身にもう一つ不思議なことが起こりました。時間停止現象です」
指先が触れた接触面の時間停止が解除され、水の揺れが復活する。しかし接触面がわずかしかないので、ほんの小さな水たまりが生まれたに過ぎなかった。
「今まで一度もそんなことはなかったんですよ。高校に通い始めて、急に起こった。俺はそのことを、恋鐘先輩の10歳のときと同じように、突然俺の身にも同じことが起こったんだと解釈していました。けれど、真実は違ったんです。どちらにも共通点があった。それが全ての原因だった」
俺はゆっくりと恋鐘先輩の方を見る。
彼女もまた、俺をゆっくりと見上げた。
「共通点はあなたです、恋鐘先輩」
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