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龍造寺恋鐘の時間停止ミステリ  作者: 伊神一稀
第3章 時の止まった屋上
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解決②:彼女が選んだ償いの手段

 その通り、と恋鐘先輩が首肯した。


「この包丁も奥さんのものだろうね。血液の他に指紋もついてるから、証拠になりうる。あと奥さん、左利きだったし」

「知ってたんですか?」

「気づいたんだよ。先生のスマホ画面だと奥さんは右手にグラスを持っていて、左手で撮影してた。大体利き腕でスマホを使うからさ。あと右手のそばにもフォークが置いてある。テーブルマナーが必要なお店っぽいし、右利きだったら普通は左手でフォークを持つからね。決定的な証拠ではないけど、この状況もそうだと示している。山田先生も包丁を受け取ろうとしたからには奥さんのものと気づいたはず。羽田さんに写真でも見せられて、自宅でよく見た包丁だと分かったんだ」


 恋鐘先輩は息継ぎして、更に続ける。


「順を追って説明しよう。佐々木さんは手帳を入手したけれど、不倫の証拠は見つけられなかった。そこで山田先生の奥さんに届けた。奥さんなら不倫に気づいてくれる、あるいは怪しんでいたなら証拠になるかもしれない。山田先生は生徒と年賀状の交換をしていたというけど、佐々木さんもその一人で住所を知っていたんじゃないかな。そうして山田先生がいない時間帯にポストに入れたり、玄関先に置いておくとかしたんだろう。そこまでした理由は、友情のため、かな?」


 佐々木先輩に訪ねるが、溢れる感情に押し潰されたかのように、彼女は黙り込んでいた。

 返事がないので、恋鐘先輩は独演を続ける。


「けれど佐々木さんにも誤算があった。止めてもらいたかっただけなのに、奥さんは山田先生を襲ってしまった。先生が学校に来なくなったことで、佐々木さんは自分のせいで何か起こったのだと不安になり、体調を崩して学校を休んだ。

 一方で襲われた場面にいた羽田さんは、奥さんの犯行ではないかと疑い始めた。もしかすると現場で犯人の顔も見ていたのかもしれない。あのスマホの写真と同じ人だ、とね。不安になった羽田さんは佐々木さんに相談したかったけれど、佐々木さん自身も話ができないくらい憔悴して学校を休んでいる。そこで、手帳が無くなった事実も合わせて薄々、佐々木さんと奥さんの仕業ではないかと考え始めた。実際は奥さんの暴走だったわけだけど、完全に間違いではない。

 自分の行いでとんでもないことになったと後悔した羽田さんは、佐々木さんと奥さんのために、包丁を渡すと山田先生を屋上に呼び出して狂言自殺を実行した。山田先生に、全ての罪を償わせるために」

「山田先生に?」

「そう。その証拠に、先生が電話していたのは奥さんだよ」


 俺ともう一人、佐々木先輩が驚きで両眉を上げた。


「奥さんに謝罪させて傷つけたことを不問にするとか、慰謝料を払って示談にするとか言わせて、二人の間で解決させようとした。狂言自殺の目的は、そこだったんだ」

「てっきり警察や救急を呼んでるとばかり……」

「羽田さんの目的が脅迫だと理解していたからこそ、山田先生は踊り場まで戻って電話したんだよ。彼女に死ぬ気がないのは明白だったけど、学校は目立つから粘って説得する時間もない。誰かが上がってきたら全てが明るみになる。そうした状況を作ることこそが、羽田さんの狙いだった。

 山田先生は苦悩した末、奥さんに電話をかけた。学校側に知れ渡って全てを失うより、ここで言うことを聞いて丸く収めるほうが良いと判断した。踊り場に行ったのはせめて話を聞かれたくなかった、という姑息さもあったんだと思うけど」


 「そうですよね、先生」恋鐘先輩が振り返る。

 いつの間にか屋上のドアを背にして、山田教諭が立ち尽くしていた。

 抜け殻のような唖然とした表情で、スマホを持った左手を垂らしている。


「先生は病院で治療を受けて自宅に帰った後も、奥さんと一緒に過ごしている。たとえば、先生のワイシャツの襟首や手首の汚れはまるでない。ヒゲだってしっかり剃れてる。利き手が使えないのにここまで綺麗に服が着れるのも、誰かの介助があるからです。つまり、奥さんはあなたを刺しておきながら、何食わぬ顔であなたと住み続けていた。

 一方であなたは犯人が誰か分からず、けれど警察に相談もできないので、不気味で恐ろしくてたまらない数日を過ごした。そんなとき羽田さんから包丁の写真が送られてきて、奥さんが犯人だと知り驚愕した。なんとかしたいと考えたものの、やっぱり警察は頼れない。刺された状況を聴取されれば生徒との不倫まで公になってしまうので。

 唯一の解決策は奥さんを脅すこと、でしょうか。包丁という証拠を盾に、警察に駆け込むぞと相手を揺さぶる。実際にはそんなことできませんけど、奥さんは騙されるかもしれない。そうして慰謝料なしで離婚を成立させるのが狙いで、羽田さんの誘いに乗って休みの中でも学校までやってきた。

 でも、実際に脅したところで奥さんは屈しなかったでしょう。あなたを刺した末にのうのうと一緒に暮らしてしまう精神状態ですからね。今更警察沙汰になることも怖くないはず。自首して不倫を公にしてやることくらい考えてたと思いますよ? いつもと変わらず過ごしたのは、あなたが反省してやり直してくれることを願っていたからです。羽田さんがあなたにさせた行動は、結果的に奥さんが望む展開でもあった。ちゃんと仲直りしたほうが懸命ですよ、先生。何されるかわかったものじゃない」


 恋鐘先輩が唇を釣り上げた。


「さて、これがボクが推理した全容です。おおよそ当たっていたかな?」

「――ざけるな」


 声は羽田先輩でも佐々木先輩でもなかった。


「ふざけるなよお前ぇ……!」


 山田教諭が目を剥いていた。

 左手をわなわなと震わせながら、歯を剥いてこちらに走ってきた。凶暴さを隠そうともしない表情で、一直線に佐々木先輩に近付いていく。


「お前が手帳なんか送らなければ!」

「ちょ、往生際!」


 硬直した佐々木先輩は動けない。恋鐘先輩が慌てて盾になろうとしたが、動き出しが遅い。

 そのとき羽田先輩が、佐々木先輩を庇うように抱き締めるのを、俺はハッキリと目撃した。

 目撃しながら俺は、山田教諭が伸ばした腕を掴み、そのまま背負投した。

 男の体は宙を舞い、屋上の床に叩きつけられた。


「――がっ!?」


 後頭部や背中を強打した山田教諭は、激痛に加えて肺から空気が抜けた酸欠により悶絶する。

 

「手を出したらあんた、本当におしまいだよ」


 教え子に手を出した上に刃傷沙汰になっているのだ。更に輪をかけて最悪な事態になるのを防いでやったのは、教師として世話になったことへの俺なりの慈悲と言える。

 しかし男は呻くだけでろくに反応しない。手加減しておいたが、やりすぎたかな。

 埃を払いながら立ち上がると、恋鐘先輩ら三人はあんぐりと口を開けていた。


「こ、小林くんて、実は強い子?」

「大したことないです。相手が右手を使えなかったから投げられたんですよ」


 謙遜ではない。俺の祖父が柔道の師範で、昔はよく稽古をつけてもらっていた。左腕に障害が残ってからはまるで経験がなかったので、本当に素人に毛が生えた程度でしかない。うまくいったのは偶然だ。

 むしろ、ろくに練習もしていない身で技を使ったことを祖父が知ったら、きっと激怒される。黙っていよう。


「それより先輩は大丈夫ですか。怪我は?」

「ありがとう、大丈夫」


 頷くと、恋鐘先輩が俯いた。


「迂闊だった……危うく二人に被害が出るところだった。予測できたのに」


 珍しく悔しそうだ。握り締めた手は小刻みに震えていた。それは自身への怒りのせいか、それとも男に襲われた恐怖からか。


「そうですよ、反省してください。俺がいなかったらどうしてたんですか」

「すみましぇん……」


 いつもの調子外れな返しがない。相当堪えているらしい。

 まだまだ小言は浮かんでくるが、俺は喉元に出かかっていた台詞を引っ込めた。

 代わりに俺は、彼女の肩をぽんと軽く叩く。


「無事だったならいいです」


 恋鐘先輩が、俺を見上げる。その瞳が潤んでいた。


「小林くん、やさしいね」

「今日は特別ですよ」

「ボクやさしい人しゅき。毎日優しくして。だいしゅきホールドしてあげる」

「やめろ。あと用法が違う」


 元の調子に戻ってやいのやいの騒いでいると、背後から泣き声が聞こえた。俺と恋鐘先輩はそろって振り返る。


「ごめん、ごめんね、望」


 羽田先輩が佐々木先輩を抱き締めて泣いている。顔をくしゃくしゃにして、縋り付くように声を上げていた。


「あたしのせいで、こんなことになって……ずっと心配してくれてたのに、友達でいてくれたのに……ごめんよ……!」


 呆けていた佐々木先輩だが、大きく見開いた目に涙が浮かび、大粒の雫がぽろぽろと溢れていく。


「こっちこそ、ごめん……私のせいで絵美ちゃんのこと、こんなに苦しめて……ごめんなさい」


 佐々木先輩もまた羽田先輩の背中に手を回して抱き締める。

 そうして二人は一緒に泣き始めた。

 謝罪の言葉は途切れ、ただひたすらに涙を流す。けれども、決して悲観するような場面には感じない。


「一件落着、かな?」


 恋鐘先輩はこちらを向いて微笑んだ。俺は笑いながら頷く。


***


 その後、屋上には騒ぎに気づいた野次馬と共に他の教師達も現れて、一連の騒動が学校側に発覚することとなった。

 山田教諭は職員室に連行された後、警察の手に渡った。佐々木先輩と羽田先輩、そして俺と恋鐘先輩も学校の中で警察に根掘り葉掘りの質問を受けることとなった。もちろん時間停止現象のことは説明したところで理解はされないし事態をややこしするので黙っていた。そこのところ恋鐘先輩は経験豊富で頭が回るので、うまく辻褄が合うように説明して事なきを得た。

 どのみち俺達は自殺未遂に偶然気づいて駆けつけただけの部外者なので、疑われるようなこともなかった。むしろ俺は、山田教諭を投げ飛ばしたことについて警察と教師、ついでに報告を受けた祖父からみっちりと絞られてしまったが。

 この事件について、学校側は口外禁止と言い渡した。関係者以外が事件の全容を知ることはなかったが、人の噂は止められないもので、羽田先輩と山田教諭が不倫関係にあったことは周知の事実になっていた。彼女は一気にアンタッチャブルな存在になってしまった。

 しかし恋鐘先輩によれば、心配ない、とのことだった。

 いつも佐々木先輩が一緒にいて、二人で笑い合っている姿を目撃しているという。確かにそれなら、きっと大丈夫だろう。

 そして山田教諭は、事件の後に一回も姿を見ることはなく、いつの間にか上北垣高校からも去っていた。風の噂によると奥さんが自首して刑事事件になったらしいが、不起訴に終わって離婚も成立したという。

 全ては収まるべきところに収まり、事件は終わった。


 ――だが、まだ終わっていないことがある。

 俺と恋鐘先輩を取り巻くこの時間停止現象という不思議な事態。

 全ては神の仕業のように考えられていたこの人智を超えた現象は、理由や原因などないと思っていた。

 だけど、全ての物事には理由があり、原因があり、そして今のこの状態に帰結する。

 少なくとも、俺に関してはそうだった。

 そして俺には、それを明らかにする《《理由》》がある。


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