解決①:真犯人
俺達三人は這々の体でフェンスを越えた。
屋上に降り立った瞬間、羽田先輩は屋上の床にぺたんと座り込む。顔は土気色で、瞳孔が開ききっていた。
「絵美ちゃん……!」
佐々木先輩が羽田先輩に抱きつく。されるがままだった羽田先輩は、しかしハッとしたように目を見開くと、彼女の体を突き飛ばした。
愕然とする佐々木先輩を無視して、眦を吊り上げた羽田先輩が俺達を睨む。
「何なのよあんた達は……! 誰なの!?」
「ボクは佐々木さんのクラスメイトだよ。で、こっちは部活の後輩の小林くん」
屋上に膝をついていた恋鐘先輩は、頬にかかった黒髪を手で払い立ち上がった。
「彼と昼ご飯を食べようと移動しているとき、校門でしゃがみ込んでる佐々木さんを見つけたんだ。声をかける直前、彼女が上を見ていたから視線を辿ってみると、なんと君が屋上のフェンスを超えているのが見えた。それで彼を君のところに行かせて、ボクは佐々木さんに事情を聞いてからこっちに来たのさ」
堂々と説明しているが、よく考えれば時系列は怪しいし山田教諭を無視してここに辿り着いた矛盾もある。しかし彼女は舌打ちをして視線を逸らす。助かった直後でまだ動揺があるからか、深く考えもせず受け止めたようだった。
「どうして」佐々木先輩が呟く。
「どうして、こんなことを」
「――あんたには関係ない」
「嘘」
断言した佐々木先輩の目元に、涙が溢れていた。
「あたしのせい、でしょ?」
「違う!」羽田先輩が弾かれたように振り返る。
「あんたは関係ない! これはあたしが勝手にやったことだから! あの男が言うこと聞かないから……!」
「佐々木さんの言葉は正しいよ」
二人の応酬に割って入ったのは、恋鐘先輩だった。
「羽田さんは、佐々木さんのためにこんなことをしたんだ。彼女はもう気づいてる」
羽田先輩は、信じられないものを見る目で恋鐘先輩を凝視していた。
「あんた、どこまで知って……」
「全部」
言い切ったことに、二人は声を失って愕然と彼女を見つめた。
置いてけぼりなのは俺だけだ。「あの」軋む右腕を擦りながら、恋鐘先輩に声をかける。
「事情が飲み込めないんですが」
「そうだね。羽田さんと佐々木さんのためにも、ボクから説明しようか」
恋鐘先輩は、三人の注目を浴びながらも、臆すること無く説明を始めた。
「まず、羽田さんがなぜ学校の屋上から身投げしようとしたかについて。遺書には山田先生と不倫していたこと、奥さんと別れてくれないことに激怒して刺してしまったこと、後悔して自殺しようとしたことが書いてあったね」
「は?」羽田先輩が、間の抜けた声を上げた。
「何でそんなこと……え? 鞄から出してなかったはず」
「小林君がね、君に接近する前に見つけて読んでたんだ」
羽田先輩の訝しげな視線が突き刺さる。恋鐘先輩が俺に近づき、合わせて、とこっそり言ってきた。打ち合わせもなしに唐突すぎる。
「そ――そう、なんです。屋上に俺だけ向かったとき、背を向けてるあなたを発見して。恐る恐る近付いたとき、置いてある鞄に遺書っぽいものがあるのが見えたので、その、勝手に読みました」
苦しい言い分だ。羽田先輩は不機嫌そうに眉を曇らせて睨んでくるが、しかし追求はなかった。
気づかないうちに接近されていた、つまりそれだけ危険な状況に頭が一杯だったと、自分で理屈を付けたのかもしれない。
「話を戻そう」恋鐘先輩がパンと掌を打ち鳴らす。
「君は責任を感じて自殺するためにここに来たと書いていた。けれど、ここは自殺には相応しくない場所だ。白昼の場で大勢の生徒がいて人目につくし、そもそも屋上は施錠されている。教師が開けてくれなければ来れない場所を自殺に選ぶ必然性が薄い。そもそも自殺したいのなら他の場所や他の方法など幾つも選択肢がある。君がここを選んだ合理的な理由があると考えるのが打倒だよね?
じゃあその理由は何か。あえてここを選び、山田先生も近場にいたのはなぜか。学校という場は自然に耳目を集める場所だと言ったけど、逆に考えると、話題性が抜群ということでもある。同校の教師との不倫を苦に学校の屋上から飛び降りたなんて話はセンセーショナルに取り上げられる。彼への当てつけのために自殺した、なんて解釈がまことしやかに流れるはずだ。それらは全て、君を優位に立たせ、山田先生を貶める要素になる。つまり自殺すると態度で示すことで、山田先生を動かすことが目的だったんだ」
そこで恋鐘先輩が、自分の腰の後ろからぬっと包丁を取り出した。
佐々木先輩が絶句し、羽田先輩が目を見開く。
「それ……!」
「地上にあったのを拾ったよ。大方、震える手から落ちたんじゃない?」
大胆な嘘をつくな、この人は。本当は俺達が取り上げて屋上に落としていたものだが、それをこっそり拾って後ろ手に隠していただけだ。
羽田先輩は目を泳がせて、困惑を滲ませている。佐々木先輩は、そうだっけ?と言いたげに眉根を寄せているが、表立って否定しない。案外、堂々としていれば嘘は見破られないものなのかもしれない。
「この包丁には血がついている。遺書と山田先生の右腕の怪我を繋げて考えれば、これを使って刺したのだと連想できる。けれど疑問が二つある。一つは、血がついたままだということ。もう一つは、なぜこの場に持ってきたのかということ。自殺を止められないために持ってきたとも考えられるけど、理由はそれだけじゃない。血が付着している刃物を万が一にでも他人に見られたら大騒ぎになる。それなのに、あえてこの状態で持ってきたということは、この血が付着した状態でなければ意味がなかった、と考えるべきだ。
さて。ここでもう一つ不可解なことがある。君と山田先生が二人で屋上に来たことだ。自分を刺すくらい錯乱した人間と学校で二人きりになるのは非常に危ない。暴れられたらそれこそ噂になっちゃうからね。屋上であろうと声は響く。でも先生は、おそらく怪我で休んでいたにも関わらず学校に出てきて、わざわざ鍵を持ち出してまで君と会うことを選んだ。無警戒すぎるよね。君を心から愛していたから覚悟して会った、なんて生っ白い理由は、残念だけどあり得ない。結婚指輪も外せない不誠実な人間が、そんなこと考えるはずもない」
恋鐘先輩の語ることには、俺が疑問に思っていたことの解答も含まれている。だけど俺はまだ全容が掴めず、呆気にとられるしかなかった。
反対に羽田先輩の顔色は、目に見えて青ざめていた。
「では、山田先生が彼女と二人きりになれた理由は何か。答えは簡単。彼女は、山田先生を刺していないからさ」
屋上に吹く風の音に混ざって、誰かが息を飲む音が聞こえた。
「山田先生は無警戒で彼女と会うことができた。刺してないんだから当然だね。むしろ君を味方とすら捉えていただろう。包丁に血が付いたままなことも、それが山田先生にとって重要だったから。拭ってしまえば証拠としての価値が薄くなる。要するに、この場所は羽田さんと山田先生が包丁の受け渡しを行うための密談の場所だったんだよ。鍵を使わないと入れない場所だから生徒はほとんど来ないし、学校で先生と生徒が会っているのはそこまで不思議じゃない。ところが、君はいきなり自殺紛いのことを始めてしまった。山田先生はかなり焦ったと思うよ」
「ちょっと待ってください」俺は思わず止めた。
「さっきからおかしくないですか。刺してないって、じゃあ何で羽田先輩はこの血のついた包丁を持っていたんですか?」
「拾ったんじゃない?」
恋鐘先輩はあっけらかんと答える。
「証拠がないから、あくまで憶測の話として聞いてね。山田先生は確かにこの包丁で襲われた。でも、それは羽田さんとの密会の現場だったんだ。おそらく7月4日か5日の夜のデート中ってところでしょう。たぶん、山田先生は羽田さんを置いて逃げたとか、二人一緒に居るのは人に見られたときまずいから別行動を取った、みたいに二人がバラバラになる状況になったと思われる。犯人も先生を追ったか逃げたかして羽田さんの前から消えた。けれど犯人は凶器を忘れていた。残された羽田さんは包丁を拾って、今日までずっと隠していた。つまりこの包丁は羽田さんが買ったものでも、自宅から盗んだものでもなかったのさ。左利きの包丁だったことはあくまで偶然なんだよ。ちなみに持って帰ったのは、通り魔騒ぎで警察に事情聴取されると不倫がバレるから咄嗟に隠した、ってところかな」
恋鐘先輩がひらひらと包丁を振る。夏の陽光が、乾ききった血を鈍く照らしていた。
「辻褄は合っている気がしますけど……今の状況と、どう繋がるんですか」
「彼女はね、犯人が分かってしまったんだよ」
思わず羽田先輩の方を見る。
彼女は眉間に皺を寄せて、ただ床を睨んでいた。
「二人の逢瀬は誰にもバレちゃいけない。行動には細心の注意を払ったはず。なのにピンポイントで山田先生《《だけ》》が襲われた。何らかの方法で二人の行動を把握されていた可能性が高い。そこで、山田先生が無くしたという手帳が重要になる。そこに、二人の行動履歴が書いてあったとすれば?」
ハッとして、俺は佐々木先輩に視線を移す。
表情を無くした羽田先輩と違い、佐々木先輩は泣きそうになるのを堪えて、親友の肩を抱きしめていた。
「まさか、佐々木先輩が?」
「違うよ?」
あれ?
「いや、学校で無くなったってことは、佐々木先輩が持ち去ったのでは?」
「持ち去ったのは佐々木さんで合ってるよ。偶然拾ったのか盗んだのかは知らないけど。でも、刺したのは別の人だ」
佐々木先輩の目に沈痛な色が混ざる。それでも彼女は耐えるように、自分の罪に向き合うように、恋鐘先輩を見つめていた。
「まず、手帳に不倫の痕跡がはっきり残されてたとは考えにくいんだよね。ほら、山田先生は探しているときもあんまり焦ってなかったんでしょ? 誰かに見られてもバレない自信があったんだと思う。暗号っぽい書き方だったのかもね」
「そうなると先輩の推理が成り立ちませんよ。手帳を見た人間だからタイミングよく襲いかかれたって話だったじゃないですか?」
「いるんだよ、一人だけ」恋鐘先輩が双眸を細めた。
「日頃から山田先生の行動を怪しんでいて、矛盾や違和感に気付ける立場の人。手帳の内容が読み取れなくても、書いてあることと自分が見聞きした本人の言動を照らし合わせて、ある程度の推測ができてしまう人。そして、先生を刺してしまうくらいの憎悪を抱くであろう人」
ハッとする。該当する人物は、すぐに浮かんできた。
山田教諭と共にハッキリとした輪郭を描いていく。
「奥さん、ですか」
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