遭遇①:龍造寺恋鐘が見つからない
「恋鐘先輩。いますか」
念の為に呼んでみる。やはり返事はない。俺は部室に入り、隠れていそうなスペースを確認した。姿はない。図書室に続くドアも触ってみたが、こちらは時間停止が解除されていない。
ということは、恋鐘先輩は部室を出ていったことになる。トイレにでも行ったのだろうか。
俺は廊下に出て周囲を見渡す。動いている人間の姿はない。もう一度部室に戻り、彼女が帰ってくるのを待つ。
音の消えた環境の中、部室の床に座り込みひたすら待つ。時計もスマホも動かないので時間経過が分からない。今度腕時計を買って、恋鐘先輩に解除してもらおう。
――そんなことを考えながら待ち続けて、体感的には30分ほど経過した。
まるで変化がない。トイレならとっくに戻ってきているはず。
もしや俺に会いに一年A組に行ったのか? いや、同人文化部に俺が来ない場合でもしばらく待つと決めたのは恋鐘先輩だ。俺が部室に行ったときはどう考えても時間停止現象の発生から5分も経過していない。
それに俺の教室へ向かうなら渡り廊下を通ることになる。さっきすれ違っていないのだから、恋鐘先輩はこの校舎に残っていることになる。
「しょうがないな」
俺は腰を上げる。本来はここで待っているべきと思うものの、姿を見せないことが非常に気になる。誰も彼もが停止している世界で何に巻き込まれるでもないが、この現象は俺達の、いや人知を超えた状況だ。急に予想外のことが起こる可能性を捨てきれない。
部室から出た俺は、まず女子トイレに向かった。彼女の名前を呼び、反応が無ければトイレの中を確認した。この頃はもうすっかり恥じらいを感じなくなっていたが、罪悪感は残っていたので居ないことを確認したらすぐに出た。
男子トイレも含めて、第二校舎のトイレは全て探索する。恋鐘先輩は居ない。
次に俺は第二校舎の各教室のドアを確認して回ったが、時間停止が解除された教室はなかったため、どこにも入れなかった。廊下の死角や校舎裏の非常階段もくまなく探し回ったが、恋鐘先輩の姿がない。
(この校舎には居ないのか……?)
俺は首を傾げながら階段を下りていき、一階の出入り口から中庭に出る。渡り廊下は三階と、一階の中庭を通る渡り廊下の2つがある。つまり三階は使わず、一階まで下りて渡り廊下を使えば、俺とすれ違うことなく第一校舎に出られる。
そんな風に考えてみたものの、しっくりこなかった。
一年生の教室があるのは三階だ。わざわざ一階に降りてまた登るより、三階の渡り廊下を使ったほうが早い。とすると、俺の教室ではない目的地があった、ということになる。
あり得る可能性は、彼女の推理が始まった、ということだ。夢中になって俺をほったらかしに行動しているなら、姿を見せないことにも納得できる。
井上の探し物騒動のように、彼女の琴線に触れる謎が校舎の中で都合良く転がっていたのだろうか。
そんなことを考えながら第一校舎を探し回った結果、恋鐘先輩の姿はどこにも見つからなかった。
自分の教室と恋鐘先輩の教室を真っ先に確認し、居ないことが分かったら次の教室へと移る。全ての教室を当たっても見つけられなかったから、職員室や保健室も探した。
だけど、どこにも居なかった。
俺は昇降口の壁にもたれながら、不穏なものを感じていた。さすがにおかしい。こんなにも見つからないなんて。
学校の外に飛び出ていったことを疑って靴箱まで来たものの、二年生の下駄箱にはちゃんと恋鐘先輩の靴があった。出席番号を教えられていたので探すのは簡単だったが、そうなるとますます不可解な状況になる。今までもちゃんと靴を履き替えていたから、上履きで外に出たことも考えにくい。
一つ考えたのは、俺が移動しているときに彼女も移動してすれ違っている、という説だ。しかし耳に痛いほどの無音の中なら、どんなに小さな足音でも気づく。動いている人影でも同じだ。そんな気配がないということは、俺が見つけられていないということに他ならない。
じわりと、掌に汗が滲んだ。彼女の姿が見えないことで、こんなに焦るなんて。
あの人なら自分の力でどうとでもできるし、事実今まで一人で生きてきた。心配する必要はないかもしれない。でも、なぜか胸騒ぎが止まらない。
(ひとまず部室に戻ってみるか?)
考え直して壁から背を離した、そのとき。
昇降口の開け放たれたドアの、更に先。そこに、小さな粒のような人の姿を見つけた。
昇降口の先にあるのは駐輪場と外来用の駐車場、そして正門だ。こじんまりとした並木道を通ってたどり着く正門は、今は下校時間じゃないので柵で閉じられている。
だが、その柵の向こう側に、座り込む誰かの姿が見えた。
俺は衝動的に、上履きのまま駆け出していた。コンクリートの地面を走って近寄ると次第に人物像がハッキリしてくる。
しゃがみこんでいたのは、うちの高校の女子高生だった。恋鐘先輩じゃない。
多少の落胆があったが、すぐに違和感にかき消された。
柵の向こうの少女に見覚えがある。知らない女性のはずなのに。
どこで見たかを考えた末、正体に辿り着いた。
「あのときの……?」
ボブカットの黒髪で、制服をきちんと着こなした少女の顔色は、青ざめていた。涙目なのが気弱そうな雰囲気を更に強調しているが、だからこそ気づいた。
恋鐘先輩を自転車で送った朝に見かけた、喧嘩していた女子の一人だ。
確か名前は佐々木、と言っていた。
昼時なのになぜ柵の向こうにいるのだろう。それに、彼女はしゃがみこんでいる。蒼白な表情といい、体調が悪いのだろうか。
ふと、彼女の視線と目が合わないことに気づいた。結構な上の方に向けられている。
俺は振り返り、彼女の視線の先を辿った。
「――なっ」
絶句した。
何度も瞬きして、見間違いじゃないかと確認した。
その光景は変化しない。時間停止中だからピクリとも動かないが、陽炎のように消え去ることもない。
つまり、俺が見ているのは現実の光景だ。
人が、屋上の縁に立っている。
フェンスを超えて、あと一歩踏み出したら落下するという場所で、一人で立っている。
俺は開いた口を閉じ、すぐに学校へ戻った。
あそこだ、という確信があった。
***
第一校舎の階段を駆け上って屋上へと向かう。4階から更に上に続く階段を上っていると、そこでも妙な状況に出くわした。
英語教師の山田教諭がいた。屋上のドアから少し離れた踊り場でスマホを握りしめている。その手は左手だ。
右腕は、包帯が巻かれて三角巾で首から吊られていた。
男の姿を見たのは、記憶している限りだと手帳を探している時が最後だ。その後のテスト期間中は見かけていない。今日の英語も急遽自習になっていた。
怪我のせいで休みになっていたのなら、なぜこんな場所で電話をしているんだ。
いや、今は置いておこう。問題はこの先にある。
俺は屋上のドアノブを握りしめた。ゆっくり力を入れて、回す――回った。
静かにドアを開けると、目前には広々とした空間があった。
学校の屋上は普段施錠されていて入れない。俺も見るのは初めてだったが、コンクリートの床が広がるだけで何もない。むしろ水たまりが蒸発して残った跡や、鳥の糞の痕跡だらけで汚い。
ドアを開けた先には誰もいなかった。校門の方角から考えて、俺は左に回ってみる。
――いた。
「恋鐘先輩」
フェンスから離れた場所で女子――恋鐘先輩が座っていた。髪が長すぎて地面についているがお構いなしに、フェンスの向こう側を見つめている。
彼女の視線の先には、屋上の縁に立つ女子高生だ。俺が地上から見上げた生徒と同一人物だろう。
こちらに背を向けている少女は今にも飛び降りそうな、緊迫した姿勢のまま固まっている。今は時間停止中なので一歩たりとも動くことはないが、解除されたら速攻で落ちていくんじゃないのか――そんな嫌な想像を掻き立ててくる。
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