解決③:龍造寺恋鐘のけじめ
「前も聞いたと思いますけど、そこまでしてその場に留まる理由が分かりません。いい加減、教えてくれてもいいんじゃないですか」
最初の時間停止現象のときに抱えた疑問を、俺は再びぶつけていた。あのときは彼女の心境に配慮したが、今はそこまで剣呑な雰囲気でもない。
恋鐘先輩は天井を見上げる。両足をぶらぶらと振っていた。「それはねぇ」
「探偵の責任の取り方だから、かな」
「責任?」
「ボクの行動は全て余計なお節介だよ。頼まれてもいないのに首を突っ込んでる。知られたくないことだってあるのに」
彼女の言葉は、井上の件にも当てはまることだった。
ペットを持ってきていることは秘密だったのに、この時間停止中に恋鐘先輩はそれを暴いてしまった。しかも恋鐘先輩が知っていることを、本人が気づいていないという歪な状況が出来上がる。それはもう、恋鐘先輩がやろうと思えばいくらでも悪質な行動ができてしまうということを示唆していた。
「でも、ボクはボクのために推理せずにはいられない」
恋鐘先輩は俺に笑いかける。自嘲的な陰があった。
「だから、これはボクのケジメさ。時間停止解除までどんなに時間がかかったとしても、ボクは結果を見届ける。決して放ってはおかない。目を離さない。それで許されるわけではないけど、ちゃんと自分でやったことのケリはつけてるって言えるから。後悔したくないしね」
彼女なりの信念と責任感、そして自罰も兼ねているのかもしれなかった。
「そうですか……俺には、よくわからないですね」
俺は突き放すようなことしか言えなかった。彼女の悩みも苦しみも渇望も、俺にはうまく飲み込めない。
だけど――悪い人じゃないことは、理解できる。
誰かの隠し事や悩みを知ったとしても、この人はきっと、悪用するなんてことはしないと信じられた。
「それでいいんじゃない? これは単にボクのワガママ、自己満足さ。それに君を付き合わせてしまって申し訳ないとも思ってるよ。ベットで添い寝くらいしたげようか?」
「遠慮します」
「お、脈ありか?」
「どんな解釈してもないんですよ」
恋鐘先輩はけらけらと笑うと、椅子から立ち上がった。左手で椅子の背を撫でて、「行こうか」と告げる。
「保健室のベットの時間停止を解除しないとね。あと寝泊まりできそうな部屋とか幾つか教えてあげるよ」
お願いしますと返事をして、彼女と一緒に教室を出た。
***
俺達はそれから、2日間を時間停止世界で過ごした。
待てど暮らせど時間停止は解除されなかった。
保健室のベットで睡眠を取って起きたとき、まるで光景が変わっていなかったことは衝撃的な体験だった。悪夢を見ているのかと錯覚したほどだ。一日目は慣れない生活で気が休まることはなかったし、体感的に昼夜が分からずバイオリズムを崩して、頭痛に苛まれることもあった。
恋鐘先輩はといえば慣れたもので、かなり好き勝手に過ごしていた。保健室のベットを使うのは交代制にしていたが、緊張していた俺とは違ってすぐに爆睡していた。あるいはカセットコンロを持ち出して焼き餅を作ったり、水道で髪を洗ってタオルを頭部に巻いたまま過ごしていた。ここで時間停止が解除されたらどうするつもりだ、と呆れるほどの態度だ。
そんな先輩に触発されたわけではないが、俺も徐々に慣れてきて、二日目はジャージに着替えてグラウンドを走るという暇潰しをやってみた。黙って本を読むのも飽き飽きだったからだ。
停止している陸上部員たちを尻目に、野球部の頃を思い出して走り込む。暑さも風も感じない室内で走っている感じだったが、それでも汗を流すのは楽しかった。茫洋としたストレスが洗い流されるようだった。
陸上部に入れば楽しく過ごせる――そんな予感もあった。
ひとしきり走って満足した後は、さっさと校舎へ移動した。急に時間停止が解除されると、いきなりジャージ姿で走る知らない男子が現れたことになって驚かれる。
そうして足早に昇降口に向かうと、動く人影が見えた。
「おつかれさま」
昇降口の扉にもたれかかって俺を眺めていた恋鐘先輩が、タオルを投げてきた。
「どうも」
「運動したくなった?」
「気が晴れますからね」
貰ったタオルで汗を拭いていると、恋鐘先輩が言った。
「陸上部に入った方がいいよ」
すぐには返事できなかった。
マジマジと彼女を見つめ、その真意を確認しようとする。あいにく、黒い瞳は揺らぎもせず俺を見返すだけで、感情の機微は読み取れない。
「一応、同人文化部に所属してるんですけど、見えませんでした?」
「見えてたよ、ちゃんと。でもさ、望んで入ったわけじゃないじゃん。普段の生活や自分の希望を押し殺さないほうが健全なんだよ。ボクみたいに精神病んじゃ終わりだよ?」
あまりにも説得力のある言葉だった。
俺はすぐには返事をせず、グラウンドにいる陸上部の面々を眺めた。
「……陸上部に入ったら、放課後だけじゃなくて土日まで拘束するかもしれない。大会や合宿があったら遠征先まで付いていかなきゃいけなくなる。そんなこと嫌でしょ?」
「むしろ可愛い後輩を応援してあげようじゃないか。フレーフレーき・い・ろ!」
「俺はいま、冷静さを失おうとしています」
「ごめんて」
頭をガードしながら恋鐘先輩が後ずさった。俺は嘆息する。「殴るわけないでしょ」
「あのですね、俺達は偶然から関係が始まっただけの他人ですよ。そんな経緯だけで先輩を縛るのは、よくないです」
「他人、ね」
恋鐘先輩が視線を外し、皮肉げに笑う。そして肩にかかった髪の毛を払った。
「君がそういうならいいけどさ。もう心配しないからね?」
「大丈夫です」
俺はそう言って、恋鐘先輩に笑いかけた。
途端に、胸のつかえが取れたように、楽になった。
本当はさっきまで陸上部に入ろうかとか、このままやっていけるのかとか、方針がふらふらと定まらなかった。
けれど言葉に出してみると、驚くほど簡単に未練が断ち切れた。
「そもそも、俺は違う可能性を見つけたくてこっちに来たんですよ」
俺は父母から離れて祖父母宅に身を寄せた経緯や、野球部を諦めた理由を語った。その間、恋鐘先輩は茶化すこと無く聞いていた。
「親との関係も、中学まで続けていた野球も、一旦離れたかった。離れて、なにができるか考えたかったんです。今更野球の未練を引きずるようなことをしたって中途半端になるだけだし。他のことも経験してみたい。だからいいんですよ」
「それで本を読み耽る経験して、君は満たされたの?」
「あれは……」俺は言葉を濁す。だがハッキリしないのは嫌いだ。すぐに首を振った。
「違いましたね。だから部活じゃないところで何か探します。でも、できるだけ部活にも顔を出します。あそこは過ごしやすいし。それに部員の方が備蓄がしやすいから、利用させてもらいますよ」
「パンとかラーメンとか色々あるじゃん」
「そんなのばっかりじゃダメです。栄養取らないと。俺、この現象中に料理の腕を磨きますから。そんで一緒に、うまいものを食べましょう。世界が動かなくたって、美味しいものを食べてたらきっと楽しいはず」
俺の提案に面食らった表情をした恋鐘先輩は、ややあって声を上げて笑った。
しばらく笑っていた彼女は、目尻に浮かんだ涙を指で拭う。
「……そうだね、君はきっと、大丈夫だ」
***
それから六時間程度が経過したとき、時間停止が終わった。
ちょうど恋鐘先輩と図書室で料理の本を読んでいたときだったので、俺達はすぐ部室に戻った。矢野は急に居なくなったことに驚いていたが、隣の図書室から出てきただけなので、うまく誤魔化すことはできた。
そして部活が終わったあと、俺と恋鐘先輩は一年B組に戻った。
既に残っていた生徒二人は帰っていた後で、教室では井上がペットを捜索している最中だった。誰も居なくなったことを見計らって戻ってきていた。
俺と恋鐘先輩は見付からないように廊下から入口をこそっと覗き見る。井上はどこを探してもヒョウモントカゲモドキが見つからない様子で、しきりに時計を確認していた。
そこじゃない、早く自分の鞄を見てくれ。そんなことを心中で呟いていると、井上は泣き出しそうな顔をしながら自分のリュックを取りに行った。諦めて帰ろうとしている。
だがリュックの中身を確認したその瞬間、彼女の目が大きく見開かれた。
「……! ミーちゃん……!?」
ミーちゃん、というのはペットの名前だろうか。
井上はリュックの中に手を入れて何やらごそごそと動かしていたが、くしゃりと顔を歪めて、その場に膝をついた。
「よかったぁ……!」
うつむくようにして、涙を流している姿が見えた。
俺と恋鐘先輩は互いに顔を見合わせ、頷き合う。もう大丈夫だと判断し、こっそりとその場を去った。
翌日、一年A組の昼食時にやってきた井上は、普段通りだった。
泣いていたことなどまるで悟らせないくらいの笑顔で、友達らと昼食を取っていた。俺は心の中で安堵するだけで、彼女の秘密は内に秘めたまま過ごした。
――ところで後日談だが、なぜ彼女がペットを持ってきていたのかは、あるとき聞こえてきた雑談で推測がついた。
井上の家は保護猫の一時預かりボランティアをしているが、当時預かった猫が凶暴でトカゲモドキに手を出して傷つけかけたことがあったという。おそらく、その被害に合わないために一時的に学校に持ってきた、という事情なのだろう。
猫も無事に里親に貰われて、ペットにとっても安全な住処に戻った今はきっともう、井上が学校にペットを持って来ることはない。
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