遭遇:二度目の時間停止、開始
同人文化部を選んだのはどうしようもない選択だった――分かっていても、暇を潰すためだけに通うのはどこか虚しい。俺はあまりうじうじ悩まない性質なので、こういう苦悩の時間が続くのは苦手だった。
じゃあ、本当にバイトを始めてみようかとも考えた。もとより部活には入らずバイトで金を貯めようと計画していたので、矢野の言い訳は本来の目的でもあった。しかし、ネックになるのは時間停止だ。店で働いている時に現象が起こったら、学校と違って取り繕うのが難しい。配達系のバイトなら融通が効きそうだけど、高校生は不可なことが多い。
何より、バイト先にまで恋鐘先輩に来てもらうのも心苦しい。彼女は軽く請け負ってくれそうだが、俺自身はそうもいかない。ただでさえ世話になっていることに罪悪感があるのに。
そんなわけで、俺は今日も同人文化部へと向かう。それ以外にどうしようもない。
溜息を吐きながら廊下を歩いている途中、通りすがりに1年B組の教室が見えた。ほとんど生徒が残っていない教室には、以前俺に声をかけてきた井上梓の姿があった。彼女は机の上に鞄を置いて、その中を覗きながら何かを探している様子だった。
(そういえば、陸上部に誘われてたっけ)
不意に思い出す。陸上種目はよくわからないが、走るのは得意だし好きだ。個人種目もあると言うし、初心者でも付いていけるかもしれない。何より、青空の下で思いっきり体を動かせる。部屋の中で縮こまって本を読み続けることもない。
4月のこの時期なら、他の部活に鞍替えしても問題ないだろう。
そこまで考えて、俺は頭を振った。
問題は大ありだ。部活中に時間停止現象が起こったらどうする。部活動中にいきなり消えたら騒ぎになる。恋鐘先輩はそういう悪目立ちを最小限に抑えるために、同人文化部という緩くて人数の少ない部活を選んでいる。俺もそれに倣うつもりだったんじゃないのか。
それに地方大会で時間停止現象が起こったらどうする。恋鐘先輩が居ないと、俺は何も出来ない孤独の時間を過ごすことになる。まさか地方大会にまで恋鐘先輩に付いてきてもらうわけにもいかない。
だが、井上を観察したまま、足が動かなかった。
諦めるべきなのに、迷いがあった。
黙って井上を見ていると、彼女は気配を察知したようにドアの方へ目を向けた。どこか深刻そうな顔をしていた井上だが、俺と目があって眉を上げる。
「小林くん?」
呼びかけた彼女は、俺を見ながら鞄のチャックを閉めていた。よく見れば有名なスポーツブランドの手持ちバッグだ。机横のフックにはリュックサックが掛かっているので、着替えなど入った部活用の鞄のようだ。
「どうしたの?」
「あ、いや」
俺は視線を泳がせた。特に話しかけたかったわけじゃないので、話題がない。
「――そろそろ部活始まる時間だからさ。陸上部は着替えの時間もあるし、間に合うのか気になって」
咄嗟に捻り出したにしては上出来だった。
井上もちらりと、教室の壁掛け時計を見ていた。現時刻は16時半を過ぎている。上北垣高校の部活開始は基本的に16時半なので、遅刻だ。
「あー……うん、そうだね。部活、いかなきゃなんだけど」
どこか歯切れ悪く答えている。彼女は俺ではなく、スポーツバッグに目線を向けていた。
「実は、なくし物したみたいで。大事なものなんだよね。探してるんだけど、見つからなくて」
前に話したときとは違って、彼女の声には張りがない。本当に困っている様子だ。
「そうなのか、大変だな……俺も探すの手伝おうか?」
よかれと思って提案すると「いや!」と井上が手を掲げた。残っていた教室の人間も、彼女の大声に気を取られて振り向いている。
「いやいや、小林くんに手伝って貰うのは悪いよ! あたしだけで探すからさ!」
「でも大事なものなんだろ?」
「そ、そうだけど」
逡巡している井上が下を向く。ややあって彼女は再び顔を上げ、思いついたように言った。「そうだ」
「むしろ伝言お願いしていいかな。陸上部の顧問か部長に、一年の井上は今日部活休むって伝えておいてほしいんだ。あたし、もう少しここで探したくて」
「それは、別にいいけど」
「あ、小林くんも用事あった? 部活行く途中とか?」
「俺なら大丈夫。いつ行っても文句言われないし」
同人文化部は非常に緩いので、まったく問題ない。数日行かなくたって支障はない。だから時間停止現象が起こったとしても、辻褄が合わせやすいのだ。
「そっか。別の部活に入ったんだね」
井上の一言で胸の奥が軋む。俺はその心境を表に出さないように努めた。「ごめん」
「せっかく誘ってくれたのに」
「ううん、いいのいいの。気にしないで。それじゃお願いしてもいいかな」
「わかった」
井上が礼を言いながら頭を下げる。俺は鞄を背負い直して、陸上部へと向かう。
心の奥の鈍い痛みは、意識したくなかった。
陸上部の顧問に井上が休むことを伝えて、俺は同人文化部に出向いた。今日は恋鐘先輩と黒岩先輩と矢野がいたので、俺は矢野とスマホゲームをしながら雑談して過ごした。
最近、矢野が来る日は割と固定されていた。口ぶりからして、どうもバイトを始めたようだ。あのときの言い訳は全部でまかせだったわけじゃないらしい。
俺は詮索しなかったし、矢野からもちゃんとした説明はない。俺達は互いに考えていることを披露したりはしない。都合が良いから一緒にいるだけだ。しかしその方が俺も矢野も、心理的に楽なのだと思う。
だから同人文化部で過ごすのも、悪くはない。悪くはないのだけれど……。
「あっ」
急に恋鐘先輩が声を上げた。珠樹先輩の膝の上から飛び降りると、ドアを開けて資料室から出ていく。
「でよー、親父と兄貴の喧嘩のとばっちりで俺の小遣いまで――」
矢野はさっきからスマホゲームをしながら愚痴を吐いていた。
急にそれが止まった。
それどころか周囲の雑多な物音が全て消えている。
触っていたスマホゲームも、画面が停止していた。いくら画面をタップしてもピクリとも動かない。
まさか。思わず立ち上がったとき、ドアが開いた。出ていった恋鐘先輩が戻ってきている。しかしその様子に黒岩先輩が反応することはない。彼女もまた、動きを停止している。
「先輩、これって」
「始まったね。君にとっては二回目だ」
俺は窓の外を眺める。誰も彼もが停止していた。
片付けを始めた陸上部、ホームベースに集まっている野球部たち、学校から帰ろうとしている生徒、空を飛ぶ鳥や浮かぶ雲や木々の揺らめき、それらが一時停止したように固定されていた。
音がまるでない。時刻は17時58分で、秒針も止まっている。一回目は16時台だったが、今回は少し遅くなっているようだ。といっても時間停止に明確な法則はないようなので、時間が近いのは偶然だろう。
「ところでこいつを見てくれ。どう思う」
恋鐘先輩が唐突に変な口調で聞いてくる。
彼女は腰に手を当てて、肩を左右に振っていた。
「なにしてんすか」
「これだよ、これ」
恋鐘先輩は自分の髪を指さした。いつもはストレートの髪を腰まで流しているだけだが、今は三つ編みになっていて、肩にかけている。黒岩先輩の仕業だろう。
「珠樹ちゃん上手でしょ。どう? 可愛いかな?」
「はい」
「はいじゃないが」
「いや認めたのに」
「会話を終わらせたい気満々じゃん」
「何の得もないことは明白なので反応しません」
「ボクがとっても面白い」
「それ俺の得じゃないですね」
「意外」
「こっちもだよ」
不服そうな恋鐘先輩だが、「これからどうしますか」と話題を戻すと、諦めたように肩を竦めた。
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