解決②:二人の関係
「君はボクみたいになっちゃいけないよ?」
恋鐘が微笑んだ。虚ろな影は潜み、元の人懐こい表情に戻っている。
「と言ってもなれないか。君は時間停止が解除出来ない分、ボクと一緒にいることになる。つまり嫌が応にも人間とコミュニケーションを取ることになる。それじゃー推理力は磨けないね」
ふひひ、とどこか湿り気のある笑い方をする。
俺の内心を、多少なり気遣ってくれているのか。
あるいは、自分の悲痛な体験など取るに足らないことだと、虚勢を張りたいのか。
「……別になりたいとも思ってないし、俺にはどうせ無理ですよ」
「まぁボクは天才だからなぁ」
「さっき否定してたでしょ」
「一度は謙遜せねば無作法というもの」
「言ったらおしまいなやつですよ」
重い雰囲気を引きずりたくなくて軽口に付き合ったが、しかし消化不良の疑問が残っている。
恋鐘先輩が止まっている人の異変に気づき、推理を始める理由はわかった。
でも、時間停止が解除されるまでずっと待ち続ける、という行為の理由は教えてもらっていない。
聞くべきかどうか躊躇う。おそらくまた沈痛な空気が顔を覗かせる。
そういえば会ってまだ初日だ。いずれまた機会があるかもと思うと、また今度にしようかという気分になった。
***
説明が一旦終わって、恋鐘先輩も菓子パンをもそもそと食べ始めた。小さな口を忙しなく動かしている様は、どこかリスを連想させた。
「あっ」
食事の途中、恋鐘先輩が声を上げる。彼女はその場で立ち上がった。
「あらら、今回は割と早かったね」
「どうしたんですか?」
彼女が首の後ろを擦りながら俺を見下ろす。
「小林くんには一つ伝えてなかったことがあるんだ。些細なことだし、結局予兆できないことだから、伝えなくてもいいかなって」
「勿体ぶらないでください。なんですか一体」
「焦らされてる男の子ってメロいよね」
「そんな性癖修正してやる」
「パパンにもぶたれたことないのに!?」
手を振って慌てる恋鐘先輩を半眼で睨みつける。彼女は「ごめんて」と咳払いして、食べかけの菓子パンを袋にしまっていた。
「時間停止が始まるときと終わるときは予測できないって言ったよね? 正確には、開始と終了の直前だけは実感できるんだ。と言っても30秒くらいなんだけど」
「実感て、どんなのですか」
「首の後ろにゾワゾワって悪寒めいたものを感じる」
俺は、少し前の恋鐘先輩の挙動を思い出す。
首の後ろを触っていた。つまり。
「戻るよ」
彼女の言葉と共に、全てが《《始まった》》。
ありとあらゆる種類の音が鼓膜を揺さぶった。洪水のように溢れた情報が脳に送られて天地が揺らいだかのような錯覚を覚える。空気の振動に肌が粟立ち、熱気に心臓が高鳴り、目の前がチカチカと明滅した。
「っ……!?」
全ての五感にいきなり刺激が来て、俺の体が悲鳴を上げた。
嘔吐感に似た息苦しさに襲われ、俺はその場で四つん這いになる。
目をギュッと閉じる。脂汗が噴き出す。戻してしまいそうだ。
「大丈夫、落ち着いて。ゆっくり息を吸って、吐いて。直に慣れる」
背後から優しい声がした。背中を撫でられている。
頭の中の混乱の渦が少しだけ勢いを緩めて、思考できるだけの余裕が辛うじて生まれた。
「おにーちゃん、だいじょうぶ?」
恋鐘先輩とは別の声が聞こえた。俺はハッとして目を開き、顔を上げる。
目の前には、指をくわえた少年が立っていた。
無垢な表情でこちらを見つめている。
「すぐ治るよ。それより君、どこから来たの? ここ知ってる場所かな?」
俺の背中を擦りながら恋鐘先輩がそう聞く。
小さな男の子は、キョロキョロと周囲を見渡す。
「わかんない……どこ?」
自分の状況が把握できた――というより、自分が知らない場所に居ることを認識できた少年の目が、じわりと涙目になる。「ぁ……」
「ねぇね……おかぁ、さ……どこ?」
「お名前は言える?」
少年がパニックになる寸前、恋鐘先輩が優しく聞いた。意識的に声のトーンも上げているようだ。
「……ちーちゃん」
「そっか、ちーちゃん。いくつ?」
おどおどしている男の子が指を三つ立てた。が、首を傾げながらもう一本指を立てた。自分が三歳か四歳なのかハッキリしていないらしい。数の概念を覚えたくらいの年頃、ということか。
「ここ、君が知らないお家なんだよね?」
ちーちゃんと自分を呼んだ男の子は、小さく頷く。
「どこから来たか覚えてる?」
男の子は少し考えて、首を振る。
「お家の人と来てたんだよね?」
男の子は恐る恐るという風に頷いた。
「そっか」恋鐘先輩は、反対の手で男の子の頭を優しく撫でた。ちなみに持っていた菓子パンの袋は俺の方に押しつけている。俺はそれを渡されながら、深呼吸して膝立ちになった。だいぶマシになっていた。
「お姉ちゃんたち、一緒にお家の人を探してもいいかな? 君が心配なんだ」
「……いいよ」
小さい声ながらもしっかりとした返事だった。
恋鐘先輩は頷いて立ち上がり、男の子と手を繋ぐ。安堵したのか、男の子の蒼白だった頬に赤みが戻っていた。
それから恋鐘先輩は俺に、小さく声をかけてくる。
「ごめん小林くん。この子の相手をするから、一人で動ける?」
「問題ないです。先輩はその子を気遣ってください」
俺は返事をして立ち上がり、腕をぐるりと回して平気であることをアピールした。いつまでも女性に介抱されているなんて、情けないにも程がある。
試しに爪先で足下の砂利を蹴る。時間停止していたときにはまるで動かなかったのに、今はいとも容易く小石が転がっていく。不思議なほど全て元通りだった。
「それより、早くここから離れましょう。この家の人に気づかれたらまずい」
俺達は今、完全に他人の家の敷地に不法侵入している。即座に通報されることはないかもしれないが、なにせ俺達は制服姿だ。学校に連絡されたら面倒だった。
「だね」恋鐘は頷き、男の子の手を引いて家の敷地から出た。俺も彼女に続く。
それから恋鐘先輩はある方向に進んでいく。あの女性の元へ連れて行くことに、迷いがない。
俺達は県道まで出た。しかし目当ての女性がさっきの場所にいなかった。時間が進んでいるので動いてしまっているのか。
一瞬不安が過ったとき、声が響いた。
「千弘!」
俺と恋鐘先輩はそろって声のした方を向く。
車道を挟んだ向かい側の歩道に、さきほどの女性が立っていた。
彼女は俺達に手を振ると、左右から車が来ていないことを確認して、一目散にこちらへ走ってきた。
その様子を見た男の子が、恋鐘先輩の手を解いて女性の元へ駈け寄る。
歩道まで来た女性はしゃがみ込んで、千弘という子を抱きしめた。
「どこ行ってたの!? 心配したんだよ! なんでいなくなるの!」
声を荒げた女性は、体を離して千弘くんの肩に手を置く。涙目になりながら全身を見回していた。
「怪我はない? 痛いところは? 変な感じはない? 怖くなかった?」
一気に捲し立てられた男の子は圧倒されているようだったが、コクリと頷いた。
女性は再び千弘くんを抱きしめる。するとそこで、ようやく我慢の限界が来たのか、実感が湧いたのか、男の子が泣き出した。
「怖かったよね。目を離してごめんね」女性は男の子の背中を擦る。
そこで見守っている俺達と目が合った。恋鐘先輩と共に軽く会釈する。
「あの、あなた達は……?」
「彼と一緒に歩いているとき、この子を見つけたんです。困ってそうだったので話しかけてみると、迷子みたいで。それでご家族を一緒に探してたました」
「そうですか……! やっぱり、公園から出ちゃったの?」
女性が泣き止んできた子どもに聞く。千弘くんは、よくわからない、とか細い声を漏らすだけだった。三歳か四歳の子に詳細な説明は難しい。
恋鐘先輩はニコニコと黙って見守っている。千弘くんがどうして公園から出てしまったのか、実は民家の軒先に居たという経緯は、黙っているつもりのようだった。話せば色々辻褄が合わないことになるからかもしれない。
「とにかく無事でよかった」女性は少年の頭を撫でて立ち上がり、こちらに頭を下げた。
「すみません、ご迷惑をおかけしました。公園で遊ばせていたんですが、会社からの電話に出ていた隙に姿が見当たらなくなって。十分気をつけていたはずなのに」
「いえいえ。でも怪我がなくてよかったですね」
「本当に、何と言えばいいのか。ありがとうございます、あの、よければ何かお礼でも」
「お気になさらず。彼と偶然通りがかっただけですから」
恋鐘先輩は社交的な態度で首を振る。それから、千弘くんに微笑みを向けて言った。
「良かったね、千弘くん。《《叔母さん》》が見つかって」
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