35話 勝利者
「すべてを…捨てる?」
黒土が聞き返した。
「組も、金も、地位も、捨てる。一からだ」
「負けることはないと思うけど…いいのか?」
三郎が聞く。
「一は、それを望んでいそうだからな」
辰正が目を瞑りながら言った。
「偽物の一?気にかけてるの?」
竜二が聞くと、辰正がゆっくり目を開く。
「気にかけているというより、あれは俺のミスでもあるしな」
「あれ?」
大名が聞き返す。
「…俺のミスで、あいつの親を殺した。というより、茂原の方も、俺が気付かなかったからだしな」
大名が口をすぼめながら、鼻でため息をつく。
「ついていくぜ、あんたがどうなっても」
今屋が突然言い出した。
杏が驚いた表情を浮かべる。
「どうしたいきなり、お前そういうキャラか?」
「本当にいいの?」
愛未が言うと、辰正が頷く。
「あぁ、それでいい」
辰正が言うと、愛未が微笑んだ。
長髪の黒髪、腰まで届く。
上半身は裸で、下には道着を着ている。
空手家、中石権藤。
今年五十になる中年男性。
しかし、上半身の筋肉を見るに、そうは思えない。
その男の対抗線上、巨漢の男が立つ。
黒い丸刈り、膨れ上がった筋肉に、厚い皮が被り、自然な筋肉に見せている。
古八木智である。
金殺で行われる、智の初試合。
対する権藤も、名の売れた空手家ということで直接誘われて参加した、初試合の男である。
観客の数はそこそこなものの、権藤の名を知るものが多く集まっている。
逆に、智のために身に来たものは少なく、アウェーな状況である。
「では、始めぇ!」
声が響く。
「行けー権藤ー!鉄拳ー!」
鉄拳とは、権藤のリングネームである。
権藤が飛び出した。
如何にもな、空手家の体制である。
正拳突きを放つという事を、的に教えるような構え。
そして、右拳を放つ。
智の腹へ、深くクリーンヒットした。
感触はあった。
が、智の両腕が伸びる。
智の両手が、権藤の頭を鷲掴みにした。
智が背を反る。
権藤の鼻っ柱に、智の額が落ちる。
権藤の鼻から、血が噴き出した。
右手を権藤の頭から離す。
智が振りかぶった。
智の大振りの拳が、権藤の顔面を叩く。
権藤の体が吹っ飛んだ。
金網に、体をぶつける。
ガシャガシャと音が鳴り、金網が揺れる。
権藤に、智が走ってくる。
権藤が顔を上げた瞬間、智の前蹴りが飛び出した。
権藤の胸を貫くが如く、強烈な衝撃が走る。
肋骨が軋み、ヒビが入る。
智が足を戻す。
その瞬間、権藤が右拳を智の頬に打ち込んだ。
傾く智の頭に、左拳でさらに打つ。
智が一歩下がった。
そして、智の胸に拳を放つ。
「かはっ」
智が唾を吐いた。
胸を抑えながら、智が下がっていく。
それを、右足で地面を蹴って追う。
智が踏みとどまったところへ、智とは違う、体に芯が入った前蹴りを放つ。
再び、智の胸を打った。
智が顔を歪める。
権藤が右足を滑らせ、外側へと回していく。
智はすぐに、右腕で体の右側を防御した。
そこへ、権藤の踵が飛んでくる。
回し蹴りが、智を叩く。
体重差は、二十キロ近い。
しかし、数十年鍛え上げられた踵と、磨き上げられた技術によって、その威力は体重の数倍へと膨れ上がる。
智の右腕は、悲鳴を上げた。
患部が、青くなっている。
権藤は構えなおした。
右腕を相手に向けて出し、左腕は甲を下に向けて脇を絞めている。
先ほどと同じように、正拳突きを放つときの構えである。
それを、素早く行った。
権藤が左手で、胸を抑えている。
肋骨を気にしているようだ。
肋骨にヒビが入った状態で、豪快に動いたせいで、痛みが増している。
智は右腕を抑えながら、権藤を観ている。
観察している。
外部から見てわかる傷で言えば、智が追い詰められているように見える。
しかしその実、追い詰められているのは権藤の方である。
権藤が深く息を吐く。
飛び出した。
痛みに耐えながら、左拳をまっすぐ打ち出した。
智は痛む右腕を下にして、両腕をクロスする。
左拳は、智の思い描く場所に打ち込まれた。
権藤が腕を戻す前に、智が前方に向かって立ち上がる。
腕ごと押し込むように、権藤を打ち飛ばした。
権藤がすこし下がって踏みとどまると、智は左腕を振り上げて、権藤の鎖骨に向かって手刀を振り下ろした。
鎖骨と首の間に、手刀が打たれた。
権藤が数歩下がる。
右腕をだらりと垂らし、左手で鎖骨を抑えている。
その道中、前腕で肋骨を抑えていた。
智は低く構えたまま、権藤を見ている。
権藤は智を警戒したまま、呼吸を整えている。
数秒後、智が右足で踏み込み、右腕を高く振り上げた。
握りしめた拳を、権藤の顔に向かって振り下ろす。
権藤は、下がらなかった。
逆に、左足を大股で一歩、踏み出した。
そして、右足で智の腹を打つ。
智が足を止めた。
権藤は右足を地面につけ、左足を飛ばした。
左足の爪先は、一直線に智の脇腹へ飛んでいく。
深く突き刺さった。
権藤が飛んで離れる。
智は腹全体を抑えながら、汗を垂らしている。
権藤が息を整え、もう一度踏み出した。
右の拳を突き出す。
智の顔面へ、真っすぐ飛んでいく。
智が右足を持ち上げた。
権藤の脛を蹴った。
権藤の態勢が、前へ傾く。
倒れ行く権藤の顔面に、智の左アッパーが迫る。
その拳が当たる直前、権藤の体が左へ向いた。
アッパーは耳をかすり、右腕で智の左腕を、脇の下へ組んだ。
その時、鎖骨から痛みが走った。
右腕がだらりと落ちる。
智はそれを見た瞬間、右膝を振り上げ、右肘を振り下ろした。
権藤の頭を、肘と膝が挟み込む。
プレス機のように、権藤の頭蓋を圧する。
智が離すと、権藤の体が落ちた。
智がため息をつく。
「勝負あり!」
審判の声が、部屋に響き渡る。
智は首を鳴らしながら、試合場を出ていった。
「おーい龍一」
智が呼びかける。
試合場に一番近い席、最前列に龍一が座っていた。
左に凛太、総一郎、聖一が座っている。
龍一の右の席は、空いている。
そこへ、智が座った。
「次は霧斗の奴の試合か」
智が龍一の方を向いて言う。
「あぁ。対戦相手は…」
龍一が言いかけたところで、実況の声が響き渡った。
『今試合が初!時牧歴代最多勝利数の男が出てきた!』
リングに男が入ってくる。
『本名、禪院霧斗!霧が入場した!』
歓声が巻き起こる。
『対戦相手は、あの伝説の男!何人かお世話になった人もいるのではないでしょうか!』
リングにもう一人、大柄の黒いオールバックの男が入ってくる。
『本名、空野空明!ポリスマンが裏に入ってきた!』
空野空明、元警察官。
様々な犯罪者を捕まえてきたが、犯罪者からの攻撃に対する防衛が過激すぎたと、警察を辞職。
結果、ここへ流れ込んできた。
空明が構える。
低く、レスリングのようだ。
対せて、霧斗も構えた。
ボクサーのような構え。
「では、始めぇ!」
審判が二人を見やってから、声を張り上げた。
同時に、二人が踏み出した。
霧斗が右拳を、空明の顔面に向かって振り下ろす。
拳が、音を立てて空明の顔へ当たった。
しかし、空明はひるむ様子がなかった。
両腕を回し、霧斗の腰をがっしりと捕まえる。
そのまま、霧斗が仰向けになるように倒れ込んだ。
空明がすぐに、上体を起こす。
マウントポジションへ移行した。
空明が両拳を固く握りしめ、霧斗の顔面に向かって振り下ろす。
霧斗は腕をクロスさせて、その拳を受ける。
そして、空明が左拳を振り下ろした瞬間、霧斗の右手が空明の左手首を捕まえた。
霧斗が上体を起こす。
空明の顎のあたりに、霧斗の額が激突する。
空明の体重が軽くなり、霧斗はマウントポジションから抜け出した。
霧斗が立ち上がり、呼吸を整える。
空明は顎を右手で抑えながら、立ち上がった。
まだ回復しきっていない空明に、霧斗が突っかけた。
霧斗が右フックを、空明に向けて放つ。
その拳が、残り数十センチで触れようという時。
揺らぐ空明の瞳が、静止した。
空明の右足が、霧斗の左太ももを打った。
霧斗の体が、ガクッと止まる。
空明が大振りの左拳を、霧斗の顔面へ当てた。
続いて、大振りの右拳。
再び、霧斗の顔面を叩く。
もう一度、左拳。
霧斗を殴り飛ばした。
霧斗の背が、金網に当たる。
空明が大振りの右拳を、霧斗の腹へ放った。
深く、拳がめり込む。
空明が拳を抜く寸前、何かが頭上に落ちてきた。
霧斗の右肘が、空明の頭頂部を打ち抜く。
空明が態勢を崩す。
その瞬間、霧斗の右足が空明の腹を蹴り上げた。
空明の体が後ろに下がる。
霧斗は浮いている右足を床に打ち付け、その勢いのまま左拳を振るった。
空明の頬を、打った。
空明がドサリと、床に崩れ落ちる。
審判が声を上げた。
「勝負あり!」
霧斗は額の汗を拭き、リングを出ていった。
そして、その足で龍一の所へ向かう。
「本当に来たのか、お前ら」
霧斗が怪訝そうに言う。
「そりゃ、俺の試合もあるしな」
智が自分を親指で指す。
「…そうか」
霧斗はそれだけ言い、その場を離れた。
「あ、言っちまったな」
凛太が言う。
「ん?駄目だったのか?」
智が不思議そうな顔をして聞く。
「う~ん」
凛太が龍一を見る。
「…古八木さんは、乱戦とか興味ある?」
龍一が聞くと、智は首を傾けた。
「何言ってんだ」
「組同士の喧嘩に、参加しないかって」
龍一が言う。
「どういうことだ」
智が顎に手を当てる。
「なるほど。なら、参加してもいいが…」
「本当!?」
龍一が立ち上がって喜んだ。
「心強いよ!」
龍一が智の両手を握る。
「お、おぉ」
本来、何か条件を付けようとしていた。
しかし、龍一を見て、智はそれをやめた。
「なるほどな…」
響十が言う。
龍一が目の前にいた。
「ここまで来て、何なのかと思ったら、結構一大事ってとこか」
「うん、もしも、負けたとかないように、協力してほしい」
響十が深く考え込む。
「俺は無理だ。何か他の、因縁を持ってるやつとかを探したほうがいい」
龍一が口を開けた。
「因縁…」
龍一が思いつく、因縁を持つ者。
「紺選手?ええまあ、連絡は取れると思いますが…」
髙美が言った。
「じゃあ、桐野運用に来るよう言っておいてください!」
龍一の気迫に押され、髙美は首を縦に振った。
「紺さんなら…」
桐野運用。
「紺さん!」
龍一が声を上げる。
黒い服で入ってきたのは、黒山紺である。
「何用か」
龍一は、説明を終えた。
「わかった、協力しよう。君に協力したい」
紺が頷いた。
一ヶ月後。
龍一、凛太、智、紺の四人は、滝の流れる山にいた。
「特訓つっても、俺こういうのやったことないぞ」
智が辺りを見回しながら言った。
「大丈夫。俺もない」
龍一が親指を立てると、智がため息をつく。
「俺は何回か、こういう山で鍛えたことはある。どうするんだ」
紺が言うと、龍一は近くの森を用心深く見た。
「すでに、特訓相手は来るはずです」
龍一が言うと、森の奥の陰から、轟音が鳴った。
「…なんだ?」
凛太が唖然としていると、龍一が凛太の方を向く。
「血肉におびき寄せられてくる、鈴の音が嫌いな山の動物ってなんだ?」
クイズ風に龍一が言うと、凛太がげっ、と声を漏らした。
紺は森の奥から目を離さず、智は再びため息をついている。
一番近くの木がなぎ倒された。
出てきたのは、二メートルを超え、体重は二百キロに迫るほどの、大きな羆だった。
「馬鹿」
凛太が呟くと、羆が走ってきた。
凛太は後ずさるが、龍一は逆に進んでいる。
「羆狩り!大一番切らせてもらう!」
そういって龍一が飛び出した。
「おい!」
凛太が呼びかけるも、龍一は止まる気配はない。
羆が突進してくる。
それを上に躱し、羆の上に着地した。
羆が龍一の方を向く前に、龍一の右踵が羆の脇腹を打った。
「グァァオ!」
羆は吼え、龍一を振り落とし、智の近くを通って森に走っていった。
「よし!」
龍一が喜ぶ。
「いいのか?…羆いじめちゃって」
凛太が恐る恐る聞く。
「ここら辺は畑を荒らすどころでは収まらない奴らが多い。その獰猛さ故、駆除を断る猟師が大半だ」
紺が言いだす。
「正義の事と言えば、そうだろう。近くにいる上、こちらを向く四人に向かって来るということは、すでに味を知っているのかもしれない」
紺が長々と語るが、凛太はもう聞いていない様子だった。
「なるほど!向かってきたなら悪いことじゃねぇんだな!じゃあ次はこの音鳴様がやってやる!」
凛太が山中に聞こえるような声量で叫んだ。
「音鳴様…」
龍一が笑った。
「こんなことを、抗争まで続ける気か?」
智が聞く。
「そんなに熊居ないでしょ。大丈夫、いい人を呼んであるから」
龍一が言うと、智が鼻でため息をついた。
35話 勝利者 終
35話後書き。
先ほど書き終わりました、35話です。
勝利者というのはトーナメント勝利者という事です。
久しぶりの紺登場に、羆特訓。
しっかり、愛護団体さんに何とか言われないようにしときました。
効果あるのかは知りません。
さて今回は、中石権藤と空野空明です。
権藤、身長189センチ 体重132キロ。
空明、身長195センチ 体重112キロ。
どっちもでかいですね。
では。




