第十一話 トクベツ
少しくたびれたローファーに足を入れると、ひんやりとした空気が指先をかすめる。
欠伸と共に勢いよく玄関のドアを開けると、そこにはまっさらな青空が広がっていた。
私が足を踏み出すのに合わせてカサカサと揺れるリュック。
たくさんのものであふれかえっているいつものリュックは、今日は少しだけ、違っていて。
私はおもむろにリュックから紙袋を取り出すと、ふふと微笑んでそれを抱きしめる。
ふわりと香る、甘い匂い。紙袋から垣間見える黄色のカップケーキ。
もう一度大切にそっと袋をリュックにしまって、チャックを締める。
数時間後に見られるであろう彼の笑顔を想像すると、きゅんと、心がなった。
まだ朝だというのにジリジリと照り付ける太陽。
昨晩せっかくアイロンをかけたシャツが、私の汗で湿っていく。
さんさんと輝くそれを忌々し気に睨みつけると、私はイヤホンを耳にはめた。
駅までの広い公道にはあまり人の姿は見えなくて。
少し大きめの音量で音楽をかけると、イヤホンからお気に入りの歌声が流れ出す。
最近話題のロックバンド。まだまだ認知度こそ低いが、私の大好きなこの声。
低くって、ざらついていて。その飾らない声が、たまらない。
……そういえば、少し慶斗君に似てるのかもな、なんて。
低くって、素直で、意地悪で。
掴めるようで、掴めない。そんな彼から垣間見えるのは、あたたかい優しさで。
こっちの気も知らないで無邪気に笑う彼を、もっと近くで見たいなんて思うのは。
……私は、その感情を知っている。
きっと、この恋はトクベツなの。
あの、痺れるような、焦がれるような。あんな感覚、初めてだった。
傍から見ればまだまだガキだなんて解ってるけれど、この恋は、特別なの。
ガンガンと鳴り響いていた曲が止んだ瞬間、私の肩を誰かが叩いた。
驚いて振り向くと、プチリと音を立ててスマホとイヤホンのコードが離れる。
「うわっ!」
カツン、と灼熱のアスファルトに落ちた私の携帯。
真っ黒なその画面が映したのは、こちらを覗き込む慶斗君の姿だった。
カチカチと電源ボタンを押して携帯が無事なことを確認する私に、
彼は太陽よりも眩しい笑顔で微笑んだ。
「楓、おはよ。 スマホ大丈夫?」
「うん、おはよ。 大丈夫だったよ」
オウム返しのような返事をする私に、彼はまた笑いを零す。
さっきまでついていた音楽アプリの画面を開いてイヤホンをはめなおすと、
彼は画面を指さして無邪気に微笑んだ。
「あ、俺このバンド知ってるー!」
好きなんだ、と投げかける彼に、私は少し興奮しながら頷いた。
「うん! 周りに知ってる人いないから嬉しいー!」
上手いのにあんま有名にならないからなんか悔しいよね、と呟く彼。
そうそう、と私が身を乗り出すと、彼はあはは、とまた笑った。
「すっごい興奮してんね、そんな好きなんだ」
なんだかお子様っぽかったかな、なんて目を逸らす私に、
彼はそのあたたかい優しさで言葉を紡いだ。
「良いじゃん、そんな夢中になれるんだからさ。
それを止める権利なんて、誰も持ってないよ」
「……あ、ありがと?」
なんで疑問形なの、と突っ込む彼に吊られて私も笑うと、
彼はまた、優しい笑みを満足げに浮かべた。
「ね、一緒に聞いても良い?」
つけっぱなしになっていた画面を指さす彼。
うん、と頷いて彼にイヤホンを片方渡すと、彼は笑顔でそれを受け取った。
良い曲だね、なんて呟く彼。
一歩一歩踏み出す度微かに当たる肩に、私の心は今にも止まりそうで。
ドキドキと収まらないこの鼓動に恨めしい気持ちを抱きながら彼を向くと、
どうしたの?なんて無垢な瞳を向ける彼。
……こっちの気持ちなんて、知らない癖に。
慶斗君は、この状況が普通なのかもしれない、なんて。
心臓に走った僅かな痛みも、激しい鼓動が飲み込んでいった。




