01/11 Tue.-2
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「こいつは…!!!」
カイトが、怒鳴っている。
相手は、彼の同居人であるシュウだ。
メイは、箸を手放さないまま、この光景を見ていた。呆然と。
「こいつは…オレの…オレの…」
言葉の最後が、ぐにゃぐにゃに歪む。
何と言おうとしたのか、分からなくなってしまったかのように。
カイトの視線が、彼女の方にちらりと向く。
苦しそうで――カイトの表情こそ、言葉にし難いものだった。
カイトは立ち上がった。
そうして、シュウの方にきちんと向き直る。
落ち着かないため息をついたのが、彼の背中の方から見ていても分かった。
「こいつと…昨日…結婚した」
そして、彼は言った。
ドクン。
メイの心臓が、その言葉で跳ねる。
昨日のあの出来事、本当だったのだ。
ウソではないと分かっていたが、改めてカイトの口から出てきて安堵した。
夢でも幻でもなく、彼らは結婚したのだ。
「そう…ですか」
シュウは、中指で眼鏡の位置を直しながら反応した。
しかし、言葉の最後でふっと口元が笑った。
あっ。
メイの初めて見る笑顔だった。
ずっと機械仕掛けのように思えていたのだが、そんな表情も出来るのだ。
彼も、この事実を喜んでくれているのだろうか。
「てめ…今、笑いやがったな」
しかし、カイトには嬉しいものには映らなかったようだ。
顔を歪めて、怒った声を出す。
「私は、数学が一番好きですが…あなた方のことに関しては、算数レベルで済んだようです」
もう、いつもの表情に戻ってしまったシュウが、こともなげにそんなことを言った。
算数。
メイは、困った笑いを浮かべてしまう。
もしかして、いつか「足し算」と言っていたのは、こういうことだったのだろうか。
きっと、シュウにも彼らの気持ちがバレていたのだろう。
ソウマたちも気づいていたようだし。
本当に知らなかったのは、本人たちだけだったのだ。
「てめっ!」
カイトが食ってかかろうとした時。
「あ…私は、予定に遅れますのでこの辺で」
するり。
カイトの追求をかわすように、シュウはダイニングを出ていってしまった。
バタンと、彼の目前でドアが閉ざされる。
「くそっ…!」
忌々しい声で、カイトはそれが吐き出した。
荒い動きで、彼が自分の席に戻ってこようとした時――目が合った。
あ。
うまく、目をそらせない。
普通の表情も出来ない。
きっといま、赤くなってしまった顔を見られている。
彼は。
ぱっと顔を横に向けて、席に座る。
その、そらした頬が微かに赤いのが分かった。
きっと、彼もこの居心地の悪さを感じているのだろう。
茶碗をがちゃんと掴む大きな手。
その手が、どんどん朝食の残りを口の中に押し込んでいく。
シュウが出るということは、もう彼にもそんなに時間に猶予はないということだろうが――急いでいるのは、それだけとは思えなかった。
でも、うまく翻訳出来ない。
照れ隠しだろうか。
そんな翻訳結果が出そうになった時。
「ごっそさん…」
言うなり。
カイトは席を立ち上がった。
あっ。
そこで、また彼女は自分に仕事があることを思い出したのだ。慌ててメイも席を立つ。
たたたっと、テーブルを回って彼の方にかけよる。
隣の席に引っかけられたままの上着と――
メイは、ネクタイを取った。
彼のために、これを結んであげなければならないのだ。
無用に胸がドキドキしてしまう。
いままでだって、何度もカイトのためにネクタイを結んだ。
なのに心臓は、この速度をやめようとしない。
くるり。
ネクタイを持って、彼の方を振り返った時。
「きゃ…!」
驚いて、声をあげてしまった。
抱きしめられていたからである。
ネクタイを持ったまま、メイは身動きも取れなかった。
「あ…あのっ…」
慌ててしまう。
ネクタイを結ぶことだけに意識を持っていっていたために、完全な不意打ちであった。
いやもう、いつも不意打ちだ。
本当に、このタイミングが分からないのである。
ただ、こんなにまで接触マメな男だとは思ってもみなかった。
それどころか、彼はいつだったか『結婚しない』とまで宣言したことのある人なのだ。
なのに――フタを開けたら。
「あの…ネクタイ…結べ…な…」
ワイシャツに顔を押しつけられる。
そのシャツの匂いの影から、カイトの匂いまでも伝わってくる。
整髪料か何かだろうか。
その匂いに、クラクラしそうになった。
ワイシャツごしの体温も、ひどくリアル過ぎる。
彼の体温は、いろんなことを呼び起こしてしまうのだ。
「会社…」
遅れてしまう、と言おうとしたら、ようやく彼が口を開けた。
「るせぇ…」
しかし、答えはそれで。
もっと強くギュッとされるだけなのだ。
ああ。
彼の腕越しに、気持ちが伝わってくる。
もう何も我慢しなくていいのだという気持ちが、メイに込められる力で、投げつけられるのが分かった。
好きの気持ちを、隠す必要もない。
触れる腕を、躊躇する必要もないのだ。
きっと――カイトも同じ気持ちだったのだ。
都合のいい翻訳かもしれないが、こうやって抱かれている間だけは、彼女にもそれが分かるような気がした。
力を抜いて、カイトの胸に顔を預ける。
何とか腕だけを動かして。
メイはネクタイを握ったままの手を。
カイトの背中にそっと回した。
微かに、彼が動いたのが分かる。
抱きしめた。
もう迷う必要のない手で、彼に触れるのだ。
しばらくして。
ばっ!
いきなり、彼女の身体がひきはがされる。
カイトの強い両手が、メイの肩にかかっていた。
「行ってくる…」
苦しそうに顔を横に向けたまま。
たかが会社である。
なのに、彼はまるで戦地に赴くかのような顔をしていた。
「いってらっしゃい…」
だから。
メイは。
ネクタイを結んだ。
それが、メイの一番幸せな仕事になったのだった。
冬も。春も。夏も。秋も。
とにかく――ずっと。
--終--
まるは
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