第6話 後編
……よし。
オレは、手を、挙げた。
「はい」
「あら、さくまくん」
「歌います」
「ええ!?」
クラスが、ざわっとした。
ブッチが、「ヒロキ、やめとけー!」と叫んだ。
「声、ひくいよ! また裏返るよ!」
「いいんだ」
オレは、立ち上がった。
前に出て、みんなの前に、立った。
さっきまで、恥ずかしかった。
でも、いまは、ちがう。
だって、ユウタが、見てる。
オレが、ここで、へたくそでも、堂々と歌えたら。
ユウタも、ちょっとだけ、勇気が出るかもしれない。
いや、そんな、いいことのためじゃなくて。
ただ、オレは、歌いたかった。
「じゃあ、さくまくん、お願いします」
先生が、ピアノの、最初の音を、ぽん、とならしてくれた。
オレは、息を、すった。
そして、歌った。
高い声は、出さなかった。
自分の、いちばん、ふつうの声で。
ひくくて、ちょっとだけ、かすれてて。
でも、ぜんぶ、本気で。
歌っているうちに、頭の中に、いろんな景色が、うかんできた。
母さんの、焦げた卵焼き。
団地の、カレーのにおい。
夕方の、鉄棒と、ユウタの笑い声。
……オレが、帰りたかった場所。
いや、帰ってきた、場所か。
気がつくと、声が、ふるえていた。
あれ。
オレ、また、泣きそうじゃん。
でも、歌は、やめなかった。
最後の音を、のばしきって、口を閉じた。
音楽室が、しーん、と、静まりかえった。
「…………」
「…………」
だれも、なにも、言わない。
あれ。
やっぱり、へたすぎた?
「……さくまくん」
マツモト先生が、目のはしを、そっと、ハンカチで、おさえていた。
「あなた、なにか、つらいことでもあったの?」
「え」
「ごめんなさいね。なんだか、聞いてて、胸が、いっぱいになっちゃって」
ええええええ!?
先生!?
「ヒロキ、なんで、そんな、うまいの……」
となりの席の女子が、鼻をすすっていた。
「ぼく、なんか、おばあちゃんちのこと、思い出しちゃった……」
「おれも……」
ブッチまで、目を、ごしごし、こすっている。
「ブッチ、お前も、泣くの!?」
「泣いてない! ほこりが、ひどいんだ、ここ!」
さっきの、オレのセリフじゃん。
「えっと、あの、先生、オレ、べつに、つらいことは」
「そう? もしあったら、先生に、いつでも、言ってね」
先生は、真剣な顔で、オレの肩を、ぽんぽん、叩いた。
ちがう。
ちがうんだ、先生。
ただ、ちょっと、帰りたい場所を、思い出しただけなんだ。
でも、それを、説明できないのが、もどかしかった。
ふと、うしろを見ると。
ユウタが、両手を、胸の前で、ぎゅっとにぎりしめて、こっちを見ていた。
目が、うるんでる。
でも、笑っている。
ユウタは、口のかたちだけで、言った。
『ありがとう』
オレは、小さく、うなずいた。
……やばい。
今日は、ほんとうに、涙腺が、持たない。
放課後、家に帰って、部屋のドアを、しめた。
ランドセルの底から、財布を出す。
名刺入れを、そっと、開く。
『サクマ文具販売 営業第三課 佐久間宏樹』
……ん?
文字が、にじんでいる。
「サクマ文具販売」の文字が、水に、ぬれたみたいに、ぼやけていく。
オレは、息を、のんだ。
目の前で、文字が、ゆっくり、ほどけて、組みかわっていく。
『株式会社 みやび芸能』
『マネージャー 佐久間宏樹』
……え。
え、え、え。
マネージャー?
芸能?
みやび、って、なに?
名刺を持つ手が、ふるえた。
その下に、小さく、書いてある。
『演歌・歌謡 所属アーティスト担当』
「…………」
オレは、名刺を、じっと、見つめた。
演歌。
歌。
さっき、音楽室で、「ふるさと」を歌ったら、先生が、泣いた。
……それが、きっかけ?
うそだろ。
いや、でも。
あわてて、引き出しの、スマホを取り出した。
バッテリーは、まだ、100%。
ギャラリーを、ひらく。
ぼやけた天井の写真。
空っぽのトレイの写真。
ブッチと肩を組んだ写真。
そして、昨日までの、「ゲームの大会」の写真。
ステージの、まんなかで、帽子をかぶって、照れ笑いしてたオレ。
……あれ。
その写真が、少しだけ、変わっていた。
まんなかに、いたはずのオレが、いつの間にか、端っこに、移動している。
そして、手に、持っているのは。
タオルと、ペットボトル。
しかも、ステージの上じゃない。
ステージの、すそ。
照明の当たらない、そでのところ。
その、ずっと、向こう。
ステージの、まんなかには、着物すがたの、女の人が、立っていた。
うしろ姿だけだ。
でも、その背中は、堂々としていて、まるで、スポットライトを、全身であびているみたいだった。
写真の、いちばん下に、ポスターが、ちらっと、写り込んでいる。
『みやび芸能 新春歌謡ショー』
その、すみっこに。
小さく。
ほんとうに、ちっちゃく。
『特別出演 スペシャルゲスト』
と、書いてあって、その横に、ぼやけた、名前。
……読めない。
でも、さすがに、そこは、ぼやけたままだった。
「……なんでだよ」
オレは、思わず、つぶやいた。
プロゲーマーのオレは、どこいった。
給食室のオレは、どこいった。
いや、たぶん、まだ、どこかには、いるんだ。
未来は、一個じゃなくて、ごちゃごちゃに、からまってる。
オレの選んだこと、ぜんぶが、ちょっとずつ、ちがう未来を、つくっていく。
でも、ひとつだけ、わかる。
写真の中のオレは、すごく、楽しそうに、笑っていた。
タオルを持って、端っこで、でも、とても、うれしそうに。
「……マネージャー、か」
声に出して、つぶやいてみた。
悪くない。
ぜんぜん、悪くない。
だって、文具の営業マン時代の、あの、うつろな目より、ずっと、いい顔をしてる。
でも、その夜、布団の中で、もうひとつのことを、考えていた。
写真の中に、またしても、ユウタは、いなかった。
あの、うまい歌声。
あれだけ、うまいのに。
あれだけ、きれいな声なのに。
未来の、どの写真にも、ユウタは、写っていない。
……このまま、いったら、ユウタは、どこかに、行ってしまう。
胸の奥が、ぎゅっと、なった。
今度は、ずっしりと、重いやつ。
オレは、ぎゅっと、布団を、にぎりしめた。
思い出せ。
あの日、教室で、オレが、ユウタに、何を言ったのか。
そして、ユウタが、どんな顔を、したのか。
『もう、お前と、やっても、つまんないよ』
その、先に、まだ、何かが、ある気がする。
オレは、天井を、見つめた。
窓の外で、虫が、りーん、と、鳴いていた。
「……ふるさと、か」
つぶやいた声は、やっぱり、おじさんの声だった。
でも、それでも、ユウタは、「かっこいい」って言ってくれた。
それだけで、今日は、よしとしよう。
そう思ったら、ふっと、まぶたが、重くなった。




