第7話「へたくそ、の続き」
夢を見た。
教室の夢だ。
夕日がさしこむ、誰もいない放課後の教室。
ゲームのコントローラーだと思っていたものは、ゲームボーイだった。
通信ケーブルでつないで、ユウタと、ふたりで対戦している。
記憶って、ほんとにざつだ。
画面の中で、ユウタのキャラが、またやられた。
「あー、また負けた」
ユウタが笑う。
でも、笑っているのに、その声は、ちょっとだけ、小さかった。
廊下のほうから、声が聞こえる。
「ヒロキー! まだー!?」
「早くしろよー!」
ブッチのグループだ。
小5のオレは、廊下のほうを、ちらちら見ている。
早く、行きたい。
あっちのほうが、楽しい。
あっちのほうが、かっこいい。
そう思っていた。
「ユウタ、もう一回やる?」
「うん!」
「……ほんと、へたくそだな」
「えへへ」
「もう、お前と、やっても、つまんないよ」
言ったあと、廊下のほうから、どっと、笑い声がした。
聞こえてたんだ。
ユウタの顔が、ゆっくり、こわばっていく。
それでも、ユウタは、笑おうとした。
片方のほっぺに、えくぼが、ぷるぷるしながら、浮かんで、消えた。
「……そっか。ごめんね」
ユウタは、そう言った。
謝ったんだ。
なんにも、悪くないのに。
小5のオレは、ゲームボーイを、乱暴に、ポケットに突っこんだ。
「じゃ、オレ、行くから」
廊下に出て、ブッチたちと走っていった。
うしろを、一回も、見なかった。
そして、次の日から、ユウタは、学校に、来なくなった。
目が覚めた。
天井が、近い。
布団が、ちっちゃい。
……全部、思い出した。
オレは、しばらく、動けなかった。
あの日の、あと。
ユウタが来なくなって、一週間くらいたったころ、先生が、朝の会で言った。
「ユウタくんは、おばあちゃんの町に、引っ越すことになりました」
あのとき、オレは、なんて思った?
ほっとしたんだ。
最低だけど、ほんとに、そう思った。
あー、気まずいの、なくなったな、って。
そのくせ、何年もたって、ふとしたときに、思い出した。
教室の、窓際のうしろから2番目が、空っぽだったこと。
それから、人と、深く関わるのが、こわくなった。
また、誰かに、同じことを、しちゃう気がして。
壁をつくって、浅く笑って、浅くつきあって。
そうやって、37歳になった。
「……そっか」
声に出したら、ちょっと、ふるえた。
「そういうことか」
オレの人生の、いろんなことの、はじまりは、ここだった。
胸の奥が、ぎゅっとなった。
でも、今日は、もう、ぎゅっとなってるだけじゃ、だめだ。
オレは、布団から、がばっと起き上がった。
「ヒロキー! おきてるー!?」
「おきてる!!」
「めずらしく、元気ねえ!」
そうだ。
今日は、元気を出す日だ。
「えー、じゃあ、謝罪の練習を、します」
朝ごはんのあと、オレは、自分の部屋で、ひとり、正座していた。
目の前には、ちっちゃい観客がひとり。
妹のミキだ。
「なんでわたしが、お客さんなの?」
「いいから。聞いてくれ」
「お兄ちゃん、きょう、へんだよ」
「へんでいい」
オレは、こほん、と咳ばらいをした。
「えー、ユウタくん。わたくしは、過去の自分の言動を深く反省しており」
「ながい」
「え」
「ながいし、むずかしい。ぜんぜん、わかんない」
ミキは、あくびをした。
「おにいちゃん、会社の人みたい」
ぐっ。
会社の人。
あたってる。
「じゃあ、えーと、ユウタ。あの日のことなんだけど、お前は、まったく悪くなくて、オレの」
「ながい」
「くそ、短く!?」
「ごめんって言えばいいじゃん」
ミキは、あっさり言った。
「ごめんなさい、って。それだけでいいんだよ。おかあさんが、いつも言ってる」
……。
小2に、教えられた。
でも、確かに、そうだった。
37歳のオレは、言い訳と、前置きと、理屈を、ぜんぶ、ひっくるめて、「大人の謝り方」にしようとしていた。
会社で、さんざん、やってきたやつだ。
ほんとの謝罪って、もっと、はだかで、ちっちゃいんだ。
「……ミキ」
「なに?」
「ありがとう。お前、いい女になるぞ」
「知ってる」
即答だった。
さすが、将来のしっかり者。
でも、現実は、そんなに、うまくいかなかった。
朝、教室に入ると、まず、ブッチが、飛びついてきた。
「ヒロキ!! きのうの続き、今日もやろうぜ!!」
「あ、ブッチ、ごめん、今日はちょっと」
「えー!?」
休み時間、ユウタに話しかけようとしたら、ひとり、横から入ってきた。
「さくまくん、きのうの音楽の時間のこと、ちょっといい?」
きりっとした声。
メガネ。
きちんと結んだ、ふたつのおさげ。
学級委員長の、ヤマグチさんだ。
「音楽の時間、あなたが、前に出て、歌ったでしょ? あれ、先生の許可は、とってたけど、みんなが、真剣に練習する時間を、とってしまったのは、反省してほしいと思います」
「あ、はい。すみません」
反射で、頭を下げた。
うわ。
オレ、会社の癖が、出てる。
委員長は、満足げに、うなずいた。
でも、そのあとで、ぼそっと、言った。
「……でも、すごく、いい歌だったと思います」
言うだけ言って、さっと、行ってしまった。
なんだ、いまの。
ツンデレか。
そういえば、このひと、オレの苦手な委員長だった。
ことあるごとに、注意してきて。
……って、いまは、その話じゃない!
結局、授業の合間も、昼休みも、掃除の時間も、ユウタとは、ふたりになれなかった。
オレは、トイレの鏡の前で、小さく、拳をにぎった。
放課後だ。
放課後に、言う。
絶対。
放課後。
教室に、ユウタは、いなかった。
ランドセルが、なかった。
一瞬、血の気が引いた。
もう、帰った?
あわてて、昇降口へ走った。
「ヒロキ!」
校門のほうから、声がした。
ユウタが、立っていた。
ランドセルを背負って、校庭のはしの、鉄棒のところに。
「ごめん、先に来ちゃった。逆上がり、したくて」
オレは、ほっとして、へなへなと、座りこみそうになった。
「……ユウタ」
「ん?」
「その前に、ちょっと、いい?」
ユウタは、きょとんとして、うなずいた。
夕日が、鉄棒を、オレンジ色にそめている。
ひとの声は、ほとんど、聞こえない。
オレは、ランドセルの、いちばん下から、あるものを、取り出した。
今朝、引き出しの、奥の奥から、見つけたやつ。
小さな、灰色の、ゲームボーイのソフト。
ラベルに、ひらがなで、「ゆうた」と、書いてある。
「……これ」
ユウタの目が、まるくなった。
「あ、ぼくの」
「ごめん。ずっと、借りたままだった」
「ずっと?」
「ずっと。……ほんとは、返さなきゃって、わかってたのに」
ユウタは、受け取った手を、じっと見つめた。
オレは、息を、すった。
用意してきた、むずかしい言葉は、ぜんぶ、どこかへ、消えていた。
「ユウタ」
「うん」
「ごめんなさい」
声が、ふるえた。
おじさんの声が、情けないくらい、ふるえた。
「へたくそ、って言って、ごめん。つまんないって、言って、ごめん」
ユウタは、動かなかった。
「ユウタは、なんにも、悪くなかった。オレが、かっこつけたかっただけだ。ブッチたちに、いいところ見せたくて、ユウタを、ばかにした」
言葉が、止まらなかった。
でも、ミキに言われたとおり、短く、短く、だけ。
「ほんとに、ごめん」
しーん。
校庭の、遠くのほうで、カラスが鳴いた。




