第5話「軍手と、白いケーブル」
バッテリー、15%。
朝イチでスマホを確認して、オレは頭をかかえた。
減ってる。
しかも、いじってないのに減ってる。
寝てるあいだに、勝手に未来へ帰ろうとしてるんじゃないか、こいつ。
「……いや、やばいって」
電源を入れたまま放置してるのが悪いのか。でも、切ったら、二度と入らなくなる気がして怖かった。根拠はない。ただの勘だ。
充電器。
充電器がいる。
でも、そんなもの、どこで手に入れるんだ。
秋葉原に行く?
小5が?
財布には3284円あるけど、そもそも、この時代にあの端子のケーブルは売ってない。
売ってたとしても、お店の人に「なにそれ?」って顔をされる。
詰んでる。
「ヒロキー! ごはんー!」
「はーい!」
返事の声は、今日もおじさんだった。
朝ごはんのとき、母さんが、ふと言った。
「ヒロキ、今日、体育ある?」
「あるよ。また鉄棒」
「じゃあ、軍手持っていきなさい。手、まめになるでしょ」
軍手。
おお、それは、いいアイデアだ。
鉄棒のざらざらが、手のひらに食いこむの、地味に痛かったんだよな。
「軍手、どこ?」
「押し入れの天袋。クッキーの缶に入ってるわよ」
「天袋?」
「椅子、使いなさいね。落ちないでよ」
母さんは、味噌汁をすすりながら、あっさり言った。
オレは、ちょっとだけ、感動した。
母さん、やっぱり、すごい。
家の中のどこに何があるか、全部知ってる。
押し入れの天袋は、思ったより高かった。
椅子を持ってきて、その上に乗って、背伸びして、やっと手が届く。
37歳の体で小5の椅子に乗ると、なんか、足場がミシミシ鳴って、こわい。
「……よいしょっと」
天袋の奥に、でっかい缶があった。
青くて、丸くて、デンマークのクッキーのやつ。
あれだ。
どこの家にも一個はある、「中身がクッキーじゃない缶」。
ふたを開けた。
針と、糸と、ボタンと、軍手。
そして、その下に。
白いケーブルが、とぐろを巻いていた。
「…………」
となりに、ちっちゃい四角い、白いアダプター。
プラグの足が、二本。
先っぽの端子は、小さい、楕円形。
「……あった」
声が、ひっくり返った。
あった。
あったんだ。
なんで?
どうして、1999年の押し入れの、母さんの裁縫缶に、令和の充電器が入ってるんだ?
糸くずが、ケーブルに、からまってる。
ずっと前から、そこにあったみたいな顔をしてる。
いや、待て。
そもそも、スマホも、財布も、「なんとなく」、ランドセルや引き出しに入ってた。
オレが必要なものは、なぜか、この世界のどこかに、ちゃんと、置いてある。
誰かが、置いてくれてる?
それとも、そういうルール?
考えても、わからない。
「ヒロキー! 軍手あったー?」
「あ、あった!」
あわてて、ケーブルとアダプターを、ポケットに突っこんだ。
軍手を、ちゃんと、もう一個の手に持って。
居間に降りると、母さんが、オレのポケットを、ちらっと見た。
「あら、それ」
ドキッとした。
「ヒロキの充電器でしょ。ちゃんとしまっておきなさいよ」
「…………うん」
あっさり。
あっさりすぎる。
オレは、ポケットのものを、ぎゅっと握りしめた。
母さん。
あなたの息子、いま、時空の端っこで、ちょっと、こわい思いしてるんですけど。
学校に行く前に、部屋のコンセントに、アダプターをさした。
机の裏にある、一個だけの、二つ穴のコンセント。
形は、令和のオレんちのと、ぜんぶ同じだ。
ケーブルを、スマホにつなぐ。
画面が、ぱっと、光った。
『充電中』
緑色の、いなずまのマーク。
「…………うおお」
ちっちゃく、ガッツポーズをした。
37歳が、朝から、机の裏で、ひとり、ガッツポーズ。
誰かに見られたら、完全にアウトだ。
でも、うれしかった。
ほんとにうれしかった。
こんなに充電マークがうれしかったのは、人生で、はじめてかもしれない。
……いや、会社で、残業中にモバイルバッテリーが生き返ったときも、ちょっとうれしかったな。
どうでもいいか!
学校では、朝イチ、ユウタが待っていた。
「ヒロキ、おはよ!」
「おはよー。ユウタ、はやいね」
「うん。きのう、約束したから」
ユウタは、ちょっと、恥ずかしそうに言った。
「逆上がり、朝も、やろうと思って。先生が、早く来てもいいって言ってたし」
「おお、いいじゃん」
オレは、軍手を、ぎゅっとはめた。
ユウタにも、一個、渡した。
「はい、これ。予備」
「え、いいの?」
「いいって。オレ、ふたつ持ってきたし」
実は、母さんの缶には、軍手が、ちゃんと二組入ってた。
母さん、予知能力、あるのかな。
校庭の鉄棒は、朝の光で、白く光っていた。
人は、ほとんどいない。
遠くで、サッカー部の子たちが、ボールを蹴っているくらい。
「じゃあ、ぼくから、やるね」
ユウタが、バーを握った。
ちっちゃい手。
軍手が、ちょっと、ぶかぶかだった。
「いくよ」
「うん」
ユウタが、地面を蹴った。
ぷらん。
「あ」
足が、あがらなかった。
「もう一回」
ぷらん。
「もう一回!」
ぷらん。
ユウタの顔が、だんだん、赤くなってきた。
「ごめん……ぼく、やっぱり、へたで」
「ごめん、じゃないって」
オレは、ユウタの後ろに回った。
「いくぞ。足、おすからな」
「え、ヒロキ、昨日はぼくがおしたのに」
「今日は、オレの番!」
ユウタの背中と腰に、手を添えた。
ちっちゃくて、軽かった。
こんなに、細い体で、毎日、がんばってたんだな。
「せーのっ!」
ユウタが、蹴った。
オレが、ぐいっと、押し上げた。
ユウタの足が、ふわっと、空に向かった。
あがった。
ほんの少し。
でも、確かに、地面から、ずっと、遠くまで。
「わっ、わっ、わっ」
「ユウタ、あがってる! あがってるぞ!」
「ほんと!?」
「ほんと! 前より、ぜんぜん、あがってる!」
ユウタの足は、鉄棒の上まで、あと、ちょっとのところで、止まった。
そして、そのまま、ゆっくり、落ちていった。
「……あー」
ユウタは、地面に、すとんと、着地した。
でも、顔は、笑っていた。
「ぼく、いま、ちょっと、できそうだった!?」
「うん。できそうだった! ぜったい、もうちょい!」
「やった!」
ユウタは、ぴょんぴょん、はねた。
えくぼが、ぽこっと、深く出た。
そのとき。
「ヒロキ」
「ん?」
「ありがとう」
ユウタが、まっすぐ、オレの顔を見て、言った。
「ヒロキ、きょう、いつもと、ちょっとちがう」
「ちがう?」
「うん。なんか、前より、やさしい」
「…………」
胸の奥が、ぎゅっと、なった。
「前より」。
その、ふたつの言葉が、オレの中で、ぐるぐる回った。
前は、やさしくなかったのか。
オレは、ユウタに、何をしたんだ。
その瞬間だった。
ふっと、頭の中に、光景が、ひらいた。
放課後の、教室。
夕日。
誰もいない。
ユウタと、オレだけ。
ユウタの手に、ゲームのコントローラーがあった。
オレの手にも。
画面の中で、ユウタのキャラが、やられていた。
何度も、何度も。
「……ほんと、へたくそだな」
誰かが、言った。
小5のオレの声だった。
「もう、お前と、やっても、つまんないよ」
それを聞いた、ユウタの顔。
そのあとの。
ユウタの。
「……ヒロキ?」
我に返った。
「ヒロキ、どうしたの? 顔、まっさおだよ」
「…………あ、ごめん。なんでもない」
「ほんと?」
「うん。ちょっと、立ちくらみ」
37歳の、ごまかし方だった。
でも、ユウタは、信じてくれた。
「気をつけてね。ヒロキ、朝ごはん、ちゃんと食べた?」
「食べた。卵焼き」
「いいなあ、おいしそう」
ユウタは、笑った。
オレも、笑った。
でも、さっきの光景が、まぶたの裏に、焼きついて、離れなかった。
「もう、お前と、やっても、つまんないよ」
あれが、オレの、言ったことなのか。
全部は、まだ、思い出せない。
でも、きっと、あの一言が、はじまりだ。
目の奥が、つーんとした。
今日は、泣かなかった。
でも、ほっぺたの内側を、ぎゅっと、噛んだ。
その日の放課後は、ブッチの家で、ふたり、ゲームをした。
ユウタは、「今日は、おうちで、お手伝いがあるから」と言って、先に帰った。
ほんとかな。
たぶん、ほんとだ。
でも、あの背中は、ちょっとだけ、さびしそうに見えた。
ブッチと、並んで、ゲームをした。
昨日のRPGとは別の、レースゲーム。
オレは、もちろん、最下位だった。
「ヒロキ、これは、へたなんだ!」
「うるさい、ブッチ。人にはな、得意と、不得意があるんだ」
「あははは! ヒロキにも、できないことあるんだ!」
ブッチは、腹をかかえて笑っていた。
その笑い方が、ほんとうに、楽しそうで。
オレは、ちょっと、救われた。
できないことがあっても、笑ってもらえる。
それが、どれだけ、ありがたいことか。
37歳になった今、やっと、わかる気がした。
家に帰って、部屋のドアを閉めた。
机の裏のコンセントに、つないでおいたスマホを、取り出す。
バッテリー、100%。
満タン。
画面が、きらきら、光って見えた。
「……よし」
ホーム画面を開いた。
圏外は、そのまま。
ネットもつながらない。
でも、電源は、これで、しばらく、安心だ。
ギャラリーを、開いた。
そして、一番上の、新しい写真に、目が、止まった。
どこかの、コンビニの前。
夜。
蛍光灯の明かりの下で、ふたりの男が、肩を組んで、笑っている。
ひとりは、オレだ。
ちょっと、日に焼けた顔。
ひげはない。
髪も、短くさっぱりしてる。
もうひとりは。
丸い顔。
ぷくぷくの、ほっぺ。
少し、お腹が出てるけど、笑うと、目が、なくなる。
「…………ブッチ」
オレは、思わず、声に出していた。
大人になった、ブッチだ。
写真の下に、小さく、文字が、入っていた。
『ひさしぶりの飲み! 渕上、ぜんぜん変わってねえ(笑)』
撮影日は、三日前。
三日前。
オレが、この世界に来たのは、昨日の前の前の日だったはずなのに。
未来では、もう、三日前、ブッチと、飲んでる。
写真の中の、ふたりは、本当に、楽しそうだった。
オレは、画面を、指でなぞった。
そうだ。
オレ、ブッチと、中学以降、一回も、連絡とってなかったんだ。
引っ越しとか、仕事とか、いろんなことを言い訳にして。
それが、こんなふうに、また、笑いあえる未来に、変わるのか。
「……まじでっ」
声が、ふるえた。
でも、うれしくて、ふるえたのか、こわくて、ふるえたのか、自分でも、わからなかった。
ただ、ひとつだけ、わかったことがある。
ユウタが、いない。
写真の中に、ブッチは、いる。
ゲームの写真にも、ヘッドセットの写真にも、トレイの写真にも。
でも、ユウタの姿は、どこにも、ない。
あの、細くて、色白で、えくぼの子は、未来のオレの、どこにも、いない。
「…………」
スマホを、ぎゅっと、握った。
やっぱり、オレが、いちばん、直さなきゃいけないのは。
ユウタのことだ。
窓の外は、もう、暗くなっていた。
充電器のケーブルが、机の裏から、細く、のびている。
オレは、スマホを、もう一回、引き出しに、しまった。




