第4話「スーファミと、ラスボスと」
朝、起きたら、枕もとで音がした。
ブブッ。
……またか。
スマホかと思って、あわてて引き出しを開けた。
ちがった。
となりの部屋だ。
父さんの携帯が、ブルブルしてる。
折りたたみじゃなくて、ストレートの、アンテナが短くついたやつ。
画面は、オレンジ色のバックライトだ。
「もしもし、はい、はい……」
寝ぼけた声で、父さんが電話に出ている。
そうだよな。
1999年にも、携帯、あったよな。
昨日、スマホが鳴ったとき、「この時代にバイブなんてない」って思いこんだオレのほうが、なんか、ちょっとだけ、恥ずかしかった。
……いや、誰も見てないけど。
問題は、充電だった。
スマホのバッテリーは、20%。
学校に行く前に、どうにかしたい。
居間のコンセントを見た。
穴は、二つ。
形は、令和のオレんちと、同じだ。
そこは、ほっとした。
でも、ランドセルの底に、充電ケーブルはなかった。
入ってるのは、財布と、スマホだけ。
仮に、あったとしても、オレのスマホの端子は、小さい楕円形の、新しいやつだ。
この家にある、充電器の形じゃない。
母さんの携帯の充電器を、こっそり見てみた。
先っぽが、細長くて、平たくて、ちょっと太い。
合うわけがない。
「……やっぱり、無理か」
「ヒロキ、なにしてんの? それ、母さんの充電器でしょ」
「あ、いや、ちょっと、見てただけ!」
「ふうん。さわったらだめよ」
「はーい」
オレは、そっと充電器を戻した。
スマホは、あと20%ぶんの命。
大事に、使おう。
その日の放課後は、ブッチの家に行くことになった。
「ヒロキ、きょう、うちでゲームしようぜ!」
「ゲーム?」
「スーファミ! 新しいソフト、おとうさんが買ってきてくれたんだ!」
スーファミ。
その言葉に、オレの耳が、ぴくっと動いた。
スーパーファミコン。
1999年は、もうプレステやニンテンドー64が主役の時代だったけど、スーファミも、まだ、そこらじゅうの家に生きてた。
そして、オレには、スーファミに、苦い思い出がある。
クリアできなかったゲームが、たくさんあるんだ。
特に、あの、ブッチの兄ちゃんが持ってた、でっかいRPG。
最後のダンジョンまで行って、そこで、ずっと、止まったまま。
結局、引っ越しだとか、受験だとかで、それっきりになった。
大人になって、いつか、やりたいなあって思ってた。
でも、仕事が忙しくて。
気がついたら、ゲーム機も、押し入れの奥で、ホコリをかぶってた。
「……行く」
「やった! ユウタも来る?」
ブッチが、ユウタのほうを振り向いた。
ユウタは、ちょっと、迷ったように、うつむいた。
「えっと……ぼく、きょうは」
「えー、来いよー!」
「……うん。ちょっとだけなら」
その、「ちょっとだけ」の言い方が、ほんの少し、ひっかかった。
まただ。
ユウタが、一瞬だけ、何かをこらえる顔。
オレは、見逃さなかった。
ブッチの家は、団地の三階だった。
玄関を開けると、いきなり、カレーのにおいがした。
「おじゃましまーす」
「おー、ヒロキくん、ユウタくん、いらっしゃい!」
ブッチのお母さんが、エプロン姿で出てきた。
ふくよかで、笑顔が、ブッチにそっくりだ。
「ゲームは、ごはんのあとにしなさいよー」
「えー!」
「えーじゃない!」
そう言いながら、ブッチのお母さんは、オレたちに、麦茶とおせんべいを出してくれた。
居間のテレビの前に、スーファミが置いてある。
灰色の本体。
カラフルなボタンのコントローラー。
あの、ずっしりした、カセットの感触。
……うわ、なつかしい。
胸の奥が、ぎゅっとなった。
あ、またそれか。
でも、今日のは、ちょっと、わくわくのほうが強い。
「これ、おとうさんが買ってきたやつなんだ!」
ブッチが、カセットを、誇らしげにかかげた。
ラベルには、剣を持った勇者の絵と、でっかい、ドラゴン。
あっ。
これ。
これだ。
ブッチの兄ちゃんが持ってた、あのRPG。
「おれ、これ、まだ最初の村までしか行けてなくてさ。ヒロキ、やってみて!」
「え、オレ?」
「ヒロキ、昨日から、なんか天才じゃん! きっと、ゲームも、できるって!」
「いや、算数とゲームは、別だろ」
「いいからいいから!」
コントローラーを、渡された。
手のひらに、ぴったりおさまった。
不思議だった。
小5のサイズなのに、ちゃんと、オレの手に、なじんだ。
「……やるか」
スイッチを、入れた。
ピローン。
あの、起動音。
画面が、ぱっと光った。
ここから先は、ちょっと、記憶があいまいだ。
というか、オレ、完全に、ゾーンに入ってた。
最初の村を出て、草原を抜けて、洞窟を探索して。
ボスの攻撃パターンを見切って、レベル上げのタイミングを調整して。
37歳の脳みそは、ゲームのことになると、なぜか、めちゃくちゃ、さえていた。
「あ、そこ、宝箱あるぞ」
「え、なんでわかるの!?」
「あー……なんか、勘?」
「勘!?」
いや、ほんとは、わかる。
だって、この宝箱の位置、二十年以上、頭のすみに、こびりついてたんだ。
攻略本も、攻略サイトも、ない時代。
でも、あのとき、何度も何度も、同じダンジョンを歩いた記憶が、体に残ってる。
「そこのボスは、二回行動するから、一回目は防御して。で、三ターン目に、大技が来る」
「え、ヒロキ、なんでそんなこと知ってるの!?」
「だから、勘だって」
「すげー!! ヒロキ、神じゃん!!」
ブッチが、ひとりで、拍手している。
おせんべいの粉が、ぱらぱら、落ちた。
「ブッチ、おせんべい、こぼれてる」
「そんなの、どうでもいい! つぎ、つぎのボス!」
オレは、画面を見たまま、ふっと、笑った。
なんか、楽しい。
ほんとに、楽しい。
27年ぶんの、「あのとき、やれなかったこと」を、いま、ひとつずつ、取り返している感じがする。
最近、こんなに、夢中になったこと、あったっけ?
仕事も、人間関係も、なんとなく、ずっと、うわの空だった。
でも、いま、この画面の中の世界は、ぜんぶ、はっきり見えてた。
「……っしゃあ!」
ボスのHPが、ゼロになった。
勝った。
「うおおおおお!」
「ヒロキ、やべー!! すっげー!!」
ブッチが、オレの肩を、バンバン叩く。
そのとき、気がついた。
ユウタが、部屋のすみで、体育座りをしていた。
麦茶のコップを、両手で持ったまま、画面を、じっと見ている。
目が、笑っていなかった。
「……ユウタ?」
「え? あ、すごいね、ヒロキ」
ユウタは、あわてて、えくぼを作った。
でも、それは、いつものえくぼじゃなかった。
「ユウタも、やる?」
「ううん。ぼく、見てるだけでいい」
「でも」
「いいの。ぼく、ゲーム、下手だから」
その言葉が、部屋の空気を、ほんの少しだけ、変えた。
ブッチは、気づいてない。
でも、オレは、気づいた。
あ。
オレ、いま、何か、思い出しかけてる。
ユウタの、「ゲーム、下手だから」。
その言い方を、オレは、聞いたことがある。
あのとき、オレは、なんて言ったんだっけ。
胸の奥が、ざわざわした。
「……ヒロキ?」
「あ、ごめん。ボーっとしてた」
「ヒロキ、次、ラスボス行こうよ! おれ、見たい!」
「え、今日で?」
「だって、ヒロキなら、いけるって!」
ブッチの目は、キラキラしていた。
断れなかった。
ラスボスは、手ごわかった。
でも、オレは、昔、何度も、そこで、負けていた。
負けた回数ぶんだけ、頭に、ぜんぶ、焼きついてた。
三形態あって、二形態目の最後に、必ず、全体攻撃が来る。
その前に、回復アイテムを使って、HPを満タンにしておく。
三形態目で、弱点属性の魔法を、連続で、撃つ。
画面が、ぴかーっと光って、ラスボスが、ゆっくり、消えていく。
……クリア。
エンディングが、流れはじめた。
クリアしたんだ。
オレ、あの、ずっと止まってたゲームを、いま、クリアした。
27年ぶん、遅れたけど。
「…………」
部屋が、しーんとなった。
そのあと。
「すげええええええ!!!!」
ブッチが、立ち上がって、叫んだ。
「ヒロキ、神だ!! 神だー!!」
「いや、そんな、大げさな」
「だって、おれの兄ちゃんも、クリアできなかったんだよ!? それを、一日で! しかも、ぜんぜん、攻略本、見ないで!」
「見てない」
「ひとりで!? ほんとに、ひとりで!?」
「……まあ、うん」
「やっば!! ヒロキ、天才すぎる!!」
ブッチは、泣きそうな顔で、オレに、抱きついてきた。
あの、丸い体が、ぐいぐい、オレの腹に、おしつけられる。
あったかい。
重い。
でも、悪くない。
「ヒロキ、あのさ」
ブッチが、顔を上げて、まっすぐ言った。
「明日も、うち、来てくれる?」
「え」
「おれ、ヒロキと、もっといっぱい、ゲームしたい」
そのまっすぐさが、まぶしかった。
オレ、37歳だぞ。
小5の子に、こんなに、まっすぐに、言われて。
胸の奥が、ぎゅっとなった。
「……うん。行く」
「やった!!!」
ブッチが、飛びはねた。
団地の床が、ドスンドスンと鳴った。
下の階の人に、怒られないか、心配になった。
帰り道、ユウタと、ふたりになった。
夕日が、団地の窓に、反射していた。
「ヒロキ、すごかったね」
「ううん、たまたま」
「ぼく、あんなふうに、できないから」
ユウタは、うつむいた。
「ユウタも、練習したら、できるよ」
「……ううん」
「なんで」
「だって、ぼく、なにやっても、へたくそだから」
ユウタは、ぽつりと言った。
声が、ちっちゃかった。
「ヒロキは、いいなあ。なんでも、できて」
その言葉が、胸に、ぐさっと、刺さった。
ちがう。
ちがうんだ、ユウタ。
オレは、ぜんぜん、すごくなんかない。
ただ、ズルしてるだけだ。
37歳の脳みそを、使って。
それなのに、お前に、「いいなあ」なんて、言わせて。
胸の奥が、痛かった。
さっきまでの、ぎゅっじゃない。
もっと、重たいやつ。
「ユウタ」
「ん?」
「オレ、逆上がり、できてないじゃん」
「え?」
「ゲームはできても、逆上がりは、ぜんぜんできないんだよ」
「…………」
「だからさ、いっしょに、練習しようぜ。明日も」
ユウタは、少しだけ、考えるような顔をした。
それから、えくぼを、ぽこっと、浮かべた。
「……うん」
その笑顔は、さっきの、無理した笑顔じゃなかった。
たぶん。
そう、思いたかった。
家に帰って、ランドセルから、財布を出した。
名刺入れを、開く。
『サクマ文具販売 営業第三課 佐久間宏樹』
……あれ?
「営業第三課」の「三」が、さらに薄くなってた。
そして、「サクマ文具販売」の、「文具」の字が、ほんの少し、ゆがんで見えた。
目をこすって、もう一回見た。
やっぱり、文字が、にじんでいる。
ドキドキしながら、スマホを引き出しから取り出した。
バッテリー、19%。
ギャラリーを、開く。
一番上に、また、新しい写真が、増えていた。
どこかの、薄暗い部屋。
大きなモニターが二つ。
その手前に、ヘッドセットと、コントローラー。
そして、机の上に、エナジードリンクの缶が、三本。
画面の中では、キャラクターが、ボスに、とどめを刺している。
端っこに、小さな文字で、表示されていた。
『SAKUMA ー WINNER』
「…………え」
オレは、固まった。
SAKUMA。
オレだ。
オレの名前だ。
しかも、「WINNER」って。
「……オレ、ゲームの、なにかに、なってる?」
もう一枚、スワイプした。
小さな会場の写真。
ステージの上で、数人の人が、並んでいる。
そのまんなかに、帽子をかぶって、ちょっと照れた顔で笑ってる、オレ。
痩せて、ひげもなくて、目の下のクマも、ない。
すごく、楽しそうな顔だった。
「……まじでっ?」
でかい声が出た。
あわてて、口を、おさえた。
でも、止まらなかった。
これ、なんなんだ。
オレ、ほんとに、未来、変わってるのか。
今日、ブッチの家で、ゲームをクリアしただけで?
指先が、ふるえた。
でも、そのあとで、気がついた。
三枚目の写真。
ゲームの写真より、さらに下にあった、ぼやけた、夜の道の写真。
前は、ぶれてて、なにを撮ったのか、わからなかった。
でも、今日は、ちょっとだけ、ピントが合っていた。
道の、むこうに、小さく、人影が写っている。
ちいさな、子どもの、影。
ランドセルを背負って、うつむいて、歩いている。
「…………」
名前も、顔も、わからない。
でも、なぜか、その影から、目が、はなせなかった。
その夜は、なかなか、眠れなかった。




