第3話「引き出しの中の、未来」
朝。
目が覚めて、最初に思ったのは、これだった。
……夢じゃなかった。
天井が、近い。
布団が、ちっちゃい。
足が、また外にはみ出して冷えている。
起き上がろうとして、「ぐっ」と変な声が出た。
腕が痛い。
足も痛い。
おなかも、なんでか痛い。
逆上がりのとき、使ってないはずの筋肉まで、勝手に怒っている。
37歳の筋肉は、ちゃんと37歳の速度で、遅れて怒るらしい。
そこだけ、リアルだった。
「ヒロキー! おきてるー?」
「おきてる!」
返事の声は、今日もおじさんだった。
母さんは、何も言わなかった。
事件は、学校へ行く前に起きた。
ランドセルに教科書をつめていたら、机の引き出しから、音がした。
ブブッ。
ブブッ。
ブブブブッ。
……バイブ?
オレは、固まった。
この家に、バイブで震えるものなんて、あるのか?
だって、1999年だぞ。
ケータイは……時代的にはあるか。
いや、でも、この部屋にはないはずだ。
おそるおそる、引き出しを開けた。
消しゴム。
けずりかけの鉛筆。
色あせたカード。
そして、その奥に。
黒くて、薄くて、四角い板が、ブルブルしていた。
「……スマホ」
オレの、スマホだった。
角がちょっとへこんだ、37歳の、オレのスマホ。
手に取ると、ずしっと重かった。
この部屋にあるものの中で、こいつだけが、27年ぶん未来から来た顔をしている。
画面に、通知が出ていた。
『バッテリー残量 23%』
『充電してください』
「いや、どこで!?」
思わず、小声でツッコんだ。
だって、充電器ないし。
そもそも、アンテナのマークは、圏外だった。
電話もできない。
LINEも開かない。
ネットも、ぐるぐるまわって、なにも出てこない。
つまり。
このスマホは、ほぼ、ただの「重たい板」だ。
……いや、待て。
写真は?
ギャラリーのアイコンを、ぽちっと押してみた。
写真は、ほとんど、入っていなかった。
ぼやけた天井。
コンビニの弁当。
会議資料のスクリーンショット。
ノルマの数字が、赤い丸でかこんである画像。
あとは、なんの写真かもわからない、ぶれた夜の道。
「……オレ、ひどくない?」
37年間生きてきて、スマホに残ってる思い出が、これ。
弁当と、数字と、天井。
友達と撮った写真は、一枚もない。
家族の写真も、ない。
最後に人と笑って撮った写真は、いつだったっけ。
考えようとして、やめた。
胸の奥が、ぎゅっとなった。
たぶん、朝から、ダメージが大きすぎる。
「ヒロキー! 遅刻するよー!」
「いま行くー!」
スマホを、ランドセルの底に、突っこんだ。
財布の、となり。
だんだん、ランドセルの底が、未来の物置みたいになってきた。
学校では、算数のヒーロー扱いが、まだ続いていた。
「ヒロキ、おはよー!」
「ヒロキくん、きのうのやつ、もっかい教えて!」
「ねえ、夢の中で勉強って、どうやるの?」
質問攻めだった。
まじでっ?
オレ、人気者?
37歳にして、まさかのモテ期?
と、思ったら、ブッチが小声でいった。
「ヒロキ、ごめん。ぼく、みんなに言いふらしちゃった」
「やっぱお前か!」
「だって、すっげーんだもん! ヒロキ、神じゃん!」
神、って。
こっちは、鉄棒でぶら下がってたんだけどな。
ちらっと、窓際のうしろから2番目を見た。
ユウタが、教科書で、顔を半分かくしていた。
目が合うと、にこっと笑った。
えくぼが、ぽこっと浮かぶ。
昨日より、ちょっとだけ、深い。
……よかった。
って、なにが。
自分でも、よくわからなかった。
そして、問題の、4時間目が終わった。
給食の時間だ。
「きょうの献立は、ごはん、牛乳、さばの味噌煮、ひじきの煮物、わかめのスープです」
放送の声が、教室にひびく。
その瞬間。
オレの胃が、きゅうっと縮んだ。
……ひじき。
ひじき!
思い出した。
オレ、ひじきが、大っきらいだったんだ。
あの黒い、にゅるにゅるした、土みたいな見た目。
おばあちゃんが煮たやつも、母さんが煮たやつも、一口も食べなかった。
給食のたびに、ひじきだけ残して、先生に怒られていた。
「さくま! 食べるまで、おかわり禁止!」
そう言われて、昼休みの時間まで、ひとりで、席にすわっていたことも、あった。
あのときの、ひじきの、冷めた感じ。
教室の、がらんとした感じ。
窓の外から聞こえる、みんなの笑い声。
……これが、オレの、いやな思い出ランキング、上位のやつだ。
「ヒロキ、はやく給食当番の白衣!」
ブッチが、にこにこしながら、白衣を差し出してきた。
白衣。
37歳が、白衣。
しかも、サイズが、ぜんぜん合わない。
ボタンを留めると、おなかが、ミチッと音をたてた。
マスクと帽子をつけて、鏡を見た。
……あやしい給食センターの人みたいだ。
「ヒロキ、似合う!」
「ブッチ、お世辞が下手すぎ」
「え、ほんとだよ!」
ほんとなのか。
これが似合ってるのか。
オレ、普通の人に、見えるのか。
配膳が終わって、みんなで、「いただきます」をした。
ごはん。
さばの味噌煮。
わかめのスープ。
そして、ひじき。
トレイの、すみっこにある。
小さい、小さい、黒い山。
オレは、じっと見つめた。
いや、待て。
今のオレは、37歳だ。
居酒屋で、ひじきの煮物、頼んだことあるぞ。
しかも、「あ、これ、うまいな」って、思ったこともある。
そうだ。
オレは、もう、大人の味覚を持ってる。
ひじきは、もう、怖くない。
はず。
……はず、だよな?
おそるおそる、箸で、ひとつまみ。
口に、入れた。
もぐ。
もぐもぐ。
……。
あれ。
「……うまい」
思わず、声が出た。
ほんのり甘くて、しょうゆの味がしみてて、大豆のぷちぷちした食感がたまらない。
これ、居酒屋で、500円とるやつだ。
いや、居酒屋のより、うまいかもしれない。
「え、ヒロキ、ひじき食べてる!?」
ブッチが、目をまんまるにした。
「うそ、あのヒロキが!? ひじきを!?」
「ヒロキくん、ひじき、きらいだったよね!?」
まわりの子たちも、わらわらと集まってきた。
やばっ。
また、やりすぎた。
「いや、その、あれだよ」
「あれ?」
「夢の中で、ひじきの、修行をした」
「ひじきの修行ー!?」
自分で言っておいて、意味がわからない。
でも、みんな、「すっげー!」「ヒロキ、すげー!」って、拍手しはじめた。
そんなところ、拍手するとこじゃない。
ひじきだぞ。
さばの味噌煮も、わかめのスープも、きれいに食べた。
ごはんも、おかわりした。
そして、トレイを片づけに、給食室の前へ行った。
「さくまくん」
配膳台の向こうから、白い帽子とマスクの、おばちゃんが声をかけてきた。
名札には、「ナカムラ」と書いてある。
ふくよかで、目がやさしくて、笑うと、目じりに、しわがよる人。
覚えてる。
この人、毎日、こわい顔した先生に怒られて、泣きそうなオレを、遠くから、じっと見てた人だ。
「今日は、ひじき、食べたのねえ」
「あ、はい」
「ぜんぶ、きれいに」
ナカムラさんは、オレのトレイを、のぞきこんだ。
ごはんも、おかずも、ひじきの小皿も、ぜんぶ、空っぽ。
ピカピカだった。
「……今日も、ピカピカね!」
ナカムラさんは、にっこり笑って、そう言った。
「え」
「毎日、そのくらい、食べてくれたら、おばちゃん、うれしいなあ」
あ。
あ、あ、あ。
目の奥が、つーんとした。
またかよ、オレの涙腺。
「……ありがとう、ございます」
声が、ちょっとだけ、かすれた。
「あら、ヒロキくん、大人みたいな返事ねえ」
ナカムラさんは、くすくす笑った。
大人みたい、っていうか。
大人なんだけど。
でも、今は、それを言わなくていいやって思えた。
昼休み。
トイレの個室で、ランドセルをひらいた。
スマホを、取り出す。
バッテリーは、21%に減っていた。
減りが早い。
あんまり、いじらないほうが、いいかもしれない。
でも、気になって、しょうがなかった。
さっき、給食で、ひじきをぜんぶ食べた。
ナカムラさんに、「ピカピカね」って、言われた。
あのとき、なんか、胸のあたりが、ふわっとあたたかくなった。
あれって、もしかして。
ギャラリーのアイコンを、押した。
ぼやけた天井。
コンビニの弁当。
会議資料のスクショ。
数字を赤丸で囲んだ画像。
ぶれた夜の道。
……そして。
「…………あ」
一番上に、見たことのない写真が、増えていた。
トレイの写真だった。
白い、ステンレスのトレイ。
お皿が、ぜんぶ、空っぽ。
ごはんも、おかずも、ぜんぶ、きれいに食べ終わっている。
しかも、その背景に、写っているのは、学校の給食室じゃなかった。
ステンレスの、でっかい台。
白い壁。
大きな鍋。
そして、写真の端っこに、写っている、手。
オレの手だ。
白い、使い捨ての手袋をした、オレの手。
指先には、いつの間にできたのか、小さな切り傷の絆創膏。
撮影日は、先週の、火曜日。
「……なにこれ」
声が、出なかった。
先週の火曜日って、いつ。
オレ、いまは、1999年だぞ。
でも、このスマホの中では、ちゃんと、未来の「先週」があって。
そこに、オレは、給食室みたいな場所で、空っぽのトレイの写真を、撮っていた。
……撮影者は、オレ。
つまり。
オレは、未来で、給食関係の仕事を、してる?
まさか。
文具会社の営業マンのオレが。
いや、でも、昨日の名刺の「三」の字が、ちょっと薄くなってたし。
……まじで、未来が、変わってるの?
スマホを、ぎゅっと握りしめた。
画面が、ふっと暗くなった。
バッテリー、20%。
画面に映った、自分の顔を見た。
無精ひげと、目の下のクマ。
昨日より、クマが、ほんの少しだけ、薄い気がした。
たぶん、気のせい。
……いや、気のせいじゃ、ないかもしれない。
トイレを出て、廊下を歩いていたら、うしろから声がした。
「ヒロキ! どこ行ってたの!」
ユウタだった。
「ごめん、ちょっと、トイレ」
「長くない? おなか痛いのかと思った」
「ううん、大丈夫」
「ならいいけど」
ユウタは、ほっとしたように、笑った。
そして、ちょっと迷ったあと、小さい声で、言った。
「あのさ、ヒロキ」
「ん?」
「今日、ヒロキが、ひじき食べてるの、見てた」
「あ、うん」
「ヒロキ、すごいね。ぼく、ひじきだけじゃなくて、他にも、きらいなものいっぱいあってさ」
「そうなんだ」
「うん。だから、なんか、うらやましいなって」
ユウタは、うつむいて、ぎゅっと、体操服のすそをにぎった。
その手を見て、なぜか、胸のあたりが、ざわっとした。
ユウタ。
おまえ、さっき、笑ってたじゃん。
なのに、なんで、そんな顔するんだ。
聞きたかった。
でも、聞けなかった。
オレは、昨日、決めたんだ。
ちゃんと、思い出すって。
ユウタに、何を言ったのか。
何をしたのか。
だから、今は、まだ、焦らない。
そう、自分に、言い聞かせた。
「……ユウタ」
「ん?」
「今日も、放課後、逆上がり、やろうぜ」
ユウタは、びっくりした顔をして、それから、えくぼを、ぽこっと浮かべた。
「うん!」
その笑顔が、昨日より、ちょっとだけ、深かった。
たぶん、気のせいじゃ、ないと思う。
その夜、布団の中で、天井を見ながら、考えた。
スマホは、ランドセルの底で、静かに眠っている。
バッテリー、20%。
あんまり、いじれない。
でも、あれは、きっと、未来を知る手がかりだ。
給食室。
空っぽのトレイ。
絆創膏の手。
……オレ、ほんとに、何者になってるんだ?
考えても、答えは出なかった。
ただ、ひとつ、わかったことがある。
ひじきは、うまかった。
あと、ナカムラさんの「ピカピカね」は、一生、忘れない気がする。
目を閉じると、あっという間に、眠りに落ちた。




