第34話「雪の日の、一周」
雪は、三日つづけて、降った。
校庭は、まっ白だった。
足あとをつけるのが、もったいないくらい、きれいだった。
でも、小5が、もったいながるわけがない。
「うおおおおお!」
ブッチが、ランドセルを背負ったまま、雪の中にダイブした。
ぼふっ。
人の形の穴が、あいた。
「ブッチ、冷たくないの」
「つめたい! でも、楽しい!」
「理由になってない」
「ヒロキもやれよ!」
「やらない。ランドセルが、ぬれる」
「ヒロキ、ノリ、わるいー」
「大人だから」
「え?」
「あ、いや、ノリがわるいって、よく言われるから」
ごまかした。
でも、最近は、ごまかすたびに、ちょっとだけ、心配になる。
ほんとに、大人だったころのことを、うまく言い訳できなくなってきている。
課長の名前も、思い出せない。
会社の場所も、ぼんやりしている。
かわりに、卵焼きの味と、母さんの声だけは、ぜんぜん、薄くならなかった。
「ヒロキ、見て! ゆきだるま、つくろう!」
ユウタが、まるい雪玉を、ころころ、転がしてきた。
「ユウタ、でかいな」
「ブッチが、手伝ってくれた」
「おれが転がしたら、ユウタが、そのうえに、乗っただけ」
「それ、手伝いじゃない」
ヤマグチさんが、ノートを持ったまま、雪の中に立っていた。
「議長として、提案があります」
「雪の日でも、会議か」
「雪だるまの、設計図を、先に、決めましょう」
「ヤマグチさん、手袋、びしょびしょ」
「…………はい」
ハヤシさんが、ふふっと笑って、自分の手袋を、貸してあげていた。
ブッチは、それを見て、また、固まっていた。
「ブッチ、雪、口に入ってる」
「…………うん」
休み時間いっぱい使って、雪だるまを、つくった。
でっかい胴体。
ちょっと小さい頭。
目は、ムギの小屋の前に落ちていた、どんぐり。
鼻は、サトウさんが持っていた、にんじん。
「にんじん、食べ物なのに」
「ウサギ用に持ってきたやつだから、だいじょうぶ」
「ブッチ、これは、食べちゃだめだぞ」
「食べないよ! ……いや、ちょっと、食べたい」
「だめ」
カワシマが、ひろってきた木の枝で、両手をつけた。
イノウエくんが、メガネの形に、針金を、まげて、顔につけた。
「…………イノウエくんに、そっくり」
「うん。ぼくも、そう思った」
イノウエくんが、はじめて、声を出して、笑った。
ゴウダは、遠くのベンチで、腕を組んで、見ていた。
「ゴウダ、来いよ」
「…………うるせえ」
「手伝って」
「…………しかたねえな」
ゴウダは、のっしのっし、歩いてきて、雪だるまの頭に、帽子を、ぽん、と、のせた。
自分のニット帽だった。
「…………かぶせといてやる」
「ありがとう」
「別に」
ゴウダの耳は、また、まっかだった。
雪だるまは、みんなの、ごちゃまぜの、友情の、かたまりになった。
その日の、帰り道。
オレは、ひとりで、遠回りをした。
商店街の、いつもの、角。
ふくやが、あった場所。
シャッターに、雪が、少し、つもっていた。
オレは、ポケットから、小さな、がま口を、出した。
お小遣いの、残りだ。
三百八十円。
ゴウダに見せた、あの日の、がま口。
「…………おばあちゃん」
シャッターに、声をかけた。
「約束、まだ、守ってないよ」
『いつか、大人になったら、また、遊びにおいで』
あのとき、おばあちゃんは、そう言った。
「でも、大人に、なれるかな」
つぶやいて、はっとした。
オレは、いま、小5だ。
37歳の記憶は、うすれていく。
このまま、また、大人になるんだろうか。
それとも、あの、未来の、写真みたいに、ふくやの看板を、飾る日が、くるんだろうか。
わからない。
でも、ひとつだけ、決めた。
「…………大人に、なるよ」
ちいさく、言った。
「ちゃんと、ふつうの日を、重ねて、大人に、なる。そして、また、来る」
雪が、肩に、ふわっと、積もった。
その、冷たさが、ほんのり、あたたかかった。
そのときだった。
「あら、ヒロキくん」
うしろから、声が、した。
振りむくと、肉屋のおばさんが、傘を、さして、立っていた。
「ひとりで、どうしたの」
「ちょっと、散歩です」
「そう。寒いから、これ、持ってきな」
おばさんは、紙袋を、差し出した。
あったかい、コロッケが、ひとつ、入っていた。
「あ、でも」
「いいのいいの。ほら、おまけ」
「…………ありがとうございます」
大きな声で、言った。
おばさんは、くすっと、笑った。
「ヒロキくん、ほんと、礼儀正しいわね」
「ふくやのおばあちゃんに、教わりました」
「そうね。あの人、みんなに、おまけを、くれたものね」
おばさんは、シャッターを、見上げた。
「この町の人は、みんな、あのおばあちゃんに、もらったおまけを、だれかに、返して、いるのよ」
「…………おまけを、返す」
「そう。あんたも、返しな。いつか」
「はい」
オレは、うなずいた。
コロッケを、ひとくち、かじった。
あつあつで、さくさくで、ほくほく。
雪の中で食べるコロッケは、世界でいちばん、おいしかった。
十二月の末。
大掃除の日。
家じゅうの、窓を、ふいた。
父さんが、脚立に乗って、換気扇を、こすっていた。
「父さん、そこ、ぜんぜん、きれいになってない」
「うるさい。いま、やってるんだ」
「雑巾の、絞り方が、甘いんだ」
「…………ヒロキ、おまえ、どこで、そんなこと、覚えたんだ」
「夢の中で」
「夢の中で、掃除してるのか」
「そう」
「大変だな」
父さんは、ぷっと、笑った。
ミキは、ちゃぶ台を、ふきながら、鼻歌を、歌っていた。
「ふるさと」だった。
ユウタの、歌を、聞いて、覚えたらしい。
「ミキ、上手」
「でしょ!」
「声、でかいけど」
「それは、元気なの」
オレは、押し入れの、天袋から、あの、青い缶を、おろした。
デンマークの、クッキー缶。
母さんの、裁縫缶。
ふたを、あけた。
針と、糸と、ボタンと、軍手。
軍手は、ふた組、入っていた。
最初に、ここから、取り出した、ふた組だ。
オレと、ユウタの、軍手。
ちゃんと、洗って、ここに、しまった。
そして、一番、下に。
見たことのない、紙が、一枚、あった。
折りたたまれた、小さな、メモ。
母さんの、字だった。
『ヒロキへ。
大そうじのとき、この缶を、あけると思って、ここに、おきます。
軍手は、またいつか、だれかと、はんぶんこ、してね。
あと、ミキの、えがおを、まもってね。
おねがい。
母』
「…………」
オレは、メモを、胸に、あてた。
母さんは、どこまで、先を、読んでいたんだろう。
でも、今回は、泣かなかった。
ちょっと、笑った。
「母さん、そんなに、いろいろ、頼まないでよ」
「お兄ちゃん、だれと、話してるの」
「母さん」
「いるの?」
「いるよ」
ミキは、ぱっと、オレの、うしろを、見た。
「…………みえない」
「見えなくても、いるんだって」
「ふーん」
ミキは、きょろきょろ、してから、ふんと、うなずいた。
「じゃあ、おかあさん、ミキ、ちゃんと、えがおだよ!」
誰もいない、空中に、向かって、にっこり、笑った。
その、笑顔が、母さんに、そっくりだった。
大みそかの、夜。
家族三人で、年越しそばを、食べた。
父さんの、そばは、ちょっと、のびていた。
「うまい」
「のびてるよ」
「のびてても、うまい」
ミキは、そばを、ずるずる、すすって、はねた、つゆが、ほっぺについた。
「ミキ、ついてる」
オレは、ティッシュで、ふいた。
ミキは、こそばゆそうに、笑った。
そのとき、テレビから、除夜の鐘が、聞こえてきた。
ごーん。
ごーん。
三人で、黙って、聞いた。
「ヒロキ」
「うん」
「来年は、どんな年に、したい」
父さんが、そばの、どんぶりを、置いて、聞いた。
「…………」
オレは、ちょっと、考えた。
「ふつうの、年」
「ふつう」
「ふつうに、起きて、卵焼き、食べて、学校行って、笑って、帰ってきて」
「うん」
「それを、毎日、くりかえす」
「…………それが、いちばん、むずかしいな」
「うん」
父さんは、ふっと、笑った。
「いい年に、なるな」
「うん」
ミキが、手を、挙げた。
「わたしは、おかあさんに、手紙を、書く年!」
「いいな」
「お兄ちゃんより、ながいの、書く!」
「え」
「だって、お兄ちゃん、みじかかったから」
「…………読んでないだろ」
「顔に、書いてあった」
「…………」
父さんが、ふきだした。
オレも、ふきだした。
三人の笑い声が、除夜の鐘に、まじって、ひびいた。
箪笥の、上の、写真の母さんが、ちょっとだけ、うれしそうに、見えた。
元日の朝。
雪は、とけていた。
でも、空気は、きりっと、冷たかった。
初詣に、近所の神社へ、行った。
「ヒロキー!! あけおめー!!」
鳥居の前で、ブッチが、でっかい声で、手を、振っていた。
そのとなりに、ユウタ。
ヤマグチさん。
ハヤシさん。
「みんな、早いな」
「みんな、同じこと、考えたんだよ」
ユウタが、えくぼを、ぽこっと、浮かべた。
「ヒロキ、あけましておめでとうございます」
「あけまして、おめでとうございます」
「議長として、今年の、抱負を、ひとりずつ、発表したいと思います」
「ヤマグチさん、新年早々、会議か」
「当然です」
くじ引きで、順番を、決めた。
トップバッターは、ブッチ。
「えーと、おれの、抱負は」
「うん」
「にんじんを、ハヤシさんが、見てなくても、食べる!」
「それ、去年も、言ってた」
「去年は、見てるときだけ、食べたから、今年は、ちゃんと、がんばる!」
ハヤシさんが、口に、手を、あてて、笑った。
「ブッチくん、応援するね」
「うおおおお、がんばる!」
ユウタの、番。
「ぼくは、もっと、歌いたい。それと、逆上がりを、連続で、できるように、なりたい」
「連続?」
「うん。三回」
「大きく出たな」
「ヒロキと、いっしょに、がんばる」
オレは、ちょっと、胸が、きゅっとした。
ヤマグチさん。
「わたしは、『ごめんなさい』と『ありがとう』を、今年は、いつもより、多く、言います」
「それ、いい」
「ふつうのことですが、むずかしいので」
ハヤシさん。
「わたしは、本を、毎日、読む。あと、ブッチくんが、にんじん、食べるの、見守る」
「うわあああ」
「ブッチ、よかったな」
最後に、オレの、番。
「…………」
全員の、目が、オレに、集まった。
オレは、息を、すった。
「みじかく、言うね」
「うん」
「ふつうの日を、ちゃんと、大事に、する」
しーん、と、した。
それから、ブッチが、拍手した。
ぱち、ぱち、ぱち。
ユウタも、ヤマグチさんも、ハヤシさんも、拍手した。
境内の、すみで、おみくじを、結んでいた、おばあさんが、ちらっと、こっちを、見て、にこっと、笑った。
それは、ふくやの、おばあちゃんに、ちょっと、似ていた。
もちろん、別人だ。
でも、その、笑顔は、まるで、ほんものみたいに、あたたかかった。
神社の、お賽銭箱の、前。
五円玉を、握りしめた。
ふくやの、あたり券の、となり。
財布に、入っている、五円玉だ。
手を、合わせる。
何を、お願いしよう。
「ミキが、ずっと、笑っていますように」
「父さんが、元気で、いますように」
「ブッチとハヤシさんが、結婚しますように」
「ユウタの、歌が、もっと、たくさんの人に、届きますように」
いくつも、浮かんだ。
でも、全部、お願いするのは、欲張りすぎる気が、した。
だから、ひとつだけ、選んだ。
「…………母さんが、ずっと、ぼくの、うしろに、いますように」
手を、はなして、目を、あけた。
となりで、ミキが、じーっと、オレを、見ていた。
「お兄ちゃん、なに、お願いしたの?」
「ひみつ」
「えー」
「ミキは?」
「ひみつ」
「ずるい」
「ずるくないもん」
ふたりで、にらみあって、すぐ、笑った。
参道を、歩いて、帰る。
甘酒の、においが、ただよっていた。
屋台で、父さんが、みんなに、甘酒を、おごってくれた。
「甘い」
「うまい」
「父さん、それしか、言わないって」
「うまいものは、うまいんだ」
甘酒を、ふーふー、しながら、飲んだ。
あったかくて、甘くて、ちょっとだけ、酒粕の、においがした。
37歳のころ、飲み会で飲んだ、どんな酒より、うまかった。
夜、家に帰って、財布を、ひらいた。
名刺入れは、ほとんど、白紙。
でも、また、すみっこに、うっすら、文字が、浮かんでいた。
『元日 神社 抱負『ふつうの日を、ちゃんと、大事に』』
『ブッチ にんじん 三日坊主』
「三日坊主なのかよ」
ふきだした。
『ユウタ 逆上がり連続三回 三月に、達成』
『ヤマグチさん ごめんなさい、ありがとう 一日十回』
『ハヤシさん 読書百冊』
『ミキ 母さんへの手紙 二十枚』
「二十枚!?」
思わず、声が、でた。
ミキ、お兄ちゃんの、三行に、対抗して、二十枚書くのか。
そして、いちばん、下の、行。
『ヒロキ 』
その、後ろが、空欄だった。
オレの、今年の、記録は、まだ、書かれていなかった。
「…………」
オレは、鉛筆を、持って、その、空欄を、見つめた。
書かれていない、ということは。
これから、オレが、決めていく、ということだ。
ペンを、持ったまま、考えた。
それから、にやっと、笑って、鉛筆を、置いた。
「…………書かないでおく」
書いたら、決まってしまう。
決まらないほうが、楽しい。
名刺入れを、閉じて、財布を、枕もとに、置いた。
窓の外は、星が、きれいだった。
寒いのに、澄んでいた。
おやすみ、と、母さんの写真に、言おうとして、気づいた。
ミキが、写真の前に、いた。
パジャマ姿で、ちょこんと、座って、写真を、見上げている。
「ミキ?」
「しー」
ミキは、ちいさな声で、言った。
「いま、おかあさんに、あけましておめでとうって、言ってるの」
「…………うん」
「それで、今年も、よろしくお願いしますって」
「…………うん」
「お兄ちゃんも、言う?」
オレは、ミキの、となりに、座った。
写真の、母さんを、見た。
白い、ワンピース。
長い、髪。
観覧車の、前の、笑顔。
「母さん。あけまして、おめでとう」
「おめでとう!」
「今年も、よろしく」
「よろしく!」
ふたりで、ぺこっと、頭を、下げた。
そのとき、廊下の、ストーブの、上の、やかんが、ぴーっと、鳴った。
父さんが、台所から、顔を、のぞかせた。
「おーい、おもち、焼けたぞー」
「はーい!」
ミキが、ぴょん、と、立ち上がった。
オレも、立ち上がった。
ふと、写真を、もう一度、見た。
母さんの、笑顔が、ちょっとだけ、深くなった気が、した。
気のせいじゃ、ないと、思った。




