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第29話「八月十三日の、卵焼き」

八月十三日。


目が覚めて、いつもどおり、引き出しを開けた。


『バッテリー残量 4%』


『残り時間   本日中』


「……「日」じゃなくなってる」


ひとりで、小さくツッコんだ。


でも、笑えなかった。


画面をそっと閉じて、布団の上に、ぺたんと座った。


ふと、気がついた。


パジャマは、あいかわらず、パツパツだった。


半袖半ズボン。


胸には、黄色いヒーローが、ドーンと、ポーズを決めている。


第1話の朝から、このヒーローは、ずっと、オレの胸板で、パツパツに引きのばされている。


「ソーセージの気持ち」とか言っていた、あの朝から、ずっとだ。


「……おまえも、よく、ここまで、つきあってくれたな」


ヒーローは、なにも答えなかった。


でも、なんとなく、誇らしげだった。


鏡を見た。


無精ひげの、37歳のヒロキが、いた。


目の下のクマも、最初の日のままだ。


でも、鏡の中の目は、ここに来た日より、ずっと、おだやかだった。


たぶん、気のせいじゃ、ない。


台所に行くと、母さんが、もう、椅子に座って、待っていた。


父さんも。


ミキも。


三人とも、テーブルに、肘をついて、にこにこしながら、こっちを見ている。


「…………なに、その、ならび方」


「だって、シェフの、登場を、待ってるのよ」


「卵焼きシェフ!」


ミキが、フォークを、ちゃりん、ちゃりん、と、鳴らした。


「やめろ、プレッシャーが、すごい」


「お兄ちゃん、がんばれー!」


「父さんも、期待してるぞ」


「ハードルを、上げるな」


エプロンを、つけた。


母さんの、いつもの、エプロンだ。


おなかのところが、ぎちぎちだった。


フライパンを、火にかける。


卵を、三つ。


割る。


からが、ちょっと、入った。


「あ」


「だいじょうぶ、ぬいて、ぬいて」


「箸で、とるといいわ」


「ミキが、とる!」


「ミキ、手を、つっこむな」


どたばた、しながら、卵液を、作った。


砂糖は、大さじ、ふたつ。


しょうゆは、たらーっ。


「たらーっ、って、どのくらいだっけ」


「感覚よ、感覚」


「それ、三日前も、聞いた」


「三日前も、同じこと、言ったわよ」


母さんが、ふふっと、笑った。


オレは、フライパンに、卵液を、流した。


じゅわーっ。


あの、いい音。


「巻くときは、ゆっくり」


「うん」


「焦らないで」


「うん」


「あ、もう、ちょっと、焦げてきた」


「えっ」


「いいの、いいの」


「焦げたほうが、おいしい」


家族三人の声が、そろった。


「…………なんだよ、全員、知ってるのかよ」


「うちの味だもの」


ぐるっと、巻いた。


ひっくり返した。


また、巻いた。


形は、ぼろぼろ。


でも、できた。


お皿に、のせて、包丁で、切る。


切り口は、ぐにゃっと、くずれた。


「…………だいぶ、芸術的だな」


「いいのよ、それで」


四人で、食卓を、かこんだ。


「いただきます」


母さんが、ひとくち、食べた。


ゆっくり、かんで。


目を、閉じて。


「…………」


「どう、でしょうか」


「…………」


「母さん?」


「…………焦げすぎ」


「えっ」


「でも」


母さんは、目を、あけて、にっこり、笑った。


「世界で、いちばん、おいしい」


「…………」


「ほんとよ。母さんの、味より、ずっと、おいしい」


「それは、嘘だ」


「嘘じゃ、ないわ。ヒロキが、作ってくれたんだもの」


父さんは、ひとくち、ぱくっと、食べて、いつもの、一言を、言った。


「うまい」


「父さん、それしか、言わないな」


「うまいものは、うまいんだ」


ミキは、卵焼きを、じーっと、見て、言った。


「こげてる」


「ミキ」


「でも、おいしい」


「…………ありがとう」


「うちの、味だから」


ミキは、にっと、笑った。


オレは、卵焼きを、口に入れた。


甘くて、焦げてて、ちょっと、しょっぱかった。


最後のしょっぱさは、たぶん、オレの、涙だった。


「…………ほこり」


「ヒロキ、また、ほこり?」


「うん、ほこり」


「だいじょうぶ? お医者さん、行く?」


「だいじょうぶ。いつものやつ」


母さんは、ふふっと、笑って、ハンカチを、そっと、差し出してくれた。



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